« 2007年4月 | トップページ | 2007年6月 »

ひさしの穴は

さて、先日のつづき、子ども時代に私の廻りにあった戦争の名残について。

一番直接的で、鮮明な思い出は、家の軒先のトタン板に穴が空いていたことです。子どもながらに、何であそこだけボロボロなんだろうといつも不思議でした。母の話では焼夷弾が落ちてできた穴だということでした。

知らぬが仏ですよね。「あ、そうなんだ」と聞いていましたから・・・。
今思えば、よく家が焼けずに残ったものだと思います。

線路脇に海軍の火薬庫があったため、街は米軍の標的になりました。

そのため海岸線には米軍機を迎え撃つために、高射砲が設置され、戦後はコンクリートの土台だけが残っていました。3台くらいあったかと思います(もっとあったかも)。子どもの私から見ると当時はずいぶん大きく思えたものですが、本当はどのくらいの大きさだったのでしょう。

海に行くたびに、私たちはよくそのコンクリートの台によじ登っては上で遊んでいました。ですから子どもが走り回れるくらいの広さはあったはず。台座には錆びついた金属の一部が残っていただけでした。

街は空襲に遭って、一面焼け野原になったというのはよく母から聞きました(調べてみると1945年の2月です)。駅前から海岸までまっすぐ延びる道路がとても広いのは、全部焼けてしまったために、戦後の区画整理によるものと聞いています。

ある時、友達の家に遊びに行くと、庭の雑草の陰に地下に下りる狭い階段がありました。防空壕の入り口でした。階段を下りると中は奥行きがあって、せまくて暗かった、そんな印象しかありません。

防空壕と聞いても、「聞いたことはあるけど・・・」というくらいの印象しかありませんでした。防空壕のことは後にも先にも、このお友達の家でしか見たことはありません。

戦争につながる思い出といえば、あとは傷痍軍人さん。包帯を巻いたり三角巾で腕をつったり、松葉杖をついたりした兵隊さんを町中で時々見かけました。首に募金を入れる箱を下げていたように思います。

アコーディオンでもの悲しい曲を弾いて、お金を恵んでもらっている人もいました。私は何だか恐いような異様な感じがして、そうした兵隊さんたちのそばを急いで通り抜けていた気がします。戦後10年以上を経ても、そんな何とも言えない独特の空気が残っていた時代という気がします。

今思うと、中には演出でそれらしく装った物乞いもいたかもしれませんが、戦争が終わったとたんに無一物で放り出された兵隊さんや、大陸から引き上げてきたばかりという人もいたでしょうから、実際、物乞いしなくては生活できない人もきっと少なくなかったのだろうと思います。

こうしてみると、私の記憶はあんまりないですね。
戦争体験世代がいなくなったら、私の世代ではすでに伝えられないのだなあとよくわかりました。

子や孫に聞かせるおばあちゃんの一人語りになってしまいました。
ハイ、オシマイ。

ホントはどっち?

以前の記事の補足です。

辺野古の米軍基地移設のため、政府が海洋調査に自衛隊を送り込んだ件で、「平和推進派がいいね」を書きました。その中で、

東京新聞に「反対派のダイバーにボンベから空気を吸い込むためのレギュレーターを外され、おぼれかけた」と調査会社のダイバーが訴えた、とありましたが、

の部分について。追加情報です。

<触れれば暴力に発展する危険性があるので、とにかく相手の身体には触れない。もちろん言葉の暴力もダメ>と決めて活動している平和推進派がそのような暴挙に出るとは考えられないと思いながら、私も一応静観してきました。

その後、市民側は一切を弁護士に任せて事態を見守ることにしたそうです。

ところが市民が反論しないのを良いことに、そういう事実があったような話だけが一人歩きしている(意図的にさせている?)節があります。

私の見方では、むしろ逆です。

市民側ではなく、防衛施設局に雇われた作業員のほうが過去そのようなことをやってきたと思われます。

平良夏芽さんが講演で、<今まで私たちは(防衛施設局に雇われた)作業員から「メガネを外す、レギュレーターを外す、パージボタンを押す、足で蹴る」などの妨害行為を受けてきた>と語っておられるからです。昨年7月の講演でのことです。

さらに私が不審に思うのは、今回の調査終了後の会見で、久間防衛大臣がわざわざ事実確認できていないこの件を持ち出してこんなふうに語っているからです。(↓5/22沖縄タイムスの記事

------------------------------------------------ 

サンゴの産卵状況を調査する着床具の設置が終了したことについては「ダイバーの一人がレギュレーターを抜かれおぼれそうになったが、大したことにならずにほっとしている」と語った。

------------------------------------------------

基地移設に反対している市民に対して、悪い印象を抱かせるためとしか思えません。どうか平和推進派の市民の皆さんを信じて応援してくださいね。

生まれ故郷のあの場所

年に何回か神奈川県の某所を訪れます。
生まれ育った街です。

行くたびにその変わりようにビックリしてしまいます。もう何年かしたら、まったく別の街に変わってしまうかもしれません。

特に子どもの頃に遊んだ場所がなくなってしまうと、かつての土地の雰囲気や匂いまで失われてしまったようで、何だかちょっと淋しい感じがします。

浦島太郎みたいです。知っているはずだけど知らない街。

特に海岸近くに建っていた病院が取り壊されて、マンションになってしまったのは残念です。もともとは小高い丘を削って林の中に建てられたような、緑深い病院でした。

有島武郎や高山樗牛の石碑も建っていました。(有島武郎の奥さんは結核で療養、ここで亡くなりました)
あの頃は石碑のことなど興味もなく、病院の林の中で鬼ゴッゴしたりしていました。

裏庭には確か綿羊も飼われていました。

学校から病院の裏山を通り抜けて帰ってくると、綿羊とご対面。

弟は綿羊に追っかけられて恐かったと言っていたので、たぶん男の子達は悪さをしたからでしょう。
私は一度も恐い思いをした覚えはありませんからね。(単に忘れているだけ?^^;)

  。。。。。

こんなことを思い出したのも、永畑道子さんの「花の乱」に、有島武郎と妻のことを書いた部分があって、私のフィールド=例の病院も登場していたからなんです。(ただ「あ、あの病院ね」とわかる人にはわかるという程度なんですけどね)

そうしたら、これをキッカケに二つのことを書きたくなりました。

一つは私の子ども時代の遊び場と戦争の名残の場所について。
もう一つは、当時の女性達の言論風景や時代の空気のことについて。

つづく・・・。

こんな宿題

中学2年の時だったと思います。社会科の授業でこんな宿題が出ました。

「次の時間までにこれを全部暗記してくるように。」先生の指し示したページには、一面ビッシリと細かい文字が並んでいるではありませんか。1ページまるまる覚えてこいと言われるのです。

教室中がいっせいに、

「エエエエーーーー!!!」

「ムリー」「覚えられないよー。こんなに長いんだもん。」・・・、ブツブツブツブツ・・・・。先生は騒然とする私たちを意に介さず、

「いいから、覚えてこい!次の時間、暗記できたかどうか調べるぞ。」

・・・・・・・・

かくして次回の授業を迎え、先生の到着までみんなブツブツブツブツ(今度のブツブツは暗記のブツブツ)教科書とにらめっこで必死です。

とはいうものの、どこかで「まさか、本当にやらないよね。」と思っていたのも事実。私たちはタカをくくっていたのです。

しかし先生は教室に入るやいなや、授業のショッパナに言われたのです。

「さ、覚えてきただろうな?みんな。」とこともなげに言うと「じゃあ〇〇言ってごらん」と指名し始めました。

「次は自分の番かも」と、みんな必死で覚えました。こんなふうに、それからの何週間かは、授業は毎回同じ文章の「暗記」で始まりました。

・・・・・

おかげで私たちはその文章をすっかり暗記することができました。暗記には不平を言った私たちですが、でも、イヤではなかったんです。

なぜかというと、最初はなじめない感じのしたその文章が、読んでみるととても素晴らしい内容だったからです。そして読むたびに自分の国が誇らしく思えて嬉しかったからなのです。

その文章とは「日本国憲法 前文」でした。

「悪文だ」「難解だ」とか言われることもありますが、ちっともそんなふうに感じませんでした。

言っていることは中学生の私にもわかります。そしてとても格調高い日本語だと思いました。

あのとき暗記の宿題がなかったとしたら、憲法前文をゆっくり読むこともなく、価値に気づくこともなかったかも知れません。おかげで今では「改憲」などと聞くと、親友がいじめられているような気持になってしまいます。

というわけで、こんな宿題なら一生の宝物ですね。K先生には感謝・感謝です!

赤ちゃんのあんよ

Taku4 赤ちゃんを見ていると、平和だなあーって。

どんな理由もいりません。赤ちゃんを見ていると平和な心になります。

そしてその心がホンモノかどうかを試されているような気持がしてきます。

あなたの中に怒りはないですか?
あなたの中に憎しみはないですか?

赤ちゃんの澄んだ瞳に見つめられると、どんなウソもつけません。

赤ちゃんはとても大きな勇気をくれます。

何もしないで笑っているだけなのに…。

------------------------

辺野古の海は “ 波 高し ”
(インターネット市民新聞jANJAN)

「平和推進派」がいいね

辺野古で基地建設のための海洋調査を阻止している人達=「反対派」と呼ばれています。でも、このイメージは合っているでしょうか?

だって本当は「平和推進派(Bさんのパクリ ^ ^)」なんですよねー。

お友達のBさんはごくごくふつうの市民でいらっしゃいます。でも、辺野古に行くと「反対派」にされます。私も辺野古に座り込むと「反対派」になります。これってなんかヘンですよね。

自然や命を大事にする平和な海であってほしい、ただただその願いだけなのです。

「平和推進派」の私たち一人ひとりの協力を、辺野古に結集しましょう!
とにかく注目してくださいねー。よろしくお願いいたします。

辺野古から緊急情報 最新情報(?)がチェックできます。

   ◇ ◇ ◇ ◇

※ 辺野古に関する報道にはネガティブキャンペーンが含まれてきている可能性がありますので、注意深く読む必要がありそうです。
昨日の夕刊(「東京」)に「反対派のダイバーにボンベから空気を吸い込むためのレギュレーターを外され、おぼれかけた」と調査会社のダイバーが訴えた、とありましたが、現地では平和推進派のダイバー達が被害にあっているとの情報もあります。

今日の辺野古

Img_0243

きょう、辺野古に行っていたお友達から、メールが入りました。

Img_0244漁港近くの陸上に作業ヤードを作る計画があるので、座り込みをしているそうです。

。。。。。

Henokohama

機動隊はその排除のために派遣されているらしいですが、今のところ姿は見えないとのこと。(午後3時過ぎ現在)近くで待機している模様。

掃海母艦「ぶんご」は、辺野古沖にいるらしい。
支援者のお仲間は、陸に百人弱くらい、海上にカヌー隊、クルーザー、漁船がいるそうです。

昨夜からの徹夜組が次々引き上げていくので、ちょっと手薄な感じもするとのことです。

駆けつけてくださっている方達には本当に感謝しかありません。本当にありがとうございます。

でも、今後がとても心配です。久間防衛大臣が昨日の委員会でこんなことを言っています。

「防衛省を上げて調査に取り組みたい。(ぶんごの派遣については)人命救助など、あらゆる事態が想定されるので万全の体制を取っている」

と語っているからです。

「人命救助」「あらゆる事態」とは、誰の何を想定しているのでしょうか?

非暴力の市民を暴力で押さえ込み、無理矢理思い通りにする国家、「美しい国」とはこういう実態のカクレミノだったことが、こんなにもハッキリと見えてきてしまいました。

↑上の写真は05年の秋の辺野古。突堤の先でツリや散歩をする親子連れを何人も見ました。のどかでした。いつまでもいたい海でした。

私の立っていたあたりに、今、作業ヤードが作られようとしています。

辺野古の続報

今日二つめの記事です。

辺野古の続報を伝えるきっこさんの日記にリンクさせてもらいます。

きっこの日記

辺野古からのメールには、

「今日、深夜作業が強行されようとしています。
1人でも多くの方、辺野古へ駆けつけてください。」

とあります

この深夜、もしかしたらばるタンさんもkijimunaさんも辺野古に向かわれたのでしょうか…。とても他人事とは思えないでいます。

昨夜は300人あまりの人が辺野古に駆けつけたそうですが・・・。

このような辺野古の緊急事態も、ほとんど報道されていません。

皆さんにお願いです。
ブログやメールでお友達やお知り合いに伝えてください。または話題にしてください。もちろんご無理のない範囲で…。よろしくお願いします。

辺野古の不思議

Img_0231 私のパソコンのデスクトップは沖縄の海と空。
嘉陽という北部の海辺です。

辺野古に米軍基地ができたらこの風景も見られなくなってしまうのです。

Img_0235辺野古はここからもう少し南。でも巨大な軍事基地ができれば、この風景も環境も大きく一変することは間違いありません。

その辺野古に自衛隊が導入され、今日にも作業が開始されると言います。

A2 ←辺野古の米軍基地鉄条網に結ばれたリボン…訪れた人が平和の願いを込めて結んでいきます。

辺野古では、地元のお年寄りや市民が24時間態勢で見張りをし、がんばっています。いつ基地建設の事前調査が始まるかわからないからです。今までは防衛施設局に雇われた民間業者が調査にあたってきました。

それが今度は自衛隊。でも、命令された自衛隊も困っているそうです。環境調査などやったことがないし、海上保安庁のような警備の経験もないのですから。自衛隊の人だって、非暴力の市民を相手にしたくはないでしょうに。

辺野古の運動は徹底的に非暴力です。言葉の暴力もナシです。辺野古では、平和は暴力によって手に入れることはできないと、非暴力に強い信念を持って取り組まれています。こうした市民の声を国が力で押しつぶそうとしていることに、とても悔しくいたたまれない気持です。

でも辺野古に行くと、元気になれるから不思議。誰でも安心して自然体でそこにいられるんです。特別何かがあるわけでもなく、誰かが話しかけてくるというわけでもないのに・・・。

「辺野古に行くとね、平和を願っていいんだ。難しいことを知らなくても言わなくても、平和を願っていいんだ、って思えるのよ。だから辺野古に行きたくなるの。」辺野古ファンのBさんの言葉に、ただただ頷く私です。

     ☆  ☆  ☆  ☆

辺野古2007(ビデオ・メッセージ) 見てね!

夏芽さんのお話(5/2に書いた関連記事)

東京新聞 一面トップです。エライ!
「普天間移設 事前調査 施設庁、海自に協力要請」
掃海母艦  きょうにも作業開始
活動内容公表せず

●カンパの送り先

「ヘリ基地反対協」
郵便振替01700-7-66142

(もともとは辺野古にヘリポートができるという話から始まって、それがなし崩しに米軍基地移設に発展したので、「ヘリ基地反対」になっています)

白い花

070515_17360001 この植物の名前は?

通り過ぎてから甘い香りに気づいてふとあたりを見回すと、雑木林の間から白い花が顔を出していました。どこかで出会った懐かしい香りのような・・・、でも何の花だったか思い出せない。大人の背丈くらいの高さでした。(クリックすると大きい画像が見られます

何の花かと調べていたら、偶然こんなサイトに出会いました。ものすごく詳しい記述なので「なぜ?」と思ったら、それもそのはず植物学の教授の方でした。

道ばたの植物や、染料や、植物にまつわる逸話など盛りだくさん。たとえば、ハチと人間は見えている色が違って、ハチの方がもっと豊富な色彩の世界に住んでいて、遺伝子操作をする人間の方が新参者だとか・・・。

ホントに、人間はもっと謙虚にならなくては・・・、といつだって自然界は教えてくれる。

あー、それにしても、それにしても、このところの人間界は・・・・・。あんんなこと、こんなこと、そんなことが多すぎるのだぁ・・・・。

イ~ンヤ、アンタラ人間ハ、アキラメガ早スギル。ワタシタチヲ、ミナラッタラドウダ?

!!!!!

そうだね。あきらめない。
いつだって光に向かって伸びる。
たくましく、いきいきと。アスファルトやコンクリートもブチ割って芽を出すものね!
緑のつややかな芽を、
光に向かってね!

辺野古に!!!

今朝メールを開いたら、時々トラックバックくださる「dr.stoneflyの戯れ言」さんより、こんなトラックバックが届いていて驚きました。

辺野古の海洋調査を止めようと非暴力で対抗している民間人に対して、自衛隊だなんて!!!

警察でもなく、機動隊でもなく、一足飛びに自衛隊だなんて・・・。パフォーマンスにしてもひどすぎです。

沖縄戦で、沖縄の多くの人達が国家の犠牲になりました。今再びその構図がクッキリ浮かび上がってきたということなのでしょうか。

先日、「夏芽さんのお話」を書いたばかりだったので、なんとも言葉がない感じです。

詳しいことはまだわかりませんので、今日はとりあえずここまで。

皆さん、辺野古のニュースに注目してくださいね。

なりたい職業

今日はこどもの日。

「おとなになったら何になりたい?」なりたい職業を子ども達に訊いてみたら・・・。

<女の子>
1. 食べ物屋さん(1)
2. 保育園・幼稚園の先生(2)
3. 看護師さん(3)
4. 飼育係・ペット屋さん・調教師(7)
5. お医者さん(10)
6. ピアノ・エレクトーンの先生・ピアニスト(8)
   学校の先生[習い事の先生](3)
8. 歌手・タレント(6)
9. 漫画家(16)
10.美容師さん(11)

<男の子>
1. 野球選手(1)
2. サッカー選手(2)
3. 学者・博士(3)
4. 食べ物屋さん(4)
   警察官・刑事(6)
   大工さん(9)
7. 消防士・救急隊員(8)
8. お医者さん(5)
9. 学校の先生[習い事の先生](13)
10.漫画家(27)

※対象は保育園・幼稚園・小学校の子ども達です。
 ( )は前回の順位。(第一生命保険調べ)

女の子にも男の子にも選ばれたのが、「食べ物屋さん」「お医者さん」「学校の先生・[習い事の先生]」「漫画家」

なりたい職業の半分近くが男女共通ということは、性差による職業分けがだんだんなくなってきたということかもしれません。

「男の子だから~」「女の子だから~」と縛られずに職業が選べるようになってきたとしたら、とっても良いですね。

それにしても、保育園や幼稚園児からもアンケートを採ることができるなんて、そのことにまずビックリ!

私達の小さい頃は、大きくなったら何になりたいかなんて、せいぜい小学校に上がってからでなければ考えたこともない子どもがほとんどだったと思います。

ただただ、毎日ノーテンキに鼻水垂らして、泥んこになって遊び回っていた気がするんですよねー。

ところで、そんなのんきな「昔」っていつですかって?

ウーン・・・引き算、引き算。・・・ザッと・・・5、5、50年前???!!!
月日の流れるのは本ーーー当に早いんですね。ショック!

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

【お知らせ】明日、5月6日(日)夜10時~11時半です。


NHK教育テレビ ETV特集「焼け跡から生まれた憲法草案」
(2月10日放送のアンコールです)

夏芽さんのお話

ハッキリ言ってけっこう衝撃でした。そしてなぜか涙が出てきます。(スミマセン、超長いです)

平良夏芽さんは、沖縄の辺野古で米軍基地移設に反対する「沖縄平和市民連絡会」という団体の中心的人物の方で、本業は牧師さんです。

うっかり、米軍基地移設に「反対」と書きましたが、夏芽さんはまずコレを否定します。反対ではなく「阻止行動」だと。

優しく穏やかな口調で終始笑顔を絶やさないが、出てくる言葉はきっぱりと強い。

「反対だったら道路脇で旗を振っていればいいんですが、阻止すると言うことは、トラックの前に立ちはだかってでも止めると言うことです。」

ガーーーン!(そう言うことなんだ!うなだれるワタシ)

そして、どんなことがあっても非暴力で阻止するということ。たとえ自分がやられても、仲間がやられてもあくまで非暴力。

平和のための闘いが暴力であっては意味がない。言葉の暴力を含めて、どんな場合も暴力を使ってはならない。

そのために相手に触れたら暴力に発展する可能性があるから、絶対に相手に触れない。とにかく調査用の器材にしがみつく。はがされてもはがされてもしがみつく。

以前見た写真では、私の目には阻止行動の人達は皆ウエットスーツを着たり、カヌーに乗ったりして、みんな海を知り尽くしたプロのように見えていた。

でも違ったのです。みんな素人で、9割がカナヅチだったそうです。とにかく「止めなきゃ」という一心で、カヌーのこぎ方を覚え、ダイビングライセンスを取って、海に出て、(防衛施設局が調査のために投げ込んだ)器材にしがみついたのだそうです。

数十秒しがみついては海上に出て交代、別の人が潜る、を繰り返した。ライセンスを取った翌日に潜って、海底の器材を追っかけてドンドン潜ったら、すでに酸素タンクは使い切っていたこともあったそうです。

そうした命に関わる危険と紙一重の阻止行動だったことが次々に語られる。それでもあいかわらず夏芽さんの口調は穏やかだ。

そんな夏芽さんにとってさえ一番きつかったのは、仲間がやぐらにしがみついていたときに、指を一本一本はがされて鉄パイプの上に落ち、大けがをして運ばれたときだったそうだ。

「自分への暴力はガマンできます。でも仲間がやられると殺意が芽生えるんです。自分の殺意を抑えるのが一番きつかった。」

でも非暴力でなければ平和を求める行動そのものが意味がなくなってしまう。そして、仲間がやられたときに、作業員に向かって言った言葉。

「あなた達を敵とは思っていないよ。あなた達にも家族がいるし、働かなければならないのもわかる。私たちはあなた達を敵とは思っていないのだから、だから気をつけてね。」

「仲間がやられたときにこの言葉を言うのは本当に勇気がいる。」夏芽さんをしてこう言わせるくらいたいへんな一言だ。

(そして、ふと思う、きっと人はこう言うとき武器を持っていたら使うだろうなと。武器を持っている人はもっとその手を止めるのは難しいだろう。夏芽さんの何十倍も。)

「こういうことを続けていると、作業員の人とも親しくなります。そうするとこちらを殴れなくなる。殴らないのではなく、殴れなくなるんです。

でも施設局はお金があるので入れ替わりに、新しく次の作業員を入れてきます。また最初から阻止行動が始まります。」

なぜこんなに必至に止めるのか。それは今沖縄が加害者になっているからだ。かつては犠牲者だった沖縄が、戦後は朝鮮戦争、ベトナム、イラクと、米軍爆撃機の飛び立つ島、加害者になっているからだ。

長崎原爆もサイパン(正:テニヤン)から飛び立った爆撃機が帰りの燃料を伊江島(正:沖縄本島で給油できなかったら、なかった。(でもそれは沖縄のせいじゃない。そこまで背負わなくてもと思ってしまう。じゃあ誰が背負うの?日本人みんなが背負わなくてはいけないことじゃないのか)

60年代、ベトナムに寄付を届けたとき「ありがとう」ではなかった。「爆撃機を止めないで薬を持ってくるとは何事かと言われた。『ひどいじゃないか、寄付を届けたのに感謝の言葉もなく。』と思う人もいると思う。でも、そうでしょうか。殺される側の身になった時に、私たちは素直に感謝できるでしょうか。

イラクのファルージャに薬を届けたときも、感謝の言葉ではなかった。医師から静かな口調で言われた。「この子がこうなっているのはあなたの島から来た爆撃機ですよ」と。

「私が帰国した直後、ファルージャが猛攻撃にあって6000人が殺されました。辺野古のキャンプシュワブから出た爆撃機がやったんです。・・・私のヒゲはイラクに戻るためのヒゲです。そのとき失礼のないように・・・。」

辺野古の反対運動に集う人にはいろんな思いの人がいる。世界で最も大きな破壊は戦争だということで思いを一つにして頑張っています。

今度の海は大浦湾です。今までと違って深い。何十メートルの深さ。今度沈んだら大変なことになる(人間疲れてくると沈んでいく。今までの阻止行動では海底から引っ張り上げて舟に乗せていた)。

皆さんがカメラを持って近くに潜ってくれているだけでもずっと違う。どうかできることで一緒にがんばりましょう。(話の様子から聴衆は潜水のプロの方達のよう)(2006/7の講演)

長くなってしまいました。要点だけと思ったのに、どれもとても心にしみる言葉だったのでつい。ビデオの雰囲気はとても伝わらないと思いますが、書いてみました。

沖縄平和市民連絡会(夏芽さんの講演)
(別の日の講演の全文がテープ起こしされています。)

※赤字部分、5/29訂正。

ベアテさんの贈りもの

ベアテさん、頑張ってくれてありがとう!それにケーディスさんも。

と、思わずお礼を言いたくなるような日本国憲法の成立過程です(NHKスペシャル4/29)。

だって、こんなこと言ってたんですよ、当時の日本側の委員は。

「男女平等の思想は日本の国民にあわない。歴史や文化にもあわない。」

よって削除するように、とGHQに求めたそうです。

それに対して、GHQのケーディス大佐がうまく日本側を説得して、憲法に男女平等が入れられることになったそうです。

若いアメリカ女性のベアテさん。当時、憲法の起草にあたって、これほどうってつけの人もいなかったのではないでしょうか。(※)

肝心なことは、実際に24条(男女平等の条文)があって本当に良かったということです。女性である私は今までに何度かこの条文に勇気づけられてきました。

つくる人に人権意識がなければ、たとえ日本人がつくったとしても、良い憲法にはなりませんよね。

日本人がつくった悪い憲法より、誰がつくったとしても良い憲法の方がずっといいです。

結局私のすごくおおざっぱな見方では・・・・、

天皇中心の国にしたい日本政府と、日本の軍国化への歯止めをかけたいGHQや極東委員会の狭間で、虚々実々の協議が続けられた結果、思いがけず<国民主権・平和主義>の<奇蹟のような憲法>ができあがってしまった。

・・・・という気がするのです。

番組では、単に押しつけられた憲法ではなく、日本側の意向が反映されて憲法の条文ができあがっていったことがわかりました。

当時の日本側委員長が「戦争放棄を高らかに宣言しよう」と述べているくらいなのです。この時代の空気=当時の人々の悲願が、背景にあっての政治家の発言だと思います。

また、愛知県の教師達の強い要望で「小中学校を義務教育にすること」が盛り込まれました。原案では小学校のみでした。教育の不平等が戦争に向かわせたことの反省からです。

また、「生存権」を加えることも日本側から出されました。国が負う責任とは別に、国民一人ひとりが生存の権利を持っていることを明記する必要があるという考えからです。

こんなふうにみんなで考えてつくった憲法は、決して押しつけなんかではありません。私たち国民が選びとった憲法なんだと、改めて思いました。

ベアテ・シロタ・ゴードンさん
日本に10年間滞在し、渡米後再び日本に戻ってGHQ民政局で働く。六カ国語を話すフェミニストで有能なりサーチャー。当時22歳で憲法起草委員としてただ一人女性として選ばれる。

« 2007年4月 | トップページ | 2007年6月 »

2014年6月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30