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「迷惑」について

過去記事に頂いたコメントに返事を書いていたら、長くなってしまったので、記事として上げさせていただきました。「デモの大音量が迷惑」とのコメントから始まった、「迷惑」についてのミニミニ考察といった感じになってしまいました。

「迷惑」で思い出すのは、以前に頂いた名刺のことです。新潟選出の国会議員、元参議院議員の黒岩秩子さんの名刺には「迷惑をかけあおう」と刷られていました。人のお世話になることに遠慮しないで・お世話することをためらわないで、という意味だと思いますが、長年福祉の現場でご苦労されてきた黒岩さんらしい温かく力強いメッセージを感じました。「迷惑」は「どちらから見るか」「何に注目するか」で、多面的な課題を引き出してくれる不思議な力があるのかもしれません。

----(ここからコメントへのお返事)----

音を聞きつけて家から飛び出し、反原発デモとわかったため、デモに加わった人もいました。迷惑と思うか有意義と思うかは人さまざまです。迷惑と思う 人には申し訳ないけれど、ひとたび事故が起これば、お年寄りや乳幼児などケアを必要とする人ほど被害は大きいのですから、「高齢者のケアセンター」のため にも原発は止めたいと思います。

また、迷惑云々は、デモをどのように受けとめるかという人権意識や社会の成熟とも関係があり、一概に「迷惑」と決めつけるには難しい問題でもあるように思います。

「原発の仕事を奪うな」ではなく、日常的に被曝労働者を生む原発でなく、もっと健康的な職場を提供すべきだし、地元が交付金で疲弊していくような地域振興のありかたをこそ変えていくべきでしょう。

チェルノブイリ以後、普通のデモに時々参加してきましたが、その結果、福島原発が起こってしまいました。マスコミもデモの報道はしないし、警察の沿 道警備はますます巧妙にデモを小規模化させてきますしね。工夫が必要なのです。サウンドデモは若者が主催したエネルギッシュな意見表明の機会として着目 し、参加したわけです。多様な表現方法があったほうがよいでしょう。

私は自分が必要と思うからデモに参加するだけで、お勧めはするけれど最終的な判断は個人一人ひとりが決めることです。

迷惑と思われたなら、その意見を主催者に届けるのが筋では?私は主催者でも関係者でもなく、一参加者に過ぎません。

それから、原発が止まっても電気のない暮らしに逆戻りなどしません。試算によると全原発を止めても1990年代の生活を維持できるそうです。もとも とここまで原発が伸びたのは、莫大な推進費用(研究・広報・地元への交付金等)を投じた結果であって、原発の技術が素晴らしかったから伸びたわけではあり ません。「原発は安全」「原発がないと電気が使えなくなる」の刷り込みから目覚めてください。

世界の再生可能エネルギーによる発電量は、昨年原発による発電量を抜きました。世界的な潮流では原発はすでに過去のものです。今止めても、今後はこの負の遺産を、半永久的に安全に冷やし続けるという気の遠くなるような作業が待っています。

せっかくですから、これを機に、ぜひ原発とエネルギー問題について正しい知識を持っていただければと思います。
「迷惑」についていろいろと考える機会をくださってありがとう。

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