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確信と希望~高木さんの著書より

大惨事から3,4年して私たちは、ようやく自分の国で事故の本当の規模、事故についての絶望的な真実の全貌を知り始める。それを知ると、私たちはますます自分のこと、私たちの大きな社会のことを知るようになる。私たちは自分たちの過去についてだけでなく、未来について知ることになる。

アラン・ヤロシンスカヤ「チェルノブイリ極秘」より

前回ご紹介した高木仁三郎さんの著書「市民科学者として生きる」の扉に引用されている言葉です。高木さんは、生きているうちにプルトニウム社会の終焉を見られたらと願いつつ、希望を込めてこの言葉を選ばれたことと思います。はからずも、そのまま現在の日本に当てはまる言葉になるとは・・・。

以下、「市民科学者として生きる」から、心に残った言葉を私のメモ替わりに抜粋しました。

(国家主導のエネルギー政策に対して)

この議論の仕方は、私たちが半世紀前の戦争の体験を通して学んだはずのものを、すでにすっかり転倒させており、個人の人権や思想に基づいて国家があるのではなく、国家のもとに個人があるという思想だ。エネルギー政策というなら、個々の人々がどういうエネルギー政策を望んでいるかという議論が先にあるべきである。(P203)

一度でも起これば、取り返し不可能な影響を全地上の生命に与えうるような事故の可能性に対して、技術によって確率を下げるというだけでは、究極的な安心(心の平和)を人々に与えることはできないだろう。(P217)

持続した理想主義は、必ずやある結実をもたらすと確信している。(P238)

(高木さんの療養中にお見舞いとして届けられた色紙の言葉)

本気 
          長野県別所温泉 安楽寺住職        

本気ですれば
大抵のことができる
本気ですれば
何でもおもしろい
本気でしていると
誰かが助けてくれる

 もし、「助けられる幸運に恵まれた」という以上の何かが私の側にあったとしたら、確かに私が本気だったという点に尽きるだろう。・・・略
 この「本気」を、もう少し分析していくと、確信と希望ということに尽きると思う。・・・略

反原発というのは、何かに反対したいという欲求ではなく、よりよく生きたいという意欲と希望の表現である。(P222)

前章で私は「確信」の役割を強調したが、それは、自分がその実現を信じていないようなことを口先だけの理念で叫んでみても、人の心に響くはずはないと、私の経験から思うからである。(P238)

もうひとつ大事なことは持続である。・・・人から人へ、世代から世代へ、ある同じ志が持続されていく、そういう持続が、理想を単なる理想でなく、現実へと実現される力になり得ると信じている。(P238)

私はここで、日本国憲法とりわけ前文や9条を思い浮かべました。理想を実現するための持続する力。

高木さんはここで、文部省統計数理研究所「国民性調査」を引き、1960年頃に比べ、エネルギー個人消費は三倍増であるにもかかわらず、「現状に満足」の数値は、当時から本質的に増えていないことを指摘しています。(P254)

「右肩上がりのエネルギー政策をやめるしかないのではないか」と言おうものなら、各委員から「成長をやめたら日本は崩壊する」「人々の欲望を抑えることはできない」と集中砲火のような反論がかえってくる。この人たちは、人々のあきらめを組織的に利用して、現状の国家形態、産業形態を基本的に維持していこうとしているのだ。(P255)

あれから12年経ち、そして311を経験した後でも、「この人たち」の基本的な考え方はここに書かれているそのままです。世論を無視した大飯原発再稼働の強行突破には、さらになりふりかまわぬ強引さが加わった感があります。それでも、隠されていた原子力ムラの体質が露わになり、以前よりは多くの人に知られるようになりました。

高木さんはこう続けます。

ここに欠如しているのは、人々の未来に対する希望である。先に「理想」として述べたような、安全で自由な暮らしと未来に対する人間としての当然の希望、そのために努力したいという基本的な意欲は誰でも持っているのに、あきらめの浸透が希望を抑えこんでしまっているのだ。

そうであるならば、私たちはあきらめからの脱出、すなわち希望を、単に個人個人に期待するだけでなく、人々の中に積極的にその種を播き、皆で協力し合って育てていくものとしてとらえ直す必要がある。それを、私はオーストリアの友人ペーター・ヴァイスにならって「希望の組織化」と呼びたい。

「希望の組織化」という言葉は、福島原発の事故から一年三ヶ月余り経ち、再び原発推進に動き始めた日本の現状を前に、切実な実感を持って受けとめることができます。と同時に、的確な具体化への指針でもあるように思います。

高木さんではないですが、変えたいと思ったら、変えられることを確信して、あきらめずに続けること(自分にできることを)、ですね。そんなことを思いつつ、書いてみた次第です。


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コメント

それでも日本人は、原発の再稼働を選んだ。
一億総ざんげへの道。動き出したら止まらない。
この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ、民族の歴史は繰り返す。

耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もって万世のために太平を開かんと欲す。
座して死を待つか、それとも腹切りするか。
私の父は、玉砕した。何のお役に立てたのかしら。
安らかに眠ってください。過ちは繰り返しますから、、、、

ああしてこうすりゃこうなると、わかっていながらこうなった、、、、、
12歳のメンタリィティには、知恵の深さが見られない。

白く塗られた黒いオオカミの足を見破ることは難しい。
だます人は悪い人。だまされる人は善良な人。おとり捜査は難しい。
この調子では、人の命はいくつあっても足りるものではない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

noga さん、初めまして。
コメントありがとうございます。
管理人のさくら子です。

nogaさんのお父様は戦死なさったのですね。
私の父も従軍し、乗っていた駆逐艦が撃沈され、板きれに捕まって九死に一生を得たと聞きます。平和公園のあの碑文に恥じることを選択してしまった私たちを、後世の人達はどう評価するでしょうか。このままでは引き下がれません。がんばりましょう!

貴ホームページの「意思」については同感です。今、日本人に一番求められているのが一人ひとりの意思を持つこととその表明ではないかと思います。

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