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エネルギー低下

だいぶご無沙汰してしまいました。

以前、河合隼雄の「子どもの宇宙」だったかで、こんな話が紹介されていました。(うろ覚えですが)

幼稚園に通うある男の子の話です。
その子の家では数日前にお葬式があって、男の子は久しぶりに幼稚園に来ることができました。ても、久しぶりにお友達に会ったのに、以前のようにみんなの中に入って遊ぼうとしません。その子は一人で、庭の隅にしゃがんで遊んでいました。

そんなことが何日か続きました。そしてしばらく経ったある日のこと、男の子はまた以前のように、元気にみんなの中に入って遊び始めたそうです。

河合さんの解釈はこんなふうでした。

お葬式の後、おじいさん(おばあさん)の死を、その男の子はその年齢なりに受けとめて、亡くなった人との<お別れ>をしていたのではないだろうかと。

おとなは通夜や葬式という儀式を通じてお別れという一区切りをつけることができるけれど、子どもにとってはそうした儀式は形でしかない。

心の中でお別れのできていない男の子は、幼稚園には出てきたものの、みんなとワーワー言って遊ぶ気にはなれなかった。そこで、整理の着いていない気持と向き合い、その気持が納得いくまで、庭の片隅で一人で遊んでいたのだろうと。

先週、叔父の訃報が届きました。最近は年賀状のやりとりくらいでしたが、小さいときはよく遊びに連れて行ってくれた叔父でした。

今週になって、何だか力が出ないなあと思っていたら、上の話を思い出したのです。

ここ2週間ばかり、雑用やらなにやらバタバタしていて疲れがたまっていたせいかもしれない。あるいは猛暑のせいかもしれない。理由はいろいろあるんですが、でも、それプラス、<お別れ>の時間が私にも必要だということかもしれないなあ…と。

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