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こんなものいらない

06030401

昨年、沖縄国際大学の敷地内に隣接する普天間飛行場から飛び立った米軍のヘリコプターが墜落した事故があった。

28年前、横浜で、同じような事故があった。厚木基地を飛び立った米軍のジェット機が墜落、不幸なことに火を吹くエンジンが民家を直撃し、満載した燃料が付近の畑地や住宅を焼き尽くした。付近にいた人を含めて、9名の死傷者を出した。本の著者、土志田さんの娘さんとお孫さんもその犠牲者だった。

「あふれる愛」を継いで(土志田 勇著 七つ森書館)

事故の翌日、幼い兄弟が亡くなった。3歳のユー君は「おばあちゃん………バイバイ」と言って。その数時間後、弟のヤス君も「ポ、ポ、ポ…」と、鳩ポッポを口ずさむのを最後に。二人とも全身が3度の(皮下組織に達する)大やけどだったという。

お母さんの和枝さんは全身の8割にやけどを負いながらも奇跡的に一命を取り留める。その後、子ども達の死を1年以上知らされぬまま(子ども達が唯一の和枝さんの支えだったから)、数十回に及ぶ手術と苦しい治療をがんばられるが、事故から5年後に亡くなられた。

民間人の死傷者9名を出したこの事件。ジェット機に乗務していた米軍パイロット2名は墜落前にパラシュートで脱出してほとんど無傷。現場に最初に到着した自衛隊のヘリは、負傷者を現場に残したまま、この米兵2名だけを載せて厚木基地に飛び立ったという。

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和枝さんは移植手術に皮膚を提供して下さった人たちなど、支えてくれた多くの人に報いるために、治ったら福祉の仕事に就きたいというのが夢だったそうだ。

和枝さんの死後、お父さんの土志田さんは遺志を継いで、まったくのゼロから福祉の勉強と仕事をスタートさせる。その後、役所の壁などさまざまな困難を乗り越え、現在では、地域の福祉事業の拠点の一つとして広がりを見せている。

この本では、悲惨な事故とその後の状況、そしてそれを乗り越えての福祉事業への結実が語られている。

正直言って、とても読むのが辛かった。でも、最後まで読み終えると、どんな方法によってもつぶされることのないものが人間にはあると信じさせてくれる。土志田さんの意志と実行力には驚嘆させられる。それを支えていたのは、ほかならぬ娘や孫への愛であり、永遠の平和を願う人類への愛だ。

国の防衛政策にからむ事故なのだから、国が真っ先に救出や治療に奔走してくれるだろうか?

NO。

まったく逆である。土志田さんも、被害者の家族自らが孤軍奮闘して、「何とか救いたい」「何とかこの子の願いをかなえてやりたい」とあらゆる努力をするしかなかった。

軍隊が守るのは、「国」である。軍隊は、私たち一人ひとりを守ってはくれない。

事故から28年、今日も米軍のヘリやジェットが私たちの上空を飛んでいる。こんなものいらない!

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「平和」カテゴリの記事

コメント

>軍隊が守るのは、「国」である。軍隊は、私たち一人ひとりを守ってはくれない。

このことがなかなか、そう思えなくて、幻想を抱いてしまうんですね。
先日「サイレントボイス」というエルサルバドスの映画を観たのですが、12歳になると、政府軍が突然学校にやってきて少年達を連れてゆくんです。
日本も少子化が進んで、徴兵なんてことになったら、どうなってしまうのかと、少年兵ばかりでなく、老人兵、おばさん兵とか・・・(^-^;

軍隊が守るもの・・・それは「国」であって、「国民」でもなければ「国民の生活」でもないし、「国土」でもないんですよね。
どう表現したらいいのかわからないんですが、見たり触れたりできない「国という抽象的なもの」を守ることしかできません。

沖縄国際大学に落ちたヘリは、奇跡的偶然で、建物と道路のすき間に落ちました。
横浜のときは、広い田園地帯の中の、ほんの少し集落があるところに、狙いすましたように落ちてしまったのでした。
当時、横浜市民だったので、よく覚えています。
ご遺族のそれからの大変さもほんの少しですが存じておりました。
機会を見つけて、私も読もうと思います。

>あざみ子さん
日本も少子化が進んで、徴兵なんてことになったら、どうなってしまうのかと、

そうですね。徴兵制、心配です。
と私は思うのですが、この間、東京新聞の投書欄にこんな趣旨の投書があったんですよ。

「徴兵制なんか今頃あるわけない。この近代兵器の時代、戦争はもっとハイテク化され、効率を求めるから徴兵制の心配はない。
第一、非合理的な戦争という愚を、今さら日本が選択するわけがない。日本人の理性をもっと信頼していい。」おおかたそんなことだったと思います。

米軍を見ても分かるように、どんどんイラクに兵士を投入したのは、ハイテク化してもやはり地上の「テロリスト」相手は兵士を必要とすると言うことですよね。
だから戦争のできる国になったら、ハイテク化されようとも徴兵制はなくなりません。

理性的な判断が働いていれば、かつて日本はアメリカ相手に無謀な戦争に突入しなかったわけで、国の根本的な考えが変わっていない今の日本に、同様に理性を求める投書の主はよほどおめでたいと思います。
きっと国が自分を守ってくれると思っているのでしょうね。

第一、理性的に考えたら、環境の問題、生命の問題、経済の問題、あらゆる面で、答えは、戦争はダメと誰もが答えるでしょう。

その後に、「しかし」という言葉が着いて、理由が述べられ、そして戦争に結論が行き着くのですよね。そこに働いているのは時の為政者や中枢を握っている人間達の「欲望」です。いろいろな、ね。

決して理性なんかで戦争か否かの判断がされているわけじゃないんですよね。

って、つい語ってしまいました。
とにかく「戦争はダメよ」と言いたくて。


>ばるタン
当時、横浜市民だったので、よく覚えています。
ご遺族のそれからの大変さもほんの少しですが存じておりました。

当時、横浜にお住まいでしたか。身近な事件だったんですね。

私は当時、東京に住んでいて、ちょうど息子が亡くなった坊やと同じ名前で、年齢的にも亡くなられたときと同じ年齢だったこともあって、他人事とは思えなかった記憶があります。

一人でも多くの人にこの事故のことを知ってほしいですね。

さくら子さん、初めまして。
この本のことは知っています
「現場に最初に到着した自衛隊のヘリは、負傷者を現場に残したまま、この米兵2名だけを載せて厚木基地に飛び立ったという」。
この部分が、反自衛隊の宣伝のために意図的に捩じ曲げられて伝えられていることも。
右にも左にも振れないことで定評のある、愛蔵太さんのテキスト(http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20041017#p1)を読んでみて下さい。

さくら子さん、もう一つ。
「軍隊が守るのは、「国」である。軍隊は、私たち一人ひとりを守ってはくれない」。
断言されますね。その根拠は何でしょうか?
軍隊を構成するのは、同じ国民である「人間」です。
軍隊を動かすのも、同じ国民である家族を持つ「人間」です。
国民は「国」の構成員ではないのですか?

さくら子さんに、続けて。
「理性的な判断が働いていれば、かつて日本はアメリカ相手に無謀な戦争に突入しなかった」。
近衛内閣で重要な役割を果たした「尾崎秀実」をご存じありませんか?
日本も中国もアメリカも、コミンテルンの一種のコントロール下にあった状況を鑑みれば、そう断言できるほどの根拠を私は持てません。

あざみ子さん、初めまして。
エル・サルバドール内戦を描いた映画は『イノセント・ボイス~12歳の戦場』ですね。
私も最近観ました。
殺し合いで兵力不足になった政府軍も、それに対抗するゲリラも子供を徴兵し、流れ弾で一般人を殺し、傷つけていくのです。
でも徴兵というのは、奴隷化ではありません。
衣食住を約束し、給料も支払うのです。
日本で徴兵制が実現する可能性が低いのは、その給料に回すお金が乏しいことも理由の一つです。
現自衛官に、パソコンですら買えないのですから。
日本で徴兵制が現実化する時、それは敵軍が日本を占領して自衛隊がほぼ壊滅し、なおかつ抵抗しようとした時です。
おそらく大多数の人々は、占領軍におもねるでしょうが。

>非絶対者さん
この本のことは知っています
「現場に最初に到着した自衛隊のヘリは、負傷者を現場に残したまま、この米兵2名だけを載せて厚木基地に飛び立ったという」。
この部分が、反自衛隊の宣伝のために意図的に捩じ曲げられて伝えられていることも。

初めまして、非絶対者さん。
そうですか、知っていらっしゃたんですね。
それではぜひお読みになっていただきたいと思います。
私のお返事はこれがすべてです。


以下は、補足として。

へりの話は例えとして、引っ張ってきたに過ぎず、何の意図もありません。意図的にねじ曲げる必要も感じていませんし。
昨年の沖縄国際大学のヘリの墜落事故が現実です。

>「軍隊が守るのは、「国」である。軍隊は、私たち一人ひとりを守ってはくれない」。
断言されますね。その根拠は何でしょうか?

枚挙にいとまがありません。今、資料を示す時間がないので、思い出す具体例を二つ、三つだけ。

一つは奇しくも3/10(今日)の東京大空襲のとき、天皇家の領地内に群衆が逃げ込むのを防ぐため、いつもは開放されていた門が閉められたという事実。翌朝、門の外は逃げ込もうとして入れずに焼け死んだ人たちが累々と折り重なっていたそうです(東京新聞'06/2)。

もう一つは、沖縄戦当時、軍隊の駐留していた村はほぼ全滅したが、軍隊のいなかった村はほとんど被害がなく生き延びることができたという記録が残っています。村ごとの死者数を記録で見たときは、その歴然とした差に驚きました。

また、同じ沖縄戦でひめゆり部隊に多くの犠牲が出たのも、戦局が厳しくなる中、軍隊が自分たちが身軽になって撤退するために、突然配属のひめゆり部隊(と言っても何の訓練もない少女達です)に解散を言い渡し、少女達は戦場を散り散りになって逃げまどい死んでいったのです。

>軍隊を構成するのは、同じ国民である「人間」です。
軍隊を動かすのも、同じ国民である家族を持つ「人間」です。
国民は「国」の構成員ではないのですか?

そうですね。人間が軍隊に入るのですが、悲しいことに、入った途端に軍隊では人間が人間扱いされません。軍隊に人間はいらないからです。家族のことを考えたり、相手のことを思って銃が撃てなかったりしたら困りますからね。

国と個人の関係は、「国を相手にした裁判」や「国家プロジェクトの推進と反対派」など、日頃いろいろな場面で見られます。
国という権力から個人をいかに保護し、権利を守るかというのが、民主主義国家の最大テーマですよね。それくらい本質的に国は個人を脅かすものであると気をつけておいたほうがよいと私は考えています。

>「理性的な判断が働いていれば、かつて日本はアメリカ相手に無謀な戦争に突入しなかった」。
近衛内閣で重要な役割を果たした「尾崎秀実」をご存じありませんか?
日本も中国もアメリカも、コミンテルンの一種のコントロール下にあった状況を鑑みれば、そう断言できるほどの根拠を私は持てません。

私の表現が悪かったかもしれませんね。理性的な判断なら戦争をしていいということではなく、理性的に判断したら戦争はできないはずだと言いたかったのです。

私の根拠はあくまでも体験と実感です。
自分自身はもちろん戦後生まれですから実際の体験はありませんが、祖父母や両親の体験を内面化して大きくなった世代です。

祖父母と両親は亡くなりましたが、彼らのメッセージは私の中で生きています。それを未来の世代のために生かしていかれたらと思っています。そして母であることも私の原点であり、強力な根拠になっているでしょうか。

あれ?お返事がずれたかな?

さくら子さんの思いは伝わってきました。
ですが、「軍隊は国民を守らない」ことが真理である理由は、私には残念ながら伝わってきません。
真理ならその証拠として、日本に限らず世界的に普遍的に見られる事象があるはずです。
残念ながら今回も含めて、“反軍活動家”の方からは日米戦末期の旧日本軍以外の事例を聞いたことがありません。
逆に言えば、もし「軍隊は国民を守らない」というのが真理であれば、「民衆のために政府と戦う」抵抗組織(これも立派な軍隊です)は、その誕生の瞬間から民衆を守らないということになります。
では彼らは何のために戦うのでしょう?

組織として作られたものがその当初の目的のためでなく、組織そのものの維持のために動くということは、軍隊に限らず官庁や組合、部落解放同盟や朝鮮総連、さまざまなカルト教団や民兵組織の例を見るまでもなく、人間社会に良くあることではあります。
それを、組織の目的と存在そのものの全否定に結論付けるには、確固とした理由が必要です。
その理由を教えていただければ幸いです。
参考までに私の考えは、こちらのブログ(http://blogs.yahoo.co.jp/ff6988m/29404622.html)のコメント欄にあります。

☆非絶対者さま

はじめまして。
レスがおそくなりましたが、

>右にも左にも振れないことで定評のある、愛蔵太さんのテキスト(http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20041017#p1)を読んでみて下さい。

読ませて戴きましたが、憶測と主観で書かれていて説得力がありませんでした。つまり、そのように解釈したいと思う人はそのように受け取るだろうということです。

>殺し合いで兵力不足になった政府軍も、それに対抗するゲリラも子供を徴兵し、流れ弾で一般人を殺し、傷つけていくのです。
>でも徴兵というのは、奴隷化ではありません。
衣食住を約束し、給料も支払うのです。

ゲリラもいろいろあるわけで、十羽一からげにできないことは非絶対者さんもご存知でしょう。

徴兵とは「国家が国民を強制的に兵役につかせること」ですから、ゲリラは徴兵とは言わないでしょうね。

徴兵は強制ですから、本人の意思に反して、人殺しをすることを前提にしているわけです。
「人殺し」という人ひとりの存在に関わる本人にとって人生を揺るがす重大な行いに対し、本人の意思がもてないというのを、奴隷といいます。


>日本で徴兵制が現実化する時、それは敵軍が日本を占領して自衛隊がほぼ壊滅し、なおかつ抵抗しようとした時です。

占領されたら、戦うでしょうね。徴兵されなくても。
自分の意思で。

☆非絶対者さま

兵隊が奴隷であるということが、よくわかる例が、拙ブログのアンテナにリンクさせていただいている『彎曲する日常』で紹介されています。
孫引きになりますが引用します。

>第二次世界大戦の終結後、中国山西省に駐屯していた北支方面軍第一軍の将兵 1 万人は、武装解除を受けることなく敵であった国民党の司令官に引き渡された。
 世界の戦争史上、類をみないこの売軍行為は、あろうことか戦犯逃れを目論む日本軍司令官と共産軍の圧力を恐れた国民党司令官の密約によって引き起こされた一大スキャンダルだった。
残留を余儀なくされ最後まで戦った2600余りの将兵は、戦後なお4年間も共産軍と戦い550名が戦死するなど多くの悲劇を生んだ。
戦後日本政府は、国際法に抵触するこのおぞましい事件を隠蔽するために、一貫して兵士たちに責任を擦り付けてきた。
自ら志願して国民党の傭兵となり、勝手に戦争をつづけた者とみなし切り捨てたのである。そのため共産軍との戦闘に駆り出されて戦死しても、母国の日本では何の補償も受けられず、生還しても軍人恩給の対象から除外されてきた。

http://www.arinoheitai.com/about/index.html

非絶対者さま

>ですが、「軍隊は国民を守らない」ことが真理である理由は、私には残念ながら伝わってきません。
真理ならその証拠として、日本に限らず世界的に普遍的に見られる事象があるはずです。

真理かどうか知りません。ただ今まで見聞きした資料や知識から、私がそう感じているまでです。そして、そう感じている私は、この国が軍隊を持ってほしくないと思っているわけです。

軍隊を持つと言うことは軍人に人殺しをさせると言うことです。私は誰にも人を殺してほしくないのです。
軍隊を持つと言うことは、その構成員に人殺しを強要することです。私はそれをしたくありません。

>残念ながら今回も含めて、“反軍活動家”の方からは日米戦末期の旧日本軍以外の事例を聞いたことがありません。

“反軍活動家”という言葉があるのですか?初めて聞きました。
でも、私は活動家でも何でもありません。
平和を願い、子ども達や未来の世代が安心して生きていけることを願っている一人のオバサンです。
そして平和のために、日々の生活の中でささやかな努力を続けているに過ぎません。これは生命と知恵を与えられた生き物としての、当たり前の行為だと私は思いますよ。


なお、非絶対者さんが、最初に反証のためにあげられた愛蔵太さんの記事については、本質に関係のない事柄と考えます。その上で次のように申し上げます。

坊や達の最後の言葉がどうであったとか、医師の適切な処置がなされていたらどうだったかということは、事故の本質的な問題には影響ありません。

私が言いたいのは、坊や達がなんと言ったかではなく、想像を絶する苦しみのうちに亡くなったと言うことです。どのように表現を変えてもこのことは動かしがたい事実です。それをこそ見なくてはなりません。

また、医師の適切な処置がされれば、苦しみが幾分かでも軽減され、和枝さんの命も助かったかもしれません。しかしそうであったとしても、和枝さんがいわれのない犠牲を強いられたことは消そうとしても消せない事実です。

枝葉末節にとらわれると本質を見失う危険があります。木を見て森を見ないということにもなりかねませんね。

正しい知識は大事ですので、私も認識違いがないように気をつけていくつもりです。どうか感性を働かせて読んでください。

>組織として作られたものがその当初の目的のためでなく、組織そのものの維持のために動くということは、軍隊に限らず官庁や組合、部落解放同盟や朝鮮総連、さまざまなカルト教団や民兵組織の例を見るまでもなく、人間社会に良くあることではあります。

だからこそ私は、個人の権利擁護に最大限の努力を払う組織
を望みます。この意味で、軍隊は私の望まない組織だということです。

さくら子さん初めまして。名前のとおり沖縄に住んでるものです。この事件は小学生のときに本で知りました。沖縄は米軍基地が多いので↑と似たような事件が頻繁に起こるので悲しみと怒りでいっぱいです・・まず父親の勇さんが今年2月3日に亡くなりましたのでご冥福をお祈りします・・その一週間前に「あふれる愛を継いで」という本を図書館で読みました。和枝さんは亡くなる直前夫と離婚しましたが夫や夫の家族(和枝さん親子と一緒に巻き込まれたが助かった夫の妹、↑の文の通り夫同様幸い出かけてて難を逃れたが孫の死を看取り勇さんより先に亡くなってると思われる姑)のその後や息子2人の十三年忌がちょうど平成に変わった年だったこと(多分遺族にとって一番皮肉な年だったでしょう)が書かれてなくてちょっと物足りなかったです・・和枝さんもまた戦後に生まれたのに平成まで生きられず惨めな最期を迎えて本当にかわいそうです・・沖縄と神奈川の基地は全部熊本に移転すればいいと思いました。熊本人には孫を一気に2人も失った勇さんや和枝さんの気持ちなんてものがわかりませんから・・

沖縄人さん

コメントありがとうございます。
沖縄は今でも米軍基地の大半を押しつけられていて、基地の中に沖縄があるといわれるくらいですから、私たちからは想像できない日常だと思います。
沖縄の友人に、案内してもらいながら、それを強く感じました。そうした沖縄の人達の日頃の犠牲によって保たれている私たちの日常、本当に心苦しいです。

基地は熊本といわず、日本中からなくなってほしいと切に思います。

こんにちは。
 
私は、さくら子さん同様にこの事件に衝撃を受けました一人です。
子どもたちの最後の言葉が何であろうと、それがこの事件の悲惨さを打ち消す理由にはなりません。


私も、愛蔵太さんとやらの、事件について憶測で書かれた文章をいくつか読んだ事がありますが、被害者には何の落ち度も無いのに、部外者達があれこれと色んな記事や冊子の言葉じりをとらえて、もて遊ぶような行為に疑問を感じました。
事実とのズレと思われる部分をピックアップするだけならともかく、必要以上にふざけた文章で面白おかしく茶化しているような印象です。それに、この事件を政治的に利用しようとしている方々にも反感をお持ちのような文章でしたが、それも被害者には関係無いことだと思いました。

絵本の内容についても触れているようですが、子供向けの絵本なので、部分的に読みやすい文章に変えられていたり、子どもの心に訴えかけやすい内容に多少脚色することは、この本に限らずあり得ることです。

命賭けで産んだ愛しいわが子を、やっと言葉を話し始めた可愛い盛りに無残に焼き殺されたら、誰がまともな精神状態を保てるでしょうか。
無意味で独断に満ちた検証に時間を費やすよりも、残酷な現実に目を向けて欲しいと思います。

ろっぷさん

コメントありがとうございます。
事件に直接関係のない者(私を含めて)は、興味本位に幾らでも議論の種にすることができてしまいますね。
だからこそ、議論のための議論にならないように、気をつけなくてはと思います。

問題の本質を捉えて事件を語り継いで行くと同時に、事件が私たちに教えてくれることから学び、少しでも、できることから実践していけたらいいですね。

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