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たんすにジュゴン

051130 (見上げた空…、今日は快晴でした!)

すっかりご無沙汰状態になっていました。それというのも、書き込もうとすると、重くて立ち上がらない状態がずっと続いていたのです。

そんなこんなしているうちに、友人の、『ばるタン』さん達が面白いことを始めました。それは「たんすにジュゴン」っていうんです。「え?何それ?」って思ってくれた人、さっそく下のサイトを見てね。

合意してないプロジェクト」に紹介されています。このサイト、何を合意してないかっていうと、……。日米の国レベルの米軍基地政策を「合意してない」ということです。まったく地元を無視しているのですもの。私も合意できません。

数日前、NHKのクローズアップ現代でも取り上げていましたね。そこでの防衛庁長官の答えも、まったく私の疑問には答えてくれませんでした。そしてこのまま何もしなかったら、結局合意したという事で決まってしまいます。だから、「合意してないプロジェクト」。だから「たんすにジュゴン」。

注)ジュゴンはクジラに似た体の大きな草食獣。最も北限が沖縄近海と言われている。日本では唯一、米軍基地移設計画地の沖縄県名護市辺野古(へのこ)沖に生息しているが、国が基地移設のためのボーリング調査を行ったために、最近では姿をほとんど現さなくなってしまったという。世界的な環境保護団体グリーンピースや世界動物基金も保護活動に乗り出している。かつてニホンオオカミが絶滅してしまったように、沖縄近海のジュゴンはわずか50頭ほどと言われている。(世界中ではオーストラリアその他に10万頭。)

さてその、「ジュゴンの模様入り手作り巾着」をお買いあげいただくと、それが辺野古の海岸で基地移設反対の座り込みを続けるオバア達の支援金になります。なんともあったかい草木染めの手描き、中身は重曹です。重曹はにおい消しになり、その後お掃除にも使えます。(現物写真を見てね)

ジュゴンを守るというのは、私たちの暮らしを守るということ。沖縄は遠い、だから関係ないなんてこともない。それに沖縄だけじゃない。岩国、座間、横須賀…、どれも私たち自身の問題だ。ということで、…

「ジャンジャンお買いあげ下さい」とお願いしたいところですが、少人数での手作業です。いっぺんに集中すると製作が追いつきませんので、その時は予約されるといいかも。(勝手に予約受付なんて言っていいのかな?)

それぞれのご都合に合わせて応援いただけると嬉しいです。

①お買いあげいただく。

②もしくは応援メールをばるタンさんに。

③もしくは「たんすにジュゴン」と、ジュモンのように唱えて、周囲に広めていただく。

④<へのへのこ>ちゃんを、メールの末尾に書き込む。(これ何?と聞かれたら説明する。ごくごく簡単な説明でよいから。)

へ  へ

の  の

   こ

⑤末尾に「へのこ」をつけ、へのこ言葉で友達と遊んでみる。たとえば、こんなふうに使うへのこ。

     ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆

「たんすにジュゴン」……私たちが自主独立の平和な国として、環境を守りながら、世界と調和していくために、自分たちが身近でできることをしていこうというアイデアが、ステキだ。

友達、それとも…

image

(秋の味覚♪)

またやっちゃったー!保存する直前にうっかりクリックして全部消えたのだ!!(泣~~~!!!)

もう、同じこと書けないよー。(書くな、ってこと?)

でも、気を取り直して、短く…。

「日本の孤立戦略」という記事を読んだ。(時間があったら、サイトの原文を読んでね) 

<このニュースの、私なりの短いまとめ>

①小泉首相は意図的に、東アジアで孤立するような戦略をとっている。アメリカ依存から脱却し、自衛力をつけるためには、憲法改正をする必要がある。そのためには中国・韓国と仲が悪くなることによる緊張関係を利用し、軍事力保持に世論が傾くことをねらっている。

②扇動する政治家に対して、ヒトラー政治の苦い経験から、世界は警戒していたのだが、最近になってフランスの内相や小泉さんのように、大衆から一定の理解を得るようになってきている傾向がある。=大衆扇動政治の危険性を指摘。

………

敵をつくって、国民を戦争に駆り立てるのは、国家の常套手段だ。それが着々と進行しているという。

相手と友達になろうと思うか、最初から敵だと思って向き合うかで、つきあいかたは180度違ってしまう。中国のAさん、Bさんの顔が浮かぶ。彼や彼女達は、私の敵ではない。

国と国との関係は、相手と友達になろうと思って始めるべきだと思う。そういう外交の例はいっぱいあるのだ。決して夢物語などでもない。

子ども達が犠牲になる悲惨なニュースと、国の姿勢は無縁ではないと思う。平和への希望が見える社会にあってこそ、一人ひとりの心にも希望や夢が生まれてくる。そこでは人への信頼も育まれていく。社会の危機管理と言ってはいろいろな対策が採られるが、不安と警戒心が募る社会は本当に平和と言えるのだろうか。隣の人が信用できなかったら、住んでいるだけで毎日不安に怯えなくてはならない。

子ども達に自衛のための携帯電話だ、護身術だ、と言う。平和な社会ってそういうことなのかな?

もっと、ゆっくり

051124_1038001 銀杏がだいぶ色づいて…。

今日、新聞のコラムを読んでいて、その立場に置かれないと気づかない、いろいろなことがあるものだと改めて思った。手話を修得して、耳の聞こえない妊婦さんの出産に立ち会った助産師(仮にAさん・女性)の方が書かれた文章だった。

Aさんが10数年前、看護学生だったときに、聾唖の女性がまったく産科的にはリスクがないにもかかわらず、「耳が聞こえないと、いきむタイミングが通じないから」という理由だけで、医者が帝王切開すると言ったのだそうだ。Aさんはそれを疑問に思ったことから、手話を習ったのだという。

その後Aさんは、助産師の資格と手話上級の資格を取って、耳の聞こえない女性のお産の介助を担当するようになったそうだ。コラムは、Aさんの介助で産まれた上のお子さんが、二人目の出産を終えたその母親のかたわらで、「片言のおしゃべりと一緒に小さな手でする手話がとてもかわいい。そんな家族とかかわれた喜びに感謝感謝のお産だった。」と結ばれている。

聞こえることが当たり前と思って過ごしている自分。聞こえないことでこんな苦労もあるのだと教わる。そしてAさんのような人の存在にも気づかされた。

そう言えば、今日は白い杖を手にした目の不自由な方を、朝と帰り、一人ずつお見かけした。エスカレーターの右端を足早に上っていた自分の慌ただしさを反省した次第。

ピーパー

051117_1034001 大学のキャンパス、駐車場も秋の色。

昨夜は久しぶりに演劇を見に行った。「ピープルパープル(略してピーパー)」という神戸の若い人たちの劇団だ。とにかく毎回新鮮で、泣いて笑って、時にフッと考えさせられて、そして最後は元気になれるのだ。

「ザムザ阿佐ヶ谷」というこぢんまりした劇場が満員だった。靴を脱いで客席は雛壇に座るような造り、板張りの床が足の裏に優しい。

昨日は3本立て、どれもそれぞれ良かったが、3本目の劇は沖縄を舞台にしたほのぼの友情物語。なんとそのバックに、ここでも何回か書いている沖縄の歌手、下地勇さんの沖縄限定版のCDの曲が流れたときには、ビックリした。

「音祭り、音祭り…」とあちこちでお知らせして廻っている私が、その音祭りの出演者の一人下地さんの歌に、ここでまた出会うなんて…。なんでここでまた?!と思いつつ、隣の席の友人に思わず「この歌ね、…」と声を掛ける。友人もビックリ!思わず二人で顔を見合わせた。ところで、…

来年、ピーパーはスゴイ試みをやるらしい。来年の公演は観客に料金を決めてもらうシステムにしてみるのだとか…。事前予約の料金は一応あるのだけれど、それとは別に、観てから自分で料金を決めて払うのだとか。ウ~ン、理屈は言ってもなかなかできないことだよね。まずその心意気や良し!!今までも応援しているけど、これからはもっと応援するからね。がんばれや!

昔、テレビで「日本昔ばなし」というアニメをやっていた。そのテーマソングに 「いいな、いいな、人間っていいな♪」という歌詞があったけど、ピーパーの舞台を観た後は、なんとなくそれを思い出すのだ。

帰り際、ピーパー応援団長のような友人のクミちゃんと一緒に、脚本・監督の宇田さんと握手をしてきたのだ。小学性役になりきっていた森下さんは、来年の予約受付で忙しそうだったので、挨拶しただけで失礼した。今度は来年4月とか、よかったら観てみてね。

研修会のお昼どき

今日は研修会に行った。風邪がまだグズグズしていたので、しんどかったけど、会費も振り込んでしまっていたし、ちょっと興味のあるテーマだったので、頑張って出かけた。

昼食時間になり、参加者の大半は、外に出かけた。駅にも近かったので食事の場所には不自由しないところのようだったが、私は外に出て探すのも億劫な気がして、朝、会場に入る前にコンビニ弁当を調達した。

ふと廻りを見ると4分の一くらいの人が部屋に残って、お弁当を広げていた。大半が女性だった。その中で、一人50年輩とおぼしき男性の後ろ姿が目に入った。

椅子にお婆さん座りをしていた。斜め前の席なので、机の上の野菜缶ジュースが見える。ヨーグルトもある。そのうち、食パンの四角い形のままの耳付きサンドイッチを取り出した。しばらくするとリンゴの丸かじり、サクサクとおいしそうな音が聞こえてくる。そして最後はミカンのデザートだ。

う~ん、なかなかヘルシー。食事制限でもしておられるのか。朝ご自分で用意されてきたんだろうか、などと思いめぐらせてしまう。手際の良さから何となくそんな雰囲気も。メニューの中身と、それを食す後ろ姿に余裕を感じる。

エ?他人様の食事風景をジロジロ見ていたのか、ですって?いえいえ、ジロジロ見ていたってわけじゃないんですけど、ただ、斜め前の席だったので、自然に目に入ってしまったんです。こういう研修会で、男性のお弁当持参、しかもそのメニューがヘルシーでしかも、ごく自然でいい感じだったので、ついつい。

これからの世の中こういう感じに変わっていくと、暮らし方や街の風景も少しずつ変化していくのではないかな?チョッピリほほえましい一コマだった。

識名園

珍しく、久しぶりに、なんと10年ぶりぐらいに、風邪をひきました。10年ぶりに、少し人間並みになったのかな?

沖縄行きの前後がすさまじかったですからねぇ。旅行そのものの充実は、たっぷりここで書かせていただきましたから、ご想像がつくと思いますが、(でも、全部書いた訳じゃないのよ。他にも面白いことはいろいろあったのですが、それはもうはしょって。)それ以外にも、いろいろな展開があってスゴイ一週間だったんです。そのパワーに目を回したんですね、体力が。

体調の乱れは、バランスに配慮しなさいというサインなので、気をつけることにしましょう。

せっかくなので、遅ればせながら沖縄の三日目、識名園の写真を。

shikinaen2 かつて琉球王朝の別荘として造られた建物だそうです。

外国からの賓客をもてなしたりした所でもあり、この写真にはありませんが、観耕台といって、南部の耕作地が一望できる高台があるんですよ。そこから海は見えないので、「こんなに海の見えないほど我が国は広いんです」と外国に自己顕示したのだそうです。こういう外交姿勢は、まだ可愛くて正統派で平和な手段で許せます。これくらいの平和なアピールの知恵を、外務省も働かせてほしいものですね。

観耕台からは、今では耕作地ではなく、南部のビッシリと密集した住宅やビルが望めます。

しかしこの美しい建物も、戦後再建されたものです。

元の建築物は、沖縄戦の時に爆撃されて、樹木の陰に隠されていた弾薬が誘爆したこともあって、樹木も建物もいっさいが跡形もなくなったのだそうです。

この再建された建物は、消失する前の写真と見比べると、当時そのままに再現されているのですが、印象はまったく違います。

かつての写真では、背景の樹木が建物の2倍くらいの高さまで生い茂り、屋根をスッポリおおうかのように豊かな緑を広げていました。池の柳といい、ツクバイの影の梅の木といい、この写真ほど整然としてなくて、それでいて実に趣がありました。現在は、ご覧のように、美しく手入れされた、明るい庭園といった趣です。実際に人に使われたことのない建造物というのは、形は当時のそのままを再現したとしても、何だか味気ないと思いました。歴史ある建造物は、いったん失われたら取り戻せないことを実感しました。

shikinaen1 ツクバイのあった跡、らしいです。このほかにも灯籠の跡らしい破壊された石の跡が残っていました。

それしかないほど、徹底的に破壊されたんですね。すさまじさを想像してしまいました。

ここへは、地元の路線バスで行ったので、行きも帰りもおじい、おばあと一緒でした。都会のバスは早くしないとドアが閉まりそうで焦りますが、沖縄では、おじい、おばあが座席を立ち上がってステップを下り、バスから離れるまで、ゆっくりドアの開け閉めを待ってくれているのが印象的でした。

こういうたいしたことじゃないようなちょっとしたことが、住むにはとても大事な気がします。

RYUKYU民族の祭典

すみません、一気に掲載したので、11/8の日記から(=これでは日記とは言わないが)お読みいただけると話がつながるかと。

辺野古の帰り、6時半を廻っていたかな。それでもまだほんのり明るい。埼玉ではすっかり暗い時間だ。埼玉でいえば4時半か5時くらいの感じ。

宿泊ホテルに近くなったとき、今夜、豊見城(とみぐすく)で「RYUKYU民族の祭典」というお祭りがあると、ご主人が教えてくださる。Bさんと二人行ってみることにする。

これがまたすごかった!!野外照明で煌々と照らされたグランドには、ズラーッと屋台が並び、家族連れを中心に貸し切りバスでの観光客もいて大にぎわい。遠くから和太鼓の音が響き、自然に足取りも速まる。一万人の観客だと後から知った。入場券を買ってはいると、段差のある観客席がしつらえられ、ボリュームのある太鼓とロックのリズムが全身に響いてくる。グラウンドでは小学校低学年か幼稚園くらいの年齢の子どもから、青年まで(もっと上も?)エイサー隊の力強い踊りが始まっていた。

エイサー音楽で著名な日出克(ひでかつ)さんの音楽プロデュース、日出克さんや城間建市さんの歌(このお二人は初めて知ったけれど、とにかくすばらしい)、ロックあり江差追分あり、和太鼓あり、エイサー隊に旗頭、武術披露、獅子のぬいぐるみ数十頭、琉球舞踊によさこいソーラン節の群舞と、1部から4部まで、息もつかせぬ展開。入場料1000円でこんなに楽しませて頂いちゃっていいの?

特にグランドいっぱいに生演奏をバックにした数百人のエイサー隊の群舞は、元気づけられ、ホントに来て良かったと思った。

フィナーレはグランドに全員集合、観客も踊り出す。帰り際、屋台の石狩鍋も堪能、沖縄で北海道の石狩鍋を食べるとは思わなかった。ソーラン節の一行と一緒に、地元からすべの食材を運んでやってきたのだという。これから、日本全国、海外とも音楽で交流することを目指しているというこの催し。期待しておこう!また来年も、なあ~んてね。

(「民族の祭典」何やら響きが恐いなあと思っていたら、そうだ、ヒトラーが作らせたオリンピック映画が確かこのタイトルだった。)

☆ ☆ ☆

ふ~っ、書いたぁ~…。お疲れさま。。。Bさん、確かに充実しすぎるのも考えものかも、ね。って、贅沢。

辺野古テント村

さていよいよ、辺野古。「へのこ」と読みます。

さっきの浜辺は、カヌチャベイから少し先の場所、嘉陽(かよう)という所らしい。私のガイドブックには名前は載っていないのだけれど大浦湾あたりなのかな。

そこから少し南部に戻ると、辺野古の海に出る。「ジュゴンを守ろう」の立て看板。辺野古の海は世界でも数少ないジュゴンの生息地だという。が、基地建設のボーリング調査が始まってジュゴンは近寄らなくなってしまったそうだ。「テント村はこちら」の看板を頼りに、車で下っていく。

henoko

西の端。正面の黒い影になっているところから~基地になる計画が…。

henoko1

正面、南の海の全面がすべてが基地になり…

(釣りをしている家族が見える。遠くの突堤の先にも何人か釣り糸を垂れていた。のどかな夕暮れの風景。)

henoko4

東の海、左手の突堤のあたりまで、全部基地になってしまう。つまり目に映る目の前の海が、すべて基地になり消えてしまうのだ。

テント村はひっそりとしていた。それもそのはず、来る途中で見た「ワイワイ祭り」の看板。今日は近隣の漁村のお祭りだという。オバア達も皆、早じまいして、お祭りに行ったという。留守を守る大阪から来られたという支援者の男性が一人。地図で説明してくれる。今までの案を撤回して、出された今回の案は、さらに受け入れがたい内容で、地元の保守系首長さえ受け入れがたい案なのだ。

今度の案は海を深く掘り下げるもので、これだと大きな船も接岸できるようになり、ヘリポートなどでなく軍港になる可能性があるのだ。とても受け入れられる内容ではない。

henoko3

座り込み567日の文字が。

強く願うこと。今の十倍も百倍も、千倍も。一人ひとりが心に強く願うことはどこにいてもできる。すべてはそこから始まる。

辺野古の海を見て、風を感じて、ただただそう思った。

浜辺のオシャベリ

さて、前回の沖縄の浜辺での続き。

米軍基地に関して書きたかったのは、ちょうど沖縄に行くその日、沖縄の海兵隊を7000人グアムに移動させるための費用を、日本が負担することに決まったという報道があった。それも、現行の法律では不可能なので、特別に法律をつくって、移転費用と、グアムの受け入れ施設建設費用を全額負担してあげるのだそうだ。アメリカ本土に作る米軍の施設を日本が作るのだ。どこまでお人好しか(イヤ、バカか)(イヤ国民をなめている)!

飛行機に乗る前にこのことを知ったのでどうしてもこれはBさんと話をしたかった。だから、辺野古に行けたのも必然だったのかもしれないと、これを書いている今は思う。

Bさんのご主人が用事を済ませてこられる間、私たち二人は近くの浜辺でノンビリおしゃべりしていた。

umi1 umi2

umibarutansan夕方、陽が傾き始めるまで、あっちこっちと木陰に移動しながら、2時間くらいオシャベリしていたかなぁ。

で、米軍の移設費用を日本が負担することに、私はなぜそこまでするのかと、疑問と同時に心底、怒りを感じる。教育や福祉の予算はドンドン削られるのに、なぜそんなにしてまで外国の軍隊を厚遇するのかと。こういう国に愛国心を持つことができる?

私が住みたいのは、もっと一人ひとりを大事にしてくれる国だ。そういう国ならば自然に自分には何ができるかと、地域や社会貢献も自分たちのこととして考えることができる。そのためには、国が個人をまず大事にする姿勢を持っていることが大前提だ。軍隊よりも、平和のために日本は何ができるかを考えなくては。

スマトラ沖地震の時だったか、日本はバングラデシュが支出した支援金の80分の1だったかしか出さなかった。日本とバングラデシュの経済格差を考えると、国の負担感の差はもっと大きい「なくても与えよ」とは、マザーテレサが貧しい現地の人から直接教わったことだという。一家の一食分しかない一袋の米を持っていくと、ありがたがってすぐに隣家へそれを分けて持っていき、何遍もお礼を言われたのだという。

豊かなはずの日本が、心が貧しくなっていくとしたら、国の姿勢そのものを正すことを私たち市民がもっと意識しなくてはならないと思う。今のままではやることがまったく逆ではないか。お金の使い道が間違っている。

話がずれました。

浜辺の会話はもっとのんびり。

理屈ではなく、イヤなものはイヤでいいと思う。戦争はイヤという気持ちだけではどうしていけないのか?気持ちをもっともっと大事にしたいね。難しい話をしないと政治に関われないなんておかしいし、実際、政治家がおかしなコトをやって結果的に犠牲になるのは、専門家でもないし難しい話は苦手な私たち市民なんだから。

なんかできないかなぁ。自分たちらしい意思表示。「デモのシュプレヒコールも苦手だし…。」「そうそう、あれね。『○○は△△しろ~!』みたいな。私も苦手、あれは自分の言葉としてしっくりこないもの。」

な~んか文章にすると堅苦しいけど、ぜんぜんそんなんじゃなかった。Bさんの自然体の雰囲気が、和んだ空気をつくってくれたのかもしれない。

nami kaigara

この間2時間くらい、地元の、犬を連れて散歩に来た人とか、手ぬぐいをかぶったオバサンとかがチラホラと、全部で10人もいなかったかも。ほとんど人影もない、静かな浜辺の極上の時間。

沖縄で不思議な出会い、そして基地

このところ、とても不思議な出会いとそのご縁で、いろいろとラッキーなことが続いている。先週末は沖縄のライブに行ってきた。ライブ翌日は米軍基地移設反対運動の辺野古巡り、そして同じ日の夜には野外音楽イベントを体験した。このうち予定していたのは、一日目の下地勇さんのライブだけで、あとの辺野古音楽イベントはまったくの偶然で体験できたことだった。そして計画してもとてもこんな充実したスケジュールは組めないと思われるくらい、中身の濃い二泊三日だった。

事の起こりは、一週間ほど前に、この「はるのかんたんふ」へのコメントがキッカケで沖縄在住のBさんと、双方のブログにコメントを書きこんだりしていたことからだった。Bさんのブログに、沖縄に立つ前日、「明日沖縄に行きます。」と、ほんのチョコッとコメントを書いた。そしたら夜半にBさんよりメールが届き、「ライブ会場の喫茶コーナーで会えますか?」とお返事が。お互い、出発前には読まれないかもしれないと思いながら書いていたにもかかわらず、結果的に短時間で連絡がつき、会場で会うことになったのだ。

さて、沖縄での当日夕方、開場時刻20分前に着いてみると、すでに行列ができていた。飛行場からホテルに荷物を置いて急いで駆けつけた私は、その列の一番後ろにならんでホッと一息ついて携帯をチェックした。Bさんからの着信履歴が入っていた。電話をすると、何とライブ会場の列に並んでいるという、初めて聞くBさんの声。

「私は今着いたので後ろの方です。」と伝えながら、列を見回すと、携帯を手に笑顔で振り向いた女性が前方に。これがBさんとの初対面だった。

それからは、ライブまで、オシャベリしながら開演を待った。後から聞いたところでは、なんとBさんは下地さんがインディーズのCDを初めて出した頃からのファンだという。下地さんがマリンショップの宣伝か何かに出たときに、収録の際、直接番組と関係のない女性アナウンサーまでドドッと駆けつけてしまったという裏話も聞いてしまった。

沖縄のミュージシャンのこと、地域の社会問題、政治やお互いの仕事や活動のことなどなど、いろいろと話した。初めてなのになぜか昔からの友達のような感覚で話ができたのは不思議だった。そのうちに、Bさんがある提案をしてくれた。ご主人が翌日やんばる(本島北部)に用事があって行くので、辺野古に行きたかったら乗せていってくださるというのだ

辺野古は一度行きたいと思っていたが、一人で行くのはちょっと重かった。が、Bさんも同様で、一緒だったら行きたいと言われる。渡りに船とばかりに、お言葉に甘えることにした。

こうして不思議なご縁とラッキーな展開が始まった。

ここから、「辺野古(へのこ)」ミニ報告。(米軍基地「巡り」→大浦(?)湾→辺野古)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

気持ちよく晴れた朝、宿泊ホテル近くの駅で拾っていただく。ご主人の運転で、一路北へ。

途中の米軍基地の周辺も廻ってくださった。と言うより、走っていると自然に米軍基地の周辺にならざるを得ないのが実情だ。緑豊かな道路脇が皆、米軍施設なのには驚く。ご主人が適切に解説してくださるので、問題が鮮明に見えてくる。こうしたことを知らずに走っていれば、「米軍基地に囲まれていると言うけれど、基地は見えないし、そんなたいしたことないじゃん」なんて思ってしまいかねない。一歩フェンスの向こうは、日本政府も関われない治外法権区域なのだ。

0511061

遠くに見える茶色の建物が米軍ヘリの墜落した沖縄国際大学。

左のフェンスの左側全体がずっと奧まで米軍基地。

0511064 木立の下の灰色の機体がヘリコプター。日曜なので人気がないが、普段は訓練で上空を頻繁に飛んでいるという。フェンス越しに撮影すると、広大な敷地と、その奧の手の届かない基地の大きさを実感。基地の中に街があると言われることを体で感じる。

0511065hageyama 一見ナンデモナイ小高い丘。 丘のてっぺんがはげているのはなぜか?

米軍の砲弾射撃訓練で、緑の山肌がはげてしまったのだ。

手前の駐車場に破片が飛んできたこともあったという。あまりの頻繁な訓練に住民から抗議の声が挙がり、一部が北海道に移されたことで、かなりこれでも緑が修復されてきたのだという。余談だが、紅葉のように見えるのは、マツクイムシにやられた松の木。

こうして、行けども行けども、基地が続く。右に基地、とぎれたと思ったら左に基地、と言う具合だ。10分以上走っても、道路脇のフェンスの向こうに延々と基地が続いているのだ。

基地というと、コンクリートで固められた殺風景な建物や装甲車やヘリコプターが並んでいるのを想像するけれど、こうした緑の続く中に、米軍住宅や専用のスーパーや施設が点在する景色もすべてが基地なのだ。つまり、生活の保障すべてをまかなうには環境を丸ごと提供するということなのだと沖縄に来て初めて実感した。在日米軍の75%が駐留する沖縄では、その仕事と生活の保障をすべて提供させられているのだ。とてつもない広い土地を、環境破壊と危険という「おまけ」つきで。

ワ~、書き出したら止まらなくなっちゃった。米軍基地に関してぜひ書きたいことがあと一つ。でも長すぎるので続きは次回に。

barutansan

車で案内してくださったBさんご夫婦。さりげない気配りとご親切には本当に感謝しかない。こんなに旅の思い出が豊かになったのもお二人のおかげだ。

へのへのこ(辺野古)

沖縄のばるタンさんのブログ(「友人のブログ」に登録)に時々お邪魔している。というと、以前からの知り合いのようだが、実はつい最近、私のブログにコメントを書いてくださったのがキッカケで、ばるタンさんのブログにお邪魔するようになった。そこのお友達の書かれるコメントも面白くて、時々覗かせてもらっているというわけ。

しかし、面白いなどと笑ってばかりもいられない。今日の日記には、辺野古の米軍基地建設反対のアピールをしていた、日本山妙法寺のお坊さん(木津上人)が不当逮捕されてしまったことが載っている。木津さんは不当逮捕に抗議して断食4日目にはいったという。

逮捕の理由が公務執行妨害と言うが、むしろ木津さんの方が車に引っかけられそうになっているのだ。言いがかりも甚だしい。

こんなことが東京近辺で起こったらどうだろう。大問題になるはずだ。それが沖縄で起こっても、何の報道もされない。

何の根拠もなく逮捕されるというのは、表現の自由という基本的人権も保障されていないということだ。私たちの住んでいる国はそういう国になりつつあるということをハッキリ認識する必要がありそうだ。

上のリンク先に抗議のファクスを送ってほしいという全国への応援の呼びかけがあるので、これを読んでくださっている人で、もし良かったら応援お願いします。

私はアムネスティにメールを書いた。アムネスティは中立性を保つために、自国の人権侵害に関与しないのがルールと聞いたことがあるので、こういうときの見解と判断を知りたいと思った。また、他国のアムネスティに訴える方法があるなら知りたいと思った。

沖縄で起こっていることは、私の目に見えないだけで、私に起こっていることと同じだと考えたほうがいいのではと思う。

でも、こんなのもあるヨ!

へ へ
の の
 こ

おっかしいでしょう?~(笑)イヤ、かっわい~ぃ!と言うべきか?辺野古に応援に来ていた高校生が考えたんだって。いいよね、こういうの。私大好き!!元気が出るね。(この「へのこちゃん」はちょっと面長、もっと縦が短い方がカワユイかも。)

みんなでこれを広げない?!皆さんのブログで、書いてみてはいかが?(行間があきすぎたりするときは、適当な行間隔のページで先にこしらえておいて、ブログに張り付けると簡単です。)

これ何?と聞かれたら、ちょっと話題にするだけでも関心が広がるように思うのだけど……。

縞模様の夕焼け

051101_1508001今日は空がきれいだった!

天気予報で言っていた。

「高気圧が大陸の乾いた空気を運んできたので、

今日はカラッとした爽やかな青空の一日でした。」なるほど。

で、そのせいなのかどうか、

今日の夕焼けは珍しい色の、素晴らしい景色だった。

どなたかご覧になった方はいらっしゃるでしょうか?

西の空一面に、珍しい夕焼け空。どういうことかというと、ピンクとブルーの縞模様なのだ。それも、数えられる縞模様だけでも、15本。屋根の上の地上近くから、空の上方に向かって、下から順番に数えていくと15段もの縞模様だ。

ピンクの濃淡にオレンジがかった部分、かと思うと、ブルーもグレーに近い色から紫に近い色まで。ピンクとブルーのバリエーションがピンク・ブルー・ピンク・ブルーと15段の層をなして西の空を染めている!!

それは素晴らしかった。生まれて初めて見た空の色だ。

両手に荷物を提げていたが、空が屋根に隠れないところまで走り出した。そして思わずカメラ、っと思って携帯をとりだし試みたが暗くて(腕が悪くて?)ダメ。そこで、家のデジカメならと思い、買い物袋を両手に大急ぎで帰って来た。

が、夕暮れの空はどんどん変化する。わずか数分のうちに、もうすっかり景色は変わっていた。ベランダから見た空は、ブルーグレーにわずかにピンク色が混じった日没の一歩手前の空だった。

ということで写真に撮れなかったのは残念!どうかまた見られますように!ホント、素晴らしかったんですから!

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