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識名園

珍しく、久しぶりに、なんと10年ぶりぐらいに、風邪をひきました。10年ぶりに、少し人間並みになったのかな?

沖縄行きの前後がすさまじかったですからねぇ。旅行そのものの充実は、たっぷりここで書かせていただきましたから、ご想像がつくと思いますが、(でも、全部書いた訳じゃないのよ。他にも面白いことはいろいろあったのですが、それはもうはしょって。)それ以外にも、いろいろな展開があってスゴイ一週間だったんです。そのパワーに目を回したんですね、体力が。

体調の乱れは、バランスに配慮しなさいというサインなので、気をつけることにしましょう。

せっかくなので、遅ればせながら沖縄の三日目、識名園の写真を。

shikinaen2 かつて琉球王朝の別荘として造られた建物だそうです。

外国からの賓客をもてなしたりした所でもあり、この写真にはありませんが、観耕台といって、南部の耕作地が一望できる高台があるんですよ。そこから海は見えないので、「こんなに海の見えないほど我が国は広いんです」と外国に自己顕示したのだそうです。こういう外交姿勢は、まだ可愛くて正統派で平和な手段で許せます。これくらいの平和なアピールの知恵を、外務省も働かせてほしいものですね。

観耕台からは、今では耕作地ではなく、南部のビッシリと密集した住宅やビルが望めます。

しかしこの美しい建物も、戦後再建されたものです。

元の建築物は、沖縄戦の時に爆撃されて、樹木の陰に隠されていた弾薬が誘爆したこともあって、樹木も建物もいっさいが跡形もなくなったのだそうです。

この再建された建物は、消失する前の写真と見比べると、当時そのままに再現されているのですが、印象はまったく違います。

かつての写真では、背景の樹木が建物の2倍くらいの高さまで生い茂り、屋根をスッポリおおうかのように豊かな緑を広げていました。池の柳といい、ツクバイの影の梅の木といい、この写真ほど整然としてなくて、それでいて実に趣がありました。現在は、ご覧のように、美しく手入れされた、明るい庭園といった趣です。実際に人に使われたことのない建造物というのは、形は当時のそのままを再現したとしても、何だか味気ないと思いました。歴史ある建造物は、いったん失われたら取り戻せないことを実感しました。

shikinaen1 ツクバイのあった跡、らしいです。このほかにも灯籠の跡らしい破壊された石の跡が残っていました。

それしかないほど、徹底的に破壊されたんですね。すさまじさを想像してしまいました。

ここへは、地元の路線バスで行ったので、行きも帰りもおじい、おばあと一緒でした。都会のバスは早くしないとドアが閉まりそうで焦りますが、沖縄では、おじい、おばあが座席を立ち上がってステップを下り、バスから離れるまで、ゆっくりドアの開け閉めを待ってくれているのが印象的でした。

こういうたいしたことじゃないようなちょっとしたことが、住むにはとても大事な気がします。

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