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日本の青空

Ao 映画「日本の青空

(沖縄の海と空)

憲法はアメリカの押しつけではなく、日本人の意志だった。戦後まもなく、GHQや政府に憲法草案を提出した在野の研究者達の集まり「憲法研究会」があります。その中心人物の一人鈴木安蔵さんを中心に描いた映画です。大澤豊監督(「GAMA- 月桃の花」ほか)、藤谷美紀、加藤剛ほか出演。

8月15日の空は青空だったのですよね。

~~~~~~~~~~~

昨日の「女性は産む機械」発言は、海外でも一夜にして広まってしまったのだそうです。ドイツ在住のジャーナリスト梶村太一郎さんによれば、「産む機械」とは、--------------

日本では聞き慣れないこの言葉は、欧米では古くから使われており、現在では女性差別に使うことなど論外です。
現在では、環境や動物保護の関係で「ニワトリを産む機械として扱ってはならない」といった関連で使用されることが普通です。それを厚生大臣が自国の女性に対して使ったものですから報道されるのも当然です。

--------------だそうで、ガッカリします。でも、こういう政治家を選んでいるのは私たちなんですよね。ハァ-。

明日のお天気は晴れ?
せめて青空を見て、気分を変えましょう

機械だったの?

人間は数に置き換えられない。だから、多いとか少ないとか人数に置き換えて考えるときは、ものすごく慎重にしなくてはいけないんだなぁと思ったことがありました。

以前、大田昌秀さんの講演を聞いたときのことです。大田さんは沖縄戦で九死に一生を得て、その後沖縄県知事になりました。

大田さんの話には何度も沖縄戦の戦死者数が出てきました。大田さんはそのたびに「18万8136人(だったか、とにかく1の位まで)」と言っていました。「18万8136人」「18万8136人」・・・。講演の中で一度も「約18万」とか「19万弱」とか言いませんでした。

もちろん要約して表現しなければならないときもあるでしょうが、沖縄県知事である大田さんとしての、一人ひとりの生命への尊重であり、自戒でもあったのだと思います。

同じような生命への配慮では、養老孟司さんがこんな意味のことを言っています。「<本日の交通事故の死者数>とかいう掲示があるけれど、あれはおかしい。人の死は数に置き換えられないからだ。多いか少ないかで語れない。それを数にしてしまったから、人の死(生)が見えなくなってしまっている。」

統計などでどうしても人間を数に置き換える必要があるときには、細心の注意を払い、普段以上に人権を意識しなくてはいけないのだと思います。

柳沢厚生労働大臣が「産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」と、女性を機械にたとえて、少子化対策を解説したそうです。「機械って言ってごめんなさいね」と言いながら話したというのですから、開いた口がふさがりません。

即刻大臣をやめていただきたいです。とにかく私は、非常~~~に、気持ち悪いのです。

参考)・ナチスドイツの「レーベンスボルン計画
    ・「産む機械」という芸術作品(H.R.ギーガー(美術館)…映画「エイリアン」のデザインで有名)

ティータイム

070124_16030001 「おまかせケーキセット」
何が出てくるかわかりません。

その日のパティシエの気分にお任せなんです。
この日、私のはチーズケーキのバリエーションでした。

゜゜゜゜゜

道路に面したカウンター席。ケーキをほおばっていたら、下校途中の小学生と目が合ってしまいました(^ ^)

友人とのんびりお茶を飲みながら、窓の外を、友達とオシャベリしながら帰って行く小学生を眺めている。何でもないようでいて、すご~く幸せなことなんだろうなぁって、シミジミ思ってしまいました。

〇安心してイスに座っていられること。(爆弾が落ちてきたり、かくれたりしなくていい)

〇おいしい食べ物があること。(食べ物があるだけでも感謝)

〇暗くなったら電気がつくこと。(イラクでは今でも電気は時間制限)

〇きれいなお水が飲めること。(汚い水しか飲めずに死んでいく子どもたちも)

〇安心して空気を吸うことができること。(日本軍が捨てた毒ガスを吸って傷害を負った子ども達)

なんて言っていると、ケーキがのどを通らなくなりそうですね、でも大丈夫。いつもの数倍感謝しながら、おいしくいただきましたよ。

たかが看板、されど…

国有地につき 立ち入りを禁ず

一級河川 庄内川   国土交通省」

ここは国有地です。
ゴミの投棄や
立ち入りを禁ず
    建設省 相模原市」

街中や道路沿いに、こんな看板を見かけることがある。何気なく見ていて、たいして違和感も感じていない。多少「えらそうな表現だなぁ」とか、「一級河川て?」とか、チラッと思ったくらいだろうか。

で、「皆さんはこれをどう見ますか?」と訊かれて、・・・・

・・・・・・

・・・・・あー!

<解説>
国有地の所有者は国民。だから道路は誰もが歩くことができるわけだ。だとしたら国民が立ち入りを禁じられるのはおかしい(もちろん、特定の目的のために進入が禁止されることはある)。逆に「私有地だから進入を禁ずる」ならわかる。

一級河川は国や県のどこが管理するかを示す区別であって、一般市民には必要のない情報。なぜそれをわざわざ看板にしているのか?行政が役割を誇示しているようにも受け取れないだろうか。

三番目の例は、
・私有地ならゴミの投棄が許されるのか?
・ゴミと人間を併記するところに、人権感覚の欠如はないか?
・建設省は国土交通省に変わったが、看板は書き直されていない。そのことを住民も気にしていない。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

公(おおやけ)と私たちの関係、原点に戻って考えてみては?という話でした。藤田弘夫(慶応大学教授「路上から読むお国柄」NHK教育TV「視点・論点」)

たまたま見ました。ちょっと気になる指摘でした。

ゆとりの三線

先日小学校の先生何人かと話す機会がありました。
新聞やテレビの報道では、学校はとんでもなく恐い所であるかのようなイメージになってしまっていますが、いろいろあってもやっぱり子ども達にとって、悲喜こもごもの生活の場だし、大半の子ども達にとって、学校はやっぱり楽しい所なんだなと、安心もしました。

オマケによい話も聞いちゃいました。
ある一人の若い男の先生が、半年くらい前から三線を習い始めたそうです。「まだ一曲しか弾けません」と言っていましたが、3月の卒業式には、自分のクラスの子ども達に披露することになっているのですって。

なにせ、休日もないくらいに忙しい毎日と聞いていたので、趣味やリラックスの時間もなく、若いのに大変だなあと同情していました。その彼が、楽器を習い始め、子ども達に聴かせてあげるというのです。

彼から音楽の話とか聞いたことなかったので、「へえー、すごい!」と思い、さらにそれが私の好きな沖縄の楽器で、しかもそれを子ども達の前で弾いてあげる。
私はますます感動して、「それはいい、それはいい!がんばれ、がんばれ」ってさかんに応援してしまいました。

クラスの子ども達、うれしいだろうなぁ。先生が楽器を演奏して、送り出してくれるんですもの。

先生にゆとりができると、子ども達に対しても余裕で接することができますね。ゆとりは大事です。国は「ゆとり教育」から方向転換だなんて聞きますが、本当の「ゆとり」はなくしちゃいけませんよね。
子どものゆとりも、先生のゆとりも…。

グリーンはクリーン?

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◇ ◇ ◇

 日曜日の朝から、またまた気分よくないで~す。以前(11/13,14)にも書きましたが、「原子力発電環境整備機構(NUMO=ニューモ)」のデカデカとした広告が3段抜きで掲載されていました(東京新聞・1/21)。
詳しくは上の記事を読んでくださいね。

地域によってはこうした広告が掲載されることも少なくないようですが、首都圏に近い埼玉で掲載する意味はなんなんでしょう。
他紙でも掲載されているのでしょうか?

無視すればいいのかもしれないですが、サブリミナル効果ですり込まれるのはイヤです。緑と青のクリーンなイメージの広告に惑わされないよう、おたがい気をつけましょうね!

  ◇ ◇ ◇

余談・・・同じグリーンでも、晩ご飯に使った「下仁田ネギ」は、濃い緑がおいしかったです。こっちのグリーンは◎ですよ!

   

キミはエライ!

Mikan ご覧の通りの外見。そして小さい。たぶんワックスも掛かっていません。写真で見るときれいですが、実物はちょっとしなびかかっています。 

二回りくらい大きくて立派なミカンの中に、このミカンの仲間が二袋だけ混じっていました。
直感で「コレ!」、と選びました。

果たして、皮はしなびかかっていても、中身はあの薄い外皮でしっかり守られていました。酸味と甘み、両方がぎっしり詰まって果汁たっぷり。昔のミカンの味というのかなぁ、ここ何年も食べたことがないくらい味の濃いミカンでした。

思わず、「エライ!」、と思ってしまいました。

フカフカの土に根を張って太陽をいっぱい浴びて育ったのだろうなぁ・・・。大地の栄養、太陽のエネルギー、いっぱい自然の恵みが詰まっていそう。

感謝していただきます。

白い割烹着

「白い割烹着」に、そういう意味が・・・、知りませんでした。

ばるタンさんのブログを覗いていたら、「国防婦人会」の話が出てきました。戦争中、「銃後の護り」に活躍した女性達の団体のことです。映画「硫黄島の手紙」にも出てくるそうですね。うちの母も竹槍訓練とかやらされたというのは聞いていましたが、それが国防婦人会だったのかどうか?知っているようで知らない「銃後の護り」。

で、ちょっと調べてみると、郷土の研究をしている「桜の女性の戦争体験」というサイトに出会いました。当時の女性達がどのような思いで過ごしていたか、アンケートの結果が載っています。貴重な記録ですね。

それによると、国防婦人会は既婚女性の団体で、未婚の女性達は入れなかったようです。白い割烹着は公式行事にも通用する「国防婦人会の」いわば制服だったんですね。そして、この調査によると、国防婦人会以外にもいろいろな団体があって、女性全体の80%がいずれかの団体に属していたことになります。

母は当時未婚だったので国防婦人会には入っていないとわかりました。正直、ちょっとホッとしたのですが、その当時結婚していればイヤも応もなく入ることになっていたでしょう。

「(会に)入った事情・入らなかった事情」「実際に活動した内容」「出征兵士を見送ったときの気持ち」「戦争中を振り返って」などの質問が並んでいます。そして85%の人が当時の「銃後の護り」を肯定的に見ていることと(仕方なかった44%・良かった41%)、15%の人が「よくなかった(反対すべきだったほか)」と振り返っていることがわかります。
いろいろ示唆に富んだ内容です。

「もし今、私だったら?」と思いめぐらす想像力、う~~んと働かせなくっちゃ!

新しい記念日

Syowa 今朝の朝刊一面の片隅に、こんなお知らせがありました。

そういえば、何年か前「みどりの日」が変わるというような話がありましたね。

…***……***……

●激動の日々を経て、復興をとげだ昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす日として、今年から四月二十九日は国民の祝日「昭和の日」となりました。

●「みどりの日」は四月二十九日から五月四日に変わります
だそうです。

もともと4月29日は昭和天皇の誕生日でしたが、亡くなった後もこの日を昭和記念日などの名称で残したいという人達がいました。賛同する国会議員などによって議案は何度も国会に提出され、2005年の国会承認により祝日法が改正され、今年から「昭和の日」として制定されました。

こういう推進運動が。(勝手に国民の声なんて言わないでネ。ワタシ頼んでませ~ん)

5月4日を国民の祝日として制定した上で、今回「みどりの日」をそこにお引っ越しさせ、「みどりの日」だった4月29日を「昭和の日」にするというこのやり方が、なんだかねぇ…。

「昭和の時代を顧みて、国の将来に思いをいたす」……単なる回顧になりませんように。

匂いもごちそう

空き地にトラックを止めて、野菜を売っているおじいさんがいます。道路脇に焼き芋の釜が置いてあるので、通り過ぎる時、匂いに誘われてついつい足を止めてしまいます。

ということで先日、このおじいさんから焼き芋を買いました。おじいさんは釜から焼き加減の良さそうなのを選び、クラフト紙の袋に入れてくれました。このクラフト紙の袋というのが、ワタシ気に入ってます。紙に包まれると、食べ物が一段とおいしく思える気がするのです。その原因は主に匂いにあるような気がします。

焼き芋の温もりが袋を通してジワ~~っと伝わってきます。と同時に、焼き芋の熱で紙袋が温められた匂いが、また何とも言えずおいしそうです。

  △ △ △ △ △

思い出すのは、子どもの頃、母について買い物に行き、肉屋さんでコロッケを買ったときのことです。あの頃はプラスチックのパックやビニールコーティングした紙などはなかったので、「経木」に包んでくれました。木の皮を薄く削って作ったアレです。

母が注文した揚げたてのコロッケやシュウマイを、肉屋のおじさんが細長い経木の真ん中に手際よく並べ、経木の左右を折りたたんで、真ん中を、これも経木を裂いて作った紐でしばります。しばるといっても蝶結びや片結びにするのではなく、包みの上を二回くらいグルグルと巻いて、紐の端を、巻いた紐の下にくぐらせて留めるだけです。なのに、ピチッと留まる。それを、薄い緑色の包装紙でくるんでくれました。

これら一連の動作の早いこと!小学生の私は、おじさんのその手際の良さを、手品でも見るような思いで見ていた記憶があります。(もしかしたら口がポカンと開いていたかも)。

  △ △ △ △ △

かくして、揚げたての熱々のコロッケは、あの経木や紙の包装紙を通して、いっそう食欲をそそる魅力的な香りを放っていました。というわけで、匂いもごちそうのうち、焼き芋もコロッケも紙袋がお勧め、と思うのは単なる郷愁、かな?

「白バラの祈り」続き

(更新後に、情報追加しました。最後に掲載)

前回ご紹介したサイト「白バラの祈り}のインタビュー映像ですが、見られない方もいらっしゃるようなので一部を抜粋してみました。(といっても長くなってしまいました)

インタビュー映像は「アレクサンダー・ヘルト(尋問官役)」「マルク・ローテムント監督」「監督とユリア・イェンチ(主人公ゾフィー役)の記者会見」の3つが納められています。(----から----まで。)

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<日本の皆さんへメッセージ>

●私たち現在に生きる人間は当時のゾフィーほどの勇気を出す強い力は必要ではないかもしれません。それでも比較的自由である現代でも自分の意見や信条を明らかにしていく場面はあると思います。この作品はゾフィー・ショルから私たちが受け取るべきメッセージであり、私たちが自分でもそれを実践できるようでありたいです。過去の過ちから何かを学ぶことはとても重要なことだと思います。私自身は寛容な人間であるつもりですが、その私が寛容でいられなくなるとしたら、過去の過ちから何も学ぼうとしない人達に対してです。(アレクサンダー・ヘルト)

●ゾフィー・ショルは人間の根源は不可侵であると訴えています。そのことが早く認められ、死刑制度が早く廃止されればと思います。(字幕には出ませんでしたが、日本とアメリカを指していると思われます。「ヤーパン」「アメリカ」と聞こえたので、たぶん…^ ^;)

私の祖父母もナチス党員でした。私は1968年生まれでナチスの戦争犯罪に対して責任感はまったく感じていません。ホロコーストとかユダヤ人に対しても、私自身の責任ではないと感じています。しかしその一方で、こういった大量殺戮により多くの犠牲者がいたという記憶を、自分たちの世代に残す大きな責任があると思っています。これは平和と自由に関して描かれた映画なので、ぜひ観ていただきたいし、この世界でも平和と自由が訪れることを願っています。(ピースサイン!マルク・ローテムント監督)

●多くの人が見てくれてその感想が私たちの所に戻ってくると嬉しい。反ナチの映画というより、勇気を描いた個人の映画としてとして捉えてくれているのが嬉しかった。(ユリア・イェンチ)

<ゾフィー・ショルについて>

●「生き証人達はゾフィーをシャイで目立たないけれど温かい心を持っている誠実な人だったと言っている。尋問官に毅然と立ち向かう内面的な強さがあるとは思ってもいなかったとも言っていた。」(監督)

<ドイツではゾフィー・ショルについてどのくらい知られていますか?>

●「ドイツにはゾフィー・ショルという名のつく学校が全国に190あります。授業ではナチス犯罪の他にどういう人が抵抗運動をして、そのために命を落としたかということも教わります。大手テレビの「時代を超えたベストドイツ人」という視聴者アンケートでは、第一位がアンゲラ(メルケル)首相、四位がショル兄妹、30代以下のアンケートではショル兄妹が第一位です。

多くの歴史家とともにドイツ連邦公文書館の資料を当たり、一年半に渡り調査をした。人民法廷の議事録、兄や他のメンバーの書類、処刑の記録、当時の生き証人の方の証言もたくさんあった。(ゾフィーのお姉さん、取調官の息子さん、白バラメンバーの生存者達など)私たちは、80~90歳代の戦争世代の人達から話を聞ける最後の世代なので、いろいろな話を聞かせてもらった。」(監督)

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ドイツにおける戦争を風化させない教育、誤りを誤りと認めて時代に歴史の教訓を残す努力が感じられます。日本では歴史教科の「未履修」や、「教師が偏向教育すると困るから、古代史から教える(=近現代は学年末で時間切れになるように)」(町村文部大臣のNHKテレビでの正直な発言)など、子ども達に歴史の教訓が受け継がれていないのがとても心配です。

PFCさんが昨年、関連記事を書いていらっしゃいます。

PFCさんに教えていただいた ホロコースト記念館 (福山市)

ばるタンさんのブログにも、おいしそうなジャムの話と一緒に関連記事が。

追加情報法学館憲法研究所の「白バラの祈り」解説 (「人民の名において」と人民裁判で裁かれていることに注目。)

白バラの祈り

映画「白バラの祈り」を観ました。見終わると誰かと話したくなる映画です。

で、とりあえずネットで検索してみました。上のサイトの「movie」で、尋問官役のアレクサンダー・ヘルトとマルク・ローテンムント監督のインタビュー、および監督とゾフィー役ユリア・イエンチの来日記者会見の模様を見ることができました。

おきまりのインタビュアーの「日本の観客の皆さんへ一言」という質問に対しても、アレクサンダー・ヘルトや監督が、当たり障りのない社交辞令ではなく、「日本の死刑制度」にも触れるなど、映画の内容にも呼応した内容のあるインタビューになっています。各国での上映会では、上映後にQ&Aの時間が組まれた所が多かったというのも、とても納得できました。
そう、誰かと話したくなるのです。

カラッポ!

夕方、スーパーに買い物に行きました。油揚げを買うつもりで豆腐のコーナーに行ったところ、売り場の冷蔵ケースの一角がすっかりカラッポ。いつもは納豆の置いてある所のはず。きれいサッパリ一つも残っていません。「へー、こんなこともあるんだ」と思いつつ、買い物をすませ帰ってきました。

買った物を冷蔵庫にしまい、ふと夕刊を広げて、あのカラッポの冷蔵ケースの意味がわかりました。新聞の見出しは
「TVでダイエット効果…今度は納豆 品切れ続出」とあるではありませんか!

それにしてもテレビの影響力はスゴイですね。かつて石油ショックの時にトイレットペーパーがなくなると言って大騒ぎになりましたが、あの時きはまだ、社会現象のようにある程度の時間経過がありました。ところが今は、ある番組で紹介されたというだけでこの「効果」。

でも………はたして、これで大丈夫かな?

テレビの情報次第で、あっという間にどんな風にでも動かされてしまうんじゃないかって、ちょっと心配になりました。心配しすぎ、・・・・だといいんですけど…。

迷いどころ

食品の賞味期限が一日だけ切れているとき、皆さんはどうしますか?

私の場合、物にもよりますが、まず見て、匂いをかいで、さわってみて、色や形状、感触などから判断します。五感に頼るというわけです。そしてたいがいの場合は、OKサインが出て、食卓に上ります。と、もったいぶって書くまでもなく、一日(二日?三日?)くらいならほとんど問題なく食べちゃいま~す! ^^;

大体あの賞味期限はあまり当てにならないと思っています。賞味期限内でも夏場など傷みかけている場合もあるし、物によっては賞味期限から2~3週間経ってもなんともないものもあります。ということで私は自分の五感が判断基準です。

でも気になる人は一日でも過ぎたら気になるし、これは個人差が激しいと思います。経験から言うとご年配者は自己判断が基準で、比較的若い人は表示を判断基準にしているようにも思います。(親の影響で、我が家のように若くても自己判断、ほとんど食べちゃう派もいますから一概に何とも言えませんが (^ ^;)

    ○ ● ○ ● ○

ところで企業の場合はどうなんでしょう?某洋菓子メーカーが賞味期限が一日切れた牛乳を使用して問題になっています。安全が保証されないのは困るので、その点はキチッとやってもらうとして、本当に賞味期限が一日切れると加工するにも向かないのでしょうか。もし加工方法によっては使えるなどとなれば、利用度も上がります。

ちなみに大手コンビニチェーンが一年間に捨てた賞味期限・消費期限切れ(または間近の)食品は400億円にも上るそうです。他の企業も含めると、日本全体で一年間ではどれくらいになるのか。デパ地下のバイトをした主婦が、一日の最後に捨てられる食品を見るのが辛くてバイトをやめたという話も。
環境gooロハス

安心して食べられて、同時にムダのない消費・・・むずかいけど、考えないと・・・。大丈夫だからといって何でもカアチャンのお腹にいれるわけにもいかないのよ。そんなことしたら今度は医療費(&衣料費)がかさむんだから。

やさしいことばで

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 ‐‐‐‐

「やさしいことばで日本国憲法」
 新訳条文+英文憲法+憲法前文
 池田香代子訳 C.ダグラス・ラミス監修・解説

わたしたちは、

平和をまもろうとつとめる国際社会、

この世界から、圧政や隷属、抑圧や不寛容を

永久になくそうとつとめる国際社会で、

尊敬されるわたしたちになりたいと思います。

We desire to occupy an honored place in an international society sriving for the preservation of peace, and the banishment of tyranny and  slavery,oppression and intolerance for all time from the earth.

<正文>
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

・・・昨日引いた部分を三種類の文章で並べてみました。私は正文のほうが好きかな・・・。正文の翻訳は白州次郎さん等数名が3日で仕上げたとか。悪文との評もありますが、簡潔で格調高い訳だと思います。

「60年」は古くない

ネット投票は当てにならないから最近は積極的に投票はしません。と言いつつも、一度サイトを覗いてしまうとやっぱり気になってしまいます。

あなたは憲法改正に賛成ですか?反対ですか?

最初見たときは、賛成派が圧倒していたので、その後は見る気もしなかったんですが、今日見たら反対票が増えていました。少しずつ反対票が増えているようではあります。もちろん、当てにならないとはいえ、知った以上は見過ごしにできないので投票しましたけど。(重複投票はできないようになっていると聞きます)

賛成派の意見を読むと、「違う、違うってばぁ!」と心臓がバクバクしてきそうになるので、あまり精神的によくありません。大事にしているものが脅かされる危機感ていうのかな。賛成する人達の意見を見ると、イメージや、何となく「改正」したほうがよさそうということで賛成している人も多そうです。
でも無理もない。なにしろ改正したがっている当の首相の説明が「今年は制定から60年だから改正したい」というわけのわからない理由ですもの。

私は逆だと思います。60年間も立派に、戦争で一人の死者も出さないことに貢献した憲法をお祝いしたっていいはずですよね。60周年記念として!

「われらは、平和を維持し、先生と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。」ので、60年を80年、100年にしていきたいです!

時には電気を消して

Candle2_1 キャンドルを作りました。100万人のキャンドルナイト。電気を消して、キャンドルで語り合う。

小学校の先生の研修会でのおみやげ。地球温暖化の問題、省エネ、スローライフ…、環境教育もここからなら楽しく入れそうです。

☆★☆★☆★☆★

ということで、昨日は帰宅後、そそくさとつくった七草ならぬ「そそくさ」がゆ。なぁ~んてダジャレにもならない「一草がゆ」でした。セリのみ(^ ^;。でも、バッチリ一年の健康を祈願しつつ、いただきましたよ。

さて、数日前「夢がない…か」を書いた後に、保坂展人さんのブログに、気づいたことを送りました。そしたら思いがけず掲載されてしまいました(1/7)。保坂さんも書いていますが、統計や論ではなく、自分たちの実感が大事だと思います。今、教育と聞いただけで重くなりがちですが、実際の現場の声を聞くことで、勝手にイメージだけがふくらむ危険を避けることができます。

昨日の研修会でも、現場の先生のたいへんさと同時に、子どもたちと楽しんでいる先生の顔や、子ども達や親の状況も見えてきて、うまく言葉にできないんですが、私自身も何だか元気をもらってすごくうれしかったです。問題は複雑なようですが、大事なことはすごくシンプルなんだ、って改めて思いました。そのシンプルなことを、ある意味愚直に追求していくことが、意外と問題解決の近道かもしれないなぁって、ね。

七草がゆ

Seri せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ。

明日は七草。
「七草がゆは、七草が揃わなくてもいいんですよ。手に入るもので作りましょう。今年一年のみんなの健康を祈る、その気持ちが大切なんですから。今日は、セリとスズナ(カブの葉)の二種類だけです。」と柳原一成さんはトントンと菜っ葉を刻み、包丁でトントンと叩く。菜っ葉を叩くときの歌まであるそうだ。柳原さん、伝承歌を歌いながらトントントントン。アシスタントのアナウンサーがシャモジとお玉でチャンチャンチャンチャン。

叩いた菜っ葉を、トロ~リできあがったおかゆにパッ。「菜っ葉はこれぐらいでいいんです。残っちゃうからって全部入れたらダメですよ。」行事食からすっかり縁遠くなっている私ですが、明日は作ってみようかな。

NHKきょうの料理(1/4)

【作り方】ご飯をお茶碗2杯分、鍋(あれば土鍋)に入れて、カップ4杯半の水を入れる。土鍋でクツクツ、フタをしないで炊きます。途中でお餅(焼かずに)を入れます。堅いお餅だったら柔らかくなるまで時間がかかるので早めに入れます。炊きあがり間際に、洗って細かく刻み、さらに包丁でトントン叩いた七草を入れて、ひとまぜして出来上がり。仕上げに塩ひとつまみもお忘れなく。

ということで、セリを二束100円で買い、「普通一束140円くらいはするよ」と店のおじいさんに言われたので、ちょっといい買い物をしたなと、ささやかに喜んで帰ってきました。一緒に買った特大焼き芋を三分の一いただいてお茶の時間、さて、とメールを開けてビックリ!ここで突然ですが、話が変わります。

いつかも書きましたが例の「ニューモ(NUMO)入門」の、「地質調査を受け入れた自治体には20億円交付金出します」のプロジェクトが2007年度は一挙に5倍の「100億円出します」へと変更になったのだそうです。原発などから出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場を建設するための見返りに、受け入れた地元に交付金を出すというのですが、環境にも人体にも文化的にも多くの問題が懸念されるからこそ、日本中どこの自治体も手を挙げなかったのですから、本当はプロジェクトそのものを見直すべきですよね。これでは環境と生命をおカネで売り渡せといっているのと同じです。えげつないです。

焼き芋でホッカホカだったお茶の時間も、いっぺんに冷めてしまいました。今年は選挙の年。「変だな?」の気持ちを活かさなくっちゃ、ね。

夢がない…か

前回、数独のことを書きました。難易度6でギブアップと。
実はその後も気になって、テーブルの上に(数独の載った)新聞を広げておいたんです。で、時折横目で見ていたのですが・・・・・・・・・・やっぱり気になってしかたないので、昨夜、再度挑戦。そしてついに、できたー!というところで、難易度7への挑戦はヤメ。やっとコツがつかめてきたのでやりたい気持ちは満々。でもやり始めたら抜け出せなくなりそうでコワイ。で、その新聞は明日の資源ゴミ行きで~す。(たぶん

さて、お正月だから喜ばしい話とか、景気の良い話とか、ほのぼのする話とか、せめて暗くない話を書きたいのですが・・・。今思っていることを飛ばして楽しい話だけを書く気にもなれなくて・・・。

私は仕事柄若い人たちと接することが多いのですが、「無気力」とひとくくりにされがちの若者達ですが、そんなことはありませんよ。一見そう見えてもじっくり話を聞いてみると、やはりそれぞれに何かを持っています。最初から無気力な人間などいるはずがありません。最初はみんな何かしら夢や希望や期待を持っていたのです。そして「無気力」と呼ばれている今だって、そのままでいいと思っている人なんてまずいません。

そして同時に、無気力と言われる状態から抜け出ないことを、すごく焦っています。「このままでいいのかなぁと思う」「オレ、もう〇〇歳だし」という言葉はしょっちゅう彼らの口から出てきます。

中学の時のいじめられた体験を引きずっている若者、家族の病気や家庭の事情で悩んでいる若者、真剣に彼らに向き合おうとしない周囲のおとな、ひずみは「無気力」と言われる若者の側にだけあるのでないことは明らかです。

ニュースを見ていたら「夢がない」と言われたことが引き金になった家族間での悲惨な事件が報じられていました。(詳細はその時点では不明)同じテレビで安倍首相が、「今年を美しい国づくり元年にする」と、明るい顔でしゃべっていました。現実を見ない政治家ほど始末に負えないものはないなあと、思わずため息が漏れてしまったのです。
むしろ頼りになるのは私たち市民の感性と洞察ではないかと思います。

こんなことを思っていたら、保坂展人さんのブログ('07/1/4)にも政治家としての立場から同じようなことが書かれていました。そして読者からの意見も募集しています。後で書いてみるつもりです。

たまにはパズル

今日は新聞に掲載されていた、最近ブームの「数独」(1から9までの数字のパズル)をついついやってしまいました。「ちょっとだけ」と始めたが最後、止まらなくなって、次々挑戦。難易度順に7問あるうちの6問目でギブアップ。(キー!)

解けると面白いけれど、行き詰まって解けないまま終わるとつまらない。(当たり前ですが。)なんだかスッキリしないなぁ。(新聞には「少しずつ、一週間かかってもいいですよ。」だって!)
たしかに、暇つぶしにはピッタリ。ヒマでなくても、お正月くらいイイですよね。でも、暇でない方はくれぐれもお気をつけアソバセ。止まらなくなりま~す。

ところで、突然ですが、今年は大変な年になるかもしれませんね。憲法のことです。(あまりの話題の変化で、ついてこられなかったでしょ?)

イギリスの青年も憲法9条に惹かれて、来日。こんな活動を始めています。「考えて憲法 ワードさん、理念伝え全国行脚」(琉球新報12/28)

政治のこととしてではなく、暮らしのこととして憲法を考えたいですね。ふだんは、あってあたりまえ、空気のような存在の憲法ですが、改正されたら、生活が大きく変化してしまいます。もちろん悪い方向にです。そうなったら数独どころじゃありませんからね。ガンバロー!

猪突猛進も可

明けましておめでとうございます。
今年は何だかお正月の実感があまりありませんが、皆さんはいかがですか?私だけでしょうか…。

ともあれ年も改まり、気持ちもちょっとリフレッシュ。
今年もよろしくお願いいたします。
さて、新聞でこんなニュースを読みました。

豊かな国は どこですか」(東京新聞'07/1/1)

ヒマラヤの麓のブータンは、九州ほどの国土に75万人の人が住む国です。このブータンではGNP(国民総生産)よりもGNH(国民総幸福量)を国の指針としているそうです。国勢調査では97%の国民が幸福だと答え、環境保全にも関心が高く、教育面では子ども達の環境問題やエイズに関する知識も豊富であるといいます。日本が先進国の中で、唯一エイズの増加傾向にあることを思うと、生きる上で必要な知識をしっかり教えているのがどちらの国であるかは一目瞭然です。

GNPで上位を争うアメリカや日本は、お金があっても格差の増大や人間関係の希薄化、老後の不安やホームレスの問題で悩んでいます。お金があっても幸せでなければ意味がありません。一方のブータンは一人あたりの年間所得が日本の50分の一だそうです。でも、大半の国民が幸福と思っているのです。

ブータン国王(51)はつい先頃、王位を息子(26)に譲り、2008年には王政から立憲君主制になるそうです。前国王がGNHを国の指針としたのが30年前、21歳の時だったそうですから驚きます。同時にこれからブータンがどんな国になっていくかも興味があります。

そう言えば、日本でこんなシンポジウムもあったそうです。
ブータンと国民総幸福量に関する東京シンポジウム2005」(外務省ホームページ)
(「日本国憲法を様々な意味でご参考頂けるのではないかと考えております」という河井外務大臣政務官の発言が社交辞令でなければ、どう生かされるのか興味が湧きます。その後どうなったのかな?)

日本もぜひ、国民総幸福量を指針にする国になってほしいものです。そのためなら「猪突猛進」もオッケー、ですよね!

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