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大地と共に生きる

「大地と共に生きる」…壮大なタイトルですが、ある映画(レンタルビデオ)を見て、そんなことを連想しました。

「裸足の1500マイル」とい映画を見ました。その直後、ネットで関連記事を読んだのでそのことを書いてみます。
(前回、続きを書きますと言ったNHKの話は、時間が経ったら色あせてしまったので、ごめんなさい。なしです。)

オーストラリアの先住民族アボリジニの幼児(女子に限る)を親元から引き離し、白人家庭で育てるという政策が1970年代まで続いたそうです。この世代のことを「lost generation(奪われた世代)」というのだそうです。「裸足の…」は、その実話に基づいてつくられた映画です。

先住民の姉妹といとこの少女3人は、村で遊んでいるところを、ある日突然連れ去られ(拉致され)て1500マイル離れた収容所に入れられます。ある日、3人は脱出をはかり、徒歩で家に向かって歩き始めます。ウサギよけのフェンスを伝っていけば必ず帰ることができると信じて。賢い年長の少女モリーは追っ手をまき、妹を背負い、砂漠を越えて、母の待つ家へとただ歩き続けます。……(拉致は北朝鮮ばかりではなかったんですね。そしてどこの国だろうと許せません。)

1500マイルと言えば、約2400キロ。本州の北から南までよりもっと長い距離?(よくわかりません。「音祭り」が宮古島-埼玉「2200キロを結ぶ」だったから、…)

この隔離同化政策は、オーストラリアの白人にとっては人権無視の政策として今なお負い目となり、アボリジニにとってはアイデンティティの喪失という、今だに消えない傷となって残っているそうです。

主人公の少女モリーは、白人に知られずにアボリジニの仲間と交信するため、動物の鳴き声をまねて口笛を吹きます。仲間はその声を聞きつけて、助けの手をさしのべてくれます。口笛は、白人にとってはただの音に過ぎないけれど、少女にとっては立派な通信手段。

広い荒野で、仲間と交信する自然の知恵を持って生きていることが、私には素晴らしいことに思えました。まさに人間も大地の一部と言った感じです。それは白人の目には野蛮なこととしか映らなかったとしても、大地と共に生きる知恵と、自然に対する畏敬に満ちた生き方だと私は思います。

モリーは生涯で3回も収容所に連れ戻され、そのたびに脱出したが、娘の一人はついに奪われたまま戻ってこなかったと言います。

シドニーオリンピックが行われたとき、聖火の最終ランナーはアボリジニの女性だったように記憶しています。彼女が最終ランナーに選ばれた背景には、「奪われた世代」に対する白人社会の痛みと謝罪とそれを乗り越えようという意思も含まれていたのかもしれないと、映画を見た今、思っています。

参考)海外女性事情

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