2006/12/18

変わらないもの 変えられないもの(続き)

昨日、絵本から借りた文章は、こんなお話の一部です。(青文字が本文)

朝日がのぼって、「わたし」は、はらっぱへあそびにいきました。バッタやリスに「あそびましょ」と声をかけても、みんなにげていってしまいます。
ひとりぽっちになった「わたし」は、音をたてずに、池のそばにすわっていました。

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すると、虫や動物たちが、一匹、二匹と、池のまわりにもどってきました。「わたし」が息をとめていると、鹿の赤ちゃんがそばへよってきて、・・・・

 〇 〇 〇 〇

それでも うごかずに だまっていると、しかの あかちゃんは 

もっと ちかよってきて、わたしの ほっぺたを なめました。

ああ わたしは いま、 とっても うれしいの。

とびきり うれしいの。

なぜって、みんなが わたしと あそんでくれるんですもの。

         〇 〇 〇 〇

私のはしょった説明ではぜんぜん伝わりませんが、絵本には池のほとりの時間の流れがいきいきと描かれています。絵も色彩もお話も、大好きな一冊です。

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←(裏表紙)

(マリー・ホール・エッツ「わたしとあそんで」)

←注目!意気揚々とおうちに帰る!

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2005/07/10

「学校に行かないこと」をする

北海道の不登校支援・教育・福祉の分野で活躍している友人(勝手に友人と言わせていただくとして)の野村俊幸さんが本を書かれた。さっそく送っていただいて読んだ。タイトルは「わが子が不登校で教えてくれたこと」。若草色の爽やかな表紙と可愛いイラストがほのぼのした印象だ(イラストはお嬢さん)。

(表紙=大きな芋の葉っぱを傘にして雨をよけている少女。葉っぱの上にはカタツムリ。不登校は雨宿りと同じかも。裏表紙=雨上がりの虹を、カエルが見ている。)

タイトルの通り、野村さんご自身がお子さんの不登校を通して体験されたことと、そこから得られたことを、ご自身の率直な気持ちも含めて、真正面から真摯に受けとめ書かれている。不登校から「学んだ」ではなく、「教えてくれた」というところに、野村さんの謙虚で感性の細やかなお人柄が表れているように思う。加えて不登校支援の現場からのアドバイスも、親と教師それぞれの立場に対して、子どもの成長を支援する視点で盛り込まれている。

私自身も子どもの不登校に直面してずいぶん悩みもし、それによって多くのことを教わり、また自分自身がさまざまな社会的活動に関わるキッカケをも与えられた。しかし、野村さんの率直な体験報告とそれについての分析や、導き出される洞察の深さに接して、さらに気づかされることもたくさんあった。

不登校は親子共々つらい体験ではあるけれど、見方を変えれば貴重な家族の歴史の一部ともいえる。そのプロセスを通して親も子も、より理解し合える関係になることができることを、この本は雄弁に語っている。

筆者自身の体験から始まって単なる体験に終わらず、子どもへの関わり方、学校の先生への関わり方、逆に先生から保護者や子どもへの関わり方などまで、懇切丁寧に書かれている。さらに、今日の子どもを巡るさまざまな課題への向き合い方、姿勢についても示唆されている点が希望が見えていい。

親が困ったときに発しそうな質問が、そのまま項目になってズラリ並んでいる。きっと困ったときの親の強い見方になることだろう。当時こんな本があったらと思う。

今だったら私はどんな対処の仕方をするだろうか。学校に行けなくてうずくまる子どもの側に腰を下ろし、「アイスでも食べようか?」と笑顔で声を掛ける近所のオバサンになれそうな気がする。そういうちょっとホッとした会話のできる第三者の存在が、不登校に限らず、今子育てには必須になっているのではないだろうか。

野村さんの本は、そうした子育ての第三者=近所の優しい(しかも専門的な知識を身につけた)オジサン・オバサンのような本だ。子育て、教育に携わる人に時々思い出して読んでほしい。そんな雰囲気の本だ。

印象に残った箇所が幾つもあるが、その中の一つを紹介する。

       ……………………………

「『ゴロゴロ』してばかりでいいのかという不安」の項。

「学校に行かないこと」をしている不登校の子どもは、ものすごいエネルギーを使っていることを、まず分かってほしい。

       ……………………………

不登校の子どもが家でゴロゴロして何もしていないように見えても、子どもはただゴロゴロしているのではなく、「学校に行かないこと」をしているのだという見方。まさに目から鱗とはこのことだ。当時を振り返った娘さんが口にされた言葉だという。

この本を時々取り出して読み返すことで、子ども達と良い関係を築く道筋が見つかりそう。そんな勇気と希望が持てる本だ。

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2005/06/26

炎天下のクチナシ

050625_1729001 昨日の炎天下、芳香を放っていた通りすがりのクチナシ。白い花がクッキリと、香りも強い日射しにまけないくらい濃厚で、それがむしろ爽やかでした。でも、肝心の写真は、イマイチ、イマ2? 汗で手もぶれました、昨日の暑さ!炎天下に芳香を放って咲き競う植物の力強さには心を打たれます。

リーディングバトン(Reading Baton)というのがあるのですって…。友人のazamikoさんから思いがけずバトンをいただいたのですが、何しろあんまり本は読んでいないので…、思いつくまま。

①よく読むブログ…友人のブログ以外では、最近ジャーナリストの綿井健陽さんがブログを始めたのでときどき。

②好きな作家…まどみちお レオ・レオニ

③思い入れのある本…中学生の時に読んだ「メアリー・ポピンズ」(P・Lトラヴァース)。「女の選択-生む・育てる・働く」「見えてくる女の水平線」(2冊とも高良留美子)

④手放せない、というより時々読み返す本「海からの贈り物」(アン・モロウ・リンドバーグ)落合恵子訳(吉田健一訳も)。「あたらしい憲法のはなし」(文部省/童話屋)

⑤最近買った本…「にほんご」(福音館書店)

次にバトンを渡す人…、もし読んでくださっていたら登録ブログの、PFCさんTamyレポートさん、それにあをねこさんに。ご迷惑でしたらパスしてくださいね。お遊びですので気になさらず。

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2005/03/05

揺れるわかめ

「にじいろの ゼリーのような くらげ」

「ドロップみたいな いわから はえてる こんぶや わかめの はやし…」

絵本「スイミー」(レオ・レオニ作・谷川俊太郎訳 好学社)の1ページです。

深海の澄んだ水の中の生き物や海草が、美しい色彩と楽しいアイディアの
技法で描かれていて、見ているだけで、まるで水中を散歩したようなのびや
かな気持ちになれるのです。

レオ・レオニは私のお気に入りの作家ですが、なかでも、「スイミー」の水彩
の絵は素晴らしくて、いつまで見ていても飽きることがありません。

「にじいろの ゼリーのような くらげ」は、透き通るようなすみれ色とインクの
ブルー。色がついているのに<透明>を感じるのです。

「こんぶや わかめの はやし」、これはどうやって描いたのでしょうか。
面白い模様です。布レースに絵の具をつけて型押ししたのでしょうか。
レース模様が、キラキラと射し込む光を表しているようです。海の底なのに、
深呼吸したあとのような気持ちよい開放感です。

050305_2014001

ゆらゆら揺れる海草を想像しながら、ふと自分も
同じようだなと思います。
学生がくれたメールの中に「進路を決めて進んで
きたはずなのに、それでもまだ学ぶ意味は何か
と悩んでいる」姿がありました。


年を重ねたという意味での人生経験の差はあった
としても、同時代を生きる一人として、根源的な問
いに対して、あっちに揺れ、こっちに揺れしている点では、学生も私も
そう大差はないように思います。
実際私は、年中アッチャコッチャ試行錯誤して揺れてますからねェ…。

海中に揺れるこんぶ・わかめ状態です。

でもまあ、<海中のこんぶ・わかめ>も、海を楽しみつつ揺れていられたら
いいのかな、と。
そう、どうせなら楽しく揺れるわかめになりたい!

(実際の絵はもっとスッキリ明るいんですよ。)

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2005/03/01

「嘘つきアーニャの…」

「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」(米原万里著・角川文庫)
をやっと読み終わりました。
ずいぶん前に友人が「面白いわよ」と言って貸してくれたものです。

最近は資料としては読んでも、まとまって本を読むことがめっきり少な
くなってしまいました。これも寝るまでのひととき、布団に潜り込んで
少しずつ読んで、やっと、という感じでした。
でも、「早く返さなくちゃ」と思うと読むものですね。
読みやすく、かつ面白かったです。友人のSさんに感謝!

内容はロシア語通訳として活躍、エッセイストとしても評価の高い米原
さんの東欧で過ごした少女時代と、その後の3人の友人との交友が東
欧の歴史とともに語られています。
 「20世紀後半の激動の東ヨーロッパ史を個人の視点であざやかに切
りとった歴史の証言の書」(解説・斎藤美奈子)まさにこの言葉どおりで、
読みやすいけれど、中身は濃く読み応えがあります。

 私が新鮮に思ったのは、個性豊かな「マリ(万里)」の友人達が、その
ユニークな個性をそのまま周囲に認められていることです。ともすると私
は社会主義の国というと管理された画一的なイメージで見てしまいがち
でしたが、当たり前のことなのですが、子ども達はどこも同じように個性
豊かでヤンチャで可愛いと思うとともに、むしろ日本よりも懐の深さの感
じられる部分も随所に感じました。太っ腹で温かい庶民の空気が伝わっ
てくるのは著者の交友関係の豊かさゆえでもあるだろうけれど。

 この本に出てくる少女達は、日本でポーッと育った私など及びもつかな
いような歴史と社会体制の矛盾を背負って毎日学校に通い、生活している。
いやおうなしに少女達は自分たちの民族や国家や政治体制について考え、
友人たちと語らざるを得ない毎日を過ごす。さらには社会主義体制の崩壊
につれ、否応なしに社会の変革に巻き込まれていく。そうした中で、子ども
であれ、自分たちの現状と過去の歴史について正面から向かい合ってい
る姿勢は、日本の今の状況と引き比べ考えてしまった。 
 
 ベオグラードに住むヤスミンカ(マリの女友達)の言葉が胸をつく。
ヤスミンカは戦争になって以来、家具も食器も、コップ一つ買っていない
と言う。
「店で素敵なのを見つけて、買おうかなと一瞬だけ思う。でも、次の瞬間は、
こんなもの買っても壊されたときに失う悲しみが増えるだけだっていう思
いが被さってきて買いたい気持ちは雲散霧消してしまうの。それよりも、
明日にも一家皆殺しになってしまうかもしれないって」
コップ一つ選ぶ楽しみも奪う戦争。
それはたかがコップではないし、希望を奪うことに他ならないと思う。

 これから読む人のお楽しみに、一番面白かったところ(感動とは別に、爆
笑!)は書けませんが、思い出すと今でも、笑えます。
お薦めです!
 

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