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選挙から2週間あまり…そしてツツジ

今日、千葉の友人(勝手に友人と呼ぶ)から電話があった。政治的な話で時々連絡をくれる男性だ。彼が言うには、今度の選挙結果を見て「もう日本を見かぎった」という意味の電話だった。今までいろいろ頑張ってきた人の言葉だったから、アーダコーダと反論はしなかったが、「でも、・・・というのもあるかも」とか「そうはいっても、・・・・という可能性も」とか、私なりに返事をしながら聞いた。一通り話した後、最後に彼は、日本中の花畑を巡るのが楽しみだと言って、「館林の『ツツジ』は死ぬまでに(まだ早いんじゃ?:影の声=わたし)一度はぜひ見るように」と教えてくれた。「私は私なりにこれからも頑張りますよ」というと「あぁ、頑張って!」と。そして受話器を置いた。メールを読んでもサイトを見ても、事態の容易ならぬことを察知している人達の間では、何とも言えない空気が共有されるこの頃だ。

しかし、こんなときこそ、楽天性は力を発揮するのだ!世の中の状況がどうであれ、今日も、美しいものは美しい。輝くものは輝いている。いついかなる時も、身近にあるステキなものを見つけよう♪

ちょっと話題は変わるが・・・

しばらく前に、あるメーリングリストに送ったメールに、多少手を加えてここに張り付ける。選挙前に天木直人さんが横須賀11区に立候補したことに触れて書いたことがあるので、そのまとめの報告として。というより、ホンの私なりの感想だが。

………………………………………………………………………………

先の選挙で横須賀11区に立候補した天木さんの件で、あくまで個人的な感想ですが、簡単にご報告します。

公示日初日に昼の横須賀中央駅での天木さんの街頭演説を皮切りに、その日一日夜8時の演説終了まで、全国各地から支援に集まった人たちと行動を共にしました。支援者は当初50~60人はいたでしょうか。
集まった人たちは(私も含め)、天木さんを中心に勝手連的な支援で盛り上げ、またそこから全国的な風が起こることを大なり小なり期待していました。その場で急遽方針も話し合いましたが、結局天木さんとの連携が採れず、勝手連立ち上げは流れました。

天木さんご自身は身内だけで選挙戦を闘うことを望まれていました。
勝手連とはいえ、ご本人の承諾や連携無しには成り立ちませんので、集まった人たちも何も支援することができませんでした。サイトやメーリングリストも立ち上げてくれた人がいましたが、それも十分に機能させることはできませんでした。

候補者本人を連想させる応援はいっさいできないので、「自衛隊はイラクから撤退を!」「日本は平和外交を」など、婉曲表現で平和を訴えながら、歌を歌い音楽を流して、天木さんの到着を待つのがせいぜいでした。

天木さんの演説そのものは率直な思いを真摯に語られて、感動的な内容の素晴らしいものでした。「外務省当時は組織に縛られて自分の言葉で語ったことがなかったが、今はじめて自分自身の言葉で語っている。小泉首相に進言して外務省を辞めさせられたが、少しも後悔していない。私は変わり始めている。自分を変えることは大変な努力のいることだ。政権交代しても日本は簡単には変われない。日本を変えるには、私たち一人ひとりが変わることが必要だ。皆さんも今日から私と一緒に変わってほしい。そして一緒に、本来、日本が持っていた豊かさを引き出し、日本をもっと良い国に変えていこう。」(要約・私)天木さん個人は精一杯選挙戦を戦われたのだと思います。

ただし、「風よ吹け」というポスターのコピーにしては、吹かせる手段をあまりにも閉じてしまっていたと言わざるを得ませんでした。勝手な私の解釈ですが、初めての市民活動ということで、天木さん自身の恐れや不安から支援グループと連携をとることに躊躇があったのだと思われます。全国からの支援の申し出が空回りしていました。
とても歯がゆく残念でしたが、候補者と連携がとれないのでは、応援のやりようがなく、期待は期待のまま終わってしまいました。

素晴らしいメッセージも、人の信頼の上につながりが生まれてこそ、そのメッセージが広がり、風も吹くのだと痛感しました。天木さん自身が言われていたように、「今、私は変わり始めています」というプロセスであると私は受けとめました。

このように残念な結果ではありましたが、横須賀に集った人たちから、「平和への勝手連」(きくちゆみさんの呼びかけ)という動きや、「全野党と市民の共闘会議」(仮名)と言う運動の立ち上げも模索されています。

「全野党と市民の共闘会議」については
http://www.scn-net.ne.jp/~casings/(「民主主義の会」「掲示板」に、
最近の動向が掲載されています。横須賀11区で全野党共闘をめざしギリギリまで奔走されていました)

今回の天木さんのことは、私なりに振り返れば、天木さん支援で風を起こしたいと願った私たちが、特定の個人に頼らず、自分自身が何をするかを改めて問われたシキリ直しのスタートと考えれば良いのかと今は思っています。

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公示日の横須賀の様子、インターネット新聞JANJANに報告があります。(ここでも以前紹介した記事)
http://www.janjan.jp/government/0509/0508311802/1.php

なお、選挙戦中の新聞報道は明らかに政権寄りでゆがんでいたと思っています。マスコミが意図的に報道しない部分と、過剰に報道した部分があまりにもハッキリ分かれていました。天木さんは報道されなかった側です。
アメリカから選挙のマスコミ対策にかなりのお金が使われた節も。
ご存知の方も多いでしょうが、以下のサイトをご参考までに。

2005.9.5(その1) 2005年森田実政治日誌[313] (これも選挙前にご紹介した記事)
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/

以上。メールの転載につき、重複の部分ご容赦ください。

美しいものを生かすために

20日付の記事「普通の国家(国)とは?」の元になった掲示板のカキコミの主は、いわゆる「アラシ」の常連だそうです。私の活動拠点である「セレニティ・カウンセリングルーム」の掲示板へのカキコミをあおるような言動で、別の掲示板で挑発していました。

そうとわかっていて、丁寧にお返事を書きました。しかし不毛の論争は避け、ただでさえ少ない時間を大事に有効に使わねばと思います。人生で何に時間を使うか、私にとってはとても重要なことです。コメントをお書き下さる皆さまにご迷惑がかかるといけないので、一応お知らせしておきます。

ある本の言葉がとても印象強く残っています。

「美しいものを生かしなさい。醜いものに生気を与えてはならない。浪費するエネルギーや時間はない。こんなに短い人生で、こんなに限られたエネルギー源で、それを悲しみや怒り、憎しみや嫉妬に浪費するのはたんに馬鹿げている。

それを愛に使いなさい。何か創造的な行為に使いなさい。友情に使いなさい。瞑想に使いなさい。

そのエネルギーで何かみずからを高めることをやりなさい。あなたが高まれば高まるほどさらに多くのエネルギーが自分のものになる。

それはあなたの手の内にある。」

今こそ、一人ひとりが自分のエネルギーを何に使うかが試されているような気がします。共感できる人たちと手をつなぎ、ほんのわずかずつであったとしても、私たちの周囲に豊かな空間と時間が増えることに力を注ぎ、そしてそのこと自体を楽しむことができますようにと、改めて心に強く願っています。

ネコジャラシ

050921_1544001 何を撮りたかったの?という感じですが……実は、左におぼろげに見えるススキを撮りたかったんです。

夕方、駅へと続く道。私は踏切が開くのを待って、ちょっと脇の方によけて立っていた。前方で、お母さんの自転車の後ろに座った女の子が、盛んに車輪のあたりに手を伸ばしているのが見えた。お母さんに「危ないからやめなさい」と何度か言われている。私が女の子の手の伸びる方をのぞき込んでみると、草むらにネコジャラシがいっぱい生えていて、もうちょっとで女の子の手に届きそう。だけど、届かない。

そこで、私の手元の一本を折りとって女の子の手に渡した。女の子はサッと受け取ると葉っぱを手でしごいて取り去ると、モコモコの穂先だけをホッペにあてて楽しんでいた。気づいたお母さんが私に向かって「どうもすみません。」女の子に向かって「ありがとうは?」

女の子は私の顔を見上げて、ペコリと頭を下げ、そして「ありがとう」と。私は思わずニッコリしてバイバイと手を振った。ちょうどその時、電車の最後尾が通り過ぎ、遮断機が上がった。ゾロゾロと人と車が踏切を渡り始め、その自転車の親子も遠ざかって行った。

ネコジャラシ、そういえば子どもの頃、よく遊んだなぁ。そんな思いに浸りながら踏切を渡っていて、ハッと気づいた。なんで私、声に出して「どういたしまして」とか「バイバイ!」とか言わなかったんだろう。よく、挨拶のできない若者とか言われるけれど、こんな感じなのかな、悪気はないんだけど、考え事をして歩いていたり、自分の世界に浸っていると、とっさには声が出ない。別に私は考えごとをしていたというわけではないけれど、何となくボンヤリと半分くらい自分の世界に入り込んでいたような気がする。

声を出そう、声に出して表現しよう。そうしたらもっと気持ちがよかっただろうな。女の子の気持ちが自分にも伝わり、私の気持ちも女の子やお母さんにも伝わっただろうな。

「普通の国家(国)」とは?

ホームページの掲示板のご意見に対して、掲示板では長文になるので、こちらに移させていただいてお返事を書きます。(下記はカキコミの内容です)

どうして憲法、特に第9条の改正にこだわるのかが分かりません。9条を変え<廃止し>たらすぐさま戦争になるかのようなプロパガンダが横行しています。
隣国などは、これを改正してはいけないと声高に叫んでいるようなのですが、これをすることにより、わが国をなめきった態度を取れなくなるからだと思います。
ぜひとも日本が「普通の国家」になってほしいと願っているのですが、いかがでしょうか。

このNさんのご意見の特に最後の部分、「普通の国家」になるのはいけないのか?に対して私なりの考えを書きます。

…………………

①「普通の国家(国)」とは何か?

アメリカの保守系大手雑誌「ナショナル・レビュー」最新号(7/4)で、編集主幹は日本が普通の国になることを求め、その先には、日本の海外での軍事行動および核保有までを視野に入れて求めていることがわかります。この文脈で言うところの「普通の国」が意味するものは何か、というふうに考えていく必要があります。単に「普通」=標準=良い判断、などと思っては、大変な判断ミスを犯すことになります。元々「普通」と言う言葉ほどあやふやなものはありませんからね。

「普通の子がキレた、なぜだろう?」くらいの、いい加減な用い方をされています。「普通」と聞いたら要注意、と思った方がよいくらいです。

さて、その「普通の国」ですが、一言で言えば「軍事力保有の国」であり、「普通の国」になるということは軍事大国化への道を選ぶということです。それは誇張した表現でもなんでもありません。軍隊を持ち、軍事的圧力で外交を進めることは、他国に脅威を広げ、緊張関係をつくります。それは相互にいっそうの軍事力の強化を促し、結果として果てしない軍事費の増大=軍事大国化へと踏み出すことですから。

また、「普通の国」と同じような表現で、軍事力を持つことで「主権国家」となるという言い方もされますが、これもおかしいですね。主権というものは、軍事力のあるなしに関わらず言うべきことを言うことが、主権の確立そのものです。自分の主張をするか、しないかは軍事力とは何の関係もありません。力(腕力)がないから言えない、という卑屈な根性から出る言葉です。裏返せば腕力しか頼みにできるものがないという情けない状態です。本当は違うんですけどね。目に見えない、非暴力の強力な手段を持っています。それが憲法前文や9条を支えている理念です。

こうしたレトリックに惑わされずに、本質を見抜いて考えていくことが必要でしょう。「普通の国」という表現にごまかされずに、堂々と日本の選ぶ道を提示すること、それが主権を行使するということにほかならないと思います。日本の選ぶ道はまず、現行憲法を生かすことではありませんか?

②具体的な話をします。

[具体例①]一番良い例は、イラクに自衛隊が派遣されて以後、日本人の外交官と青年が犠牲になっています。自衛隊が海外に出る以前、戦後60年間で一度もこうしたことはありませんでした。

平和憲法が海外に自衛隊を出すことに対して歯止めになってきたからです。この一点を見るだけでも明らかです。現行憲法が古くなっていないどころか、今こそ9条の理念が必要とされるときです。歯止めになっているからこそ、改正賛成派は9条(2項)を改正しようと躍起になるのではありませんか!?

[具体例②]15年くらい前になります。アメリカ人のダグラス・ラミスさん(当時津田塾大教授・若い頃、沖縄駐留米軍に勤務)の講演を聴きました。印象に残っている話の一つに次のエピソードがあります。

「アメリカ人の男の子は、生涯に一度は、もしかしたら人を殺すようなことがあるかもしれない。銃を使うようなことになるかもしれない、と思って大きくなります。日本の子どもはどうでしょう。そんなことを思いながら成長する子はまずいないでしょう。人殺しとは無縁で生きていけると思えることはとても人生で大きいことです。それが平和憲法を持っているかいないかという違いです。」(私の要約ですから、ご本人の言葉そのものではありません。)

私にもアメリカ人の甥がいますので、彼らの顔がその時浮かびました。同時に我が家の息子達の環境を思い、日本に生まれたことを感謝しました。私たちのすべきことは、日本をアメリカ型の「普通の国」にするのではなく、日本の平和憲法を世界の国々に広げていくことだと思っています。甥たちにも、安心して過ごせる国になってほしいのです。

[具体例③]この8月に聞いた話です。イラクの戦火をやっとのことでくぐってピースボートの集会で話をしたイラク人の女医さんの言葉です。「イラクに憲法9条が今すぐほしい」、そして「どうか日本の人はこの憲法9条をなくしてしまうのでなく、むしろ世界に広めていってほしい」と、必死に訴えていたそうです。

[具体例④]「戦争とは自分にとって『別れ』と『死』であります。」(本多立太郎さんの言葉)身内の人から、あるいは講演会で、体験者の話を聞くことが判断に役立ちます。

戦争体験者の話を聞く機会があったらやはり聞いておく必要がありますね。戦争体験者の中でも憲法改正に賛成する人、そうでない人、両方いますから双方の意見や体験を聞くことが自分で考える良い資料になると思います。このブログの7/11「パプリカのように」に、92才の戦争を語り継ぐ語り部、本多立太郎さんのお話を載せてあります。良かったら読んでみてください。かくしゃくとした素敵なおじいさんです。重いテーマを告発などではなく、冷静に、しかもご自身の感性と生き方を通して語られています。

本で読むより直接肉声で聞くことは、特に意味を持ちます。機会があったらぜひお勧めします。

③「国家対個人」の視点を持つこと。その時自分を強者の側(国家)に置かず、個人の立場から見ていく。国家がほしい人材は、「3パーセントのエリートと、後は黙っておとなしく言われたことを従順にやってくれる人間。」中曽根内閣の頃に盛んに言われたのはこうした人材を養成するための教育でした。私も反対運動の端くれにいましたが力及ばずでした。見事に今、その「成果」が表れています。

若者に対して「自分で考えて動こうとしない」「意欲がない」「即戦力にならない」など、さんざん企業・雇用側から不満の声が聞こえますが、そうした方針で教育してきたのですから、当然このような結果を生みます。これを見てもいかに国の施策が一貫性のないものかは明らかです。その中でひとときの使い捨ての人材として見なされてしまう個人を、国の側からでなく、個人の立場で見ていくことが大事だと思うのです。ともすれば私たちは強者の側につきたいから、自分は傷みを被る側ではないと思うことで、見なくてはいけない部分を見ないですませがちですね。

戦争やテロの犠牲になって被害を受けるのは、どこかの誰かではなく自分や自分の身内であるかもしれないし、消費税の重圧にあえぐのもどこかの誰かでなく自分だということを、個人の視点を持ち続けることで、より切実に考えることができるのではないでしょうか。

大事なのは自分の頭で考え、自分の感性で感じ続けていくことだと思っています。

(ご意見の前段「プロパガンダ」とかそのほかにも気になる表現がありますが、ここでは触れません。)

方言ブーム

方言ブームなのだとか。来年「音祭り」に出演していただく下地勇さんも記事に登場。そうしたら、いきなり下地さんのサイトへのアクセスが一日に何千とか。この記事がヤフーサイトに掲載されたからということですが、スゴイ数の人たちがネットを通してつながっているんですね。改めてその数に驚き!…変なことに感心してしまった。

秋の夜長

今日は満月?いや明日だったか?

駅からの帰り道、宵闇迫る南の空に、まあるい月が明るく光っていた。そういえば、暑い暑いと言いながらせわしなく過ぎた夏のせいか、すっかり夜空を見上げることも忘れていた気がする。

空には満月。草むらにすだく虫の音(ね)。これにススキの穂と来れば、文句無し!(ご近所の庭の垣根越しに、丈高いススキの真っ白な穂波が揺れている)まさに役者揃い。

秋!ですね。

さて、これから秋の夜長をどう過ごすか…、週末のささやかな楽しみ♪(と言いながら、日曜に仕事なんかするでないヨ、と自戒の言葉。)

では久々にビデオでも借りに行く?それともご無沙汰続きの叔母に手紙を書く?音楽を聴く?何をしようかと、…ぼんやり過ぎていくのもまたいい。今日は仕事の充実感と心地よい疲れで満足、内容のないダイアリーで失礼。

希望とユーモア

050809_1046002 8月の初めに、畑の隅で撮った写真。花のように見えるのは葉っぱです。

希望とは絶望の中から生まれるのではないかなぁ…などと、この数日何となくそんなことを思っていた。絶望的な状況の中でこそ、希望が生まれるというか、どんな小さな光でも希望になりうるというか…。

そしたら、皆考えることは同じなのだろうか。あるメーリングリストに魯迅の『希望』からこんな言葉が引かれていた。(筆者は「自然と人間」の若い編集長、熊谷伸一郎さん)

…………………………………

「希望とはもともとあるものでもないし、ないものでもない。それは
ちょうど地上に道ができるのに似ている。みんなが歩くから道が
できる。希望とはそのようなものである。」

…………………………………

そして、ドイツ在住のジャーナリスト梶村太一郎さんは、同じ魯迅の『希望』から次の言葉を。

「絶望の虚妄なること希望に等し」

片山訳では:
「絶望が虚妄であるのは、まさに希望と同じだ」
(梶村「鏡のある風景」『侵略の証言』306頁にあります)

これは、わたしが危機の時に引用する魯迅の言葉です。

………………………………

熊谷さんは、今こそユーモアが必要だとも書いている。そう言えば、「夜と霧」の著者フランクルは「笑い学会」の提唱者と聞いたことがある。最初に「笑い学会」と聞いたときには冗談かと思った。臨床心理関係の研修会で、講師の口から聞いたのだが、提唱者がフランクルと聞いて、冗談どころかその意味の重さに気づかされた。

希望ユーモア、本当にこういう時代だからこそ、いっそう大切にと思う!

笑顔が増えることは

flower2 選挙が終わって、二日経った。何だか脱力したようなこの数日だ。

私の中では、ある意味で新しい世界の始まりのような気もしている。それが何だか定かではないけれど、暗いままでもなく、何かがあるような…。

しっかし、小選挙区制ってこういうことだったのだ!強い者はより大きな力を発揮する一方、力のない者はより力が出せないように仕組まれているのが、よ~くわかった。自民党と民主党の得票率は47:36で11パーセントの開きだが、議席獲得率は自民党73パーセントに対して民主党はわずか17パーセントだ。得票率が選挙結果に反映していないということになる。選挙で反映されなかった票=死票の割合が、民主党は76.9パーセント(ちなみに自民党は18.5)、共産党の票493万票はすべて死票だという。これで民意を問うたと言えるのだろうか。とても疑問だ。

こんな時に自分にできること、それは健康を維持して、元気でいること。政治の力を当てにできないから、私たち市民は今まで以上に、協力して、自分たちの周りをまず居心地よくしていくことに力を注ぐことだろうか。それは決して、自分たちさえ良ければということではなく、大きな変革はできなくても笑顔を増やしていくことはできる、そんな意味でだ。そしてそのことは一見小さいことのようだが、とても大切なことだとこういう時だからこそ改めて思う。どのような大きな変化も一人ひとりから始まるからだ。

選挙に行く前に

選挙に行く前に読んでおこう!マガジン9条「森永卓郎の戦争と平和講座」

いつも選挙に行かない人も、今回だけは行って、4年間を託す人を選ぼう。問題は「郵政」だけではない。12月の自衛隊のイラク派遣延長に備え、首都防衛を担当する東部方面隊に準備の指示が出たと今日のネットニュースに載っている。自国の首都を守るより、他国に憲法を無視してまで出たがるのはなぜなのだろう。

郵政審議の次は、秋以降、憲法問題がにわかに浮上してくるだろう。9月11日の選挙で私たちが選んだ議員がそれを審議する。この選挙に、私たちの運命がかかっているといっても言いすぎではない。

選挙に行く前に観ておこう!「チャンネル桜報道特番-西尾幹二が郵政改革を斬る」

本来なら最も強固な与党支持者でさえ、今回の選挙では支持していない。支持できない根拠を、専門外の西尾氏は勉強した上で、丁寧にわかりやすく説明して説得力がある。56分という長い番組だが、一気に観られる。ぜひ観ていただきたい。(ストリーミング放送)

私の知らせることのできる範囲はホントに小さい。友人・知人とこのブログだけ。でも、一人でも多くの人に知ってほしい。これを読んだ人が一人でも多くの人に事実を知らせてほしい。もちろん、「一人にでも」いいから知らせてほしい。

「こんな話を読んだよ。」「こんなことを聴いたよ」と。

……………………………………………………

「はるのかんたんふ」はその名の通り、ホンワカ、楽しい話題を取り上げたくてこの名前をつけた。だけどなんという、世の中の様変わり。アレヨアレヨという間に、社会がおかしな方向に行ってしまっている。後悔しないように、楽しくないことでも、語っておかなくてはと思う。

これからも楽しいことを語ることができるように…。私たちが平和な時間を持てたように、次の世代も、その次の世代も、平和な時間が持てるように…。

植物に話しかける

flower1

昨日、美容院へ行った。カットしてもらいながら、美容師の店長と話したことが面白かった。こぢんまりとしたお店なので、店長一人で店を切り盛りするときもあるが、そんなとき誰もお客が来ないときなど、何となく話したい気持ちがたまってくる。それで店内の鉢物に水をやるときに、話しかけているのだそうだ。

私も家で植木鉢に水をやったり、花瓶の水を換えたりするときに、同じように植物に声を掛けながらやっているので、「わかるわかる」と返事をした。すると店長は振り向いて若いスタッフに言った。「ほら、あるだろう?そうなんだよ。」

「だって、店長の場合、水をやりながらブツブツしゃべってるんですよ。普通の会話みたいに・・・。大きくなれよ、とか話しかけるんならわかりますけど。」若い女性スタッフは反論しながら笑っている。

「ア、ハッハッハ…、おもしろ~い!」私は大笑いしてしまった。こういう店長の気持ち、よ~くわかる。確かに人から見たら、そうやって植物に話しかけるなんて一見バカみたいかもしれないけれど、本当はスゴク意味のあることだと思う。人間も植物も同じ生き物だし、お互いにエネルギーの交換をして生きているからだ。それは単に酸素と二酸化炭素の交換という化学的な意味合いからばかりではない。目に見えない生き物のエネルギーは自分以外の生物に影響を与える。それを感じるか感じないかの違いだけで、私たちは大なり小なりそう言う環境にあることは間違いない。

サーフィンで日焼けした若者が店でお客を待ちながら、植物に話しかけつつ水をやっている、こういうのって、なんだかいいなぁ。

で、下記、感性のイベント。詳しいお知らせは後日、決まり次第。

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<今こそ、私たちの感性を呼び覚まし、人の心とつながろう>

   ― 第二回 2200kmを結ぶ音祭り ―

日時:226年1月14日(土)午後4時開演(予定)
場所:埼玉県県民活動総合センター 小ホール(埼玉県北足立郡伊奈町)
出演:歌と演奏 下地勇
            下館直樹
    ボディ・パーカッション指導 川口佳楠
主催:セレニティ・カウンセリングルーム

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先日、知り合いの花屋さんで残った花をもらってきた。通常古くなった花は捨ててしまう店が多いけれど、「まだ咲いていると思うとそれができなくてねぇ。」と。最初は大きな花瓶に、それから毎日短く切りつめては、小さい花瓶やビンに活け替え、最後はゼリーの空き容器に花だけを飾り、4日間楽しませてもらった。

写真は頂いて帰った翌日か二日目くらい、なかなか活き活きしているではないですか!

風は吹く?

8/28の「日記」に(と言うのも恥ずかしいくらい飛び飛びの記述なんですが)、衆院選に立候補予定(その時点では)の天木直人さんのことを書きました。30日には、その選挙区である横須賀に行って、街頭演説を聞いたり、いろいろなパフォーマンスの合間に、全国各地から来たいろいろな立場の支援者の人たちとも交流し、意見を交換することができました。

インターネットは便利ですが、そこでは得られない生(なま)の体験や、場の空気は、貴重な情報源ですね。横須賀は覚えている限りでは初めて訪れたような気がします。神奈川生まれなので、一度くらい尋ねたことはあるのかもしれませんが、記憶にないのです。

横須賀港の様子は、やはり軍港という雰囲気が漂っています。横須賀中央駅から港まで歩いたのですが、港に近づくに連れて、街の様子も変わってきます。沖縄のコザの街並みをを思い浮かべました。日本全国の米軍基地周辺は皆こうした雰囲気なのでしょうね。

世界中に700余りの米軍基地があると言いますから、世界中で横須賀や沖縄のような街が、基地周辺に広がっているのでしょうね。世界に広がる米軍基地自体がすでにアメリカ帝国だとわれるのも何だか分かる気がします。(写真は公園から見た横須賀港)

yokosuka1

http://www.janjan.jp/government/0509/0508311802/1.php?PHPSESSID=b2252be4c991c30c29936c4dd1416856

上のインターネット新聞JANJANの記事に、この日の様子がとてもうまくまとめられているので、こちらをお読み下さい。(ナンチャッテ、人の文章でお茶を濁してスミマセン。)

筆者のるりさんとは、ほとんど同じ行程で動いていたので、るりさんの記事はそのまま私の感想・言いたかったことに通じています。しかもうま~くまとめてくださってますし・・・。(掲載写真の脇の方に私もいたのです。)

http://give-peace-a-chance.jp/118/050829.html

こちらの方は英「フィナンシャルタイムズ」(8/28)の記事をザッと翻訳したものだそうです。

今回の選挙について書かれたものですが、この記事の最後に、「しかし小泉氏ですら、日本の郵政事業の金融サービスの民営化は2017年まで考えてはいないのである。それよりもずっと前に、この選挙戦で無視された外交政策の矛盾が蘇り日本に取り憑くことになろう。」とあるので、自民党のWEBで調べてみました。(騒がれているのにじっくり読んでいなかったんです)

なるほど郵政民営化は2017年までに順次行っていくことになっているんですね。2007年に民営化というからすぐかと思ったら、それから10年かけて完全に民営化なのですって。

今まさに急を要する課題、という現在のかけ声とは裏腹のえらく先の話で、なんかうさんくさい気がしてしまいます。自分の目でしっかり見ないといけないとは思います。

でも専門家でもない一般の私たちが、すべてに的確な判断を下すなどと言うのは不可能な話です。だからこそ、政治家はウソをつかず、誠実に税金を使って仕事をしてくれなくちゃね。そのための人を選ぶのですが、イヤ~、頭、痛いですね。

銀河の夢コンサート

050827 南国の花、

まさに「夏!」というかんじですネ。

葛飾プラネタリウム・ライブ「銀河の夢コンサート」に行ってきました。

と言っても、一週間も前のことです。(ぜんぜんダイアリーじゃないですねぇ。ごかんべんを)

コンサート終了後、片づけ始めたスタッフの方がステージ正面に飾られていた立派な花を運び出してきました。そして「ご自由にお持ち帰り下さい」と声を掛けてくれたのでした。そこで少し頂いてきたというわけです。

でもほとんど誰も関心を示さないんですよ。ファンのお目当ては下地勇さん。30分以上もCDにサインを求める人の行列が続いていました。最後の人が終わるのを待って、握手だけして帰ってきました。下地さん「お元気ですか?あっ、その顔は元気そうですね!」ですって。私は間の抜けた会話をしてしまいました。つられて「お元気ですか?」っと。つい今しがた、元気に歌っているのを目の当たりにしたばかりだというのに…アホ!。ときどき(?)やるんですよね、こういう閉まらない会話。

マネジャーのOさんにも会えて嬉しかったです。「(ライブの準備は)進んでますか?」「ええ、タイトルは決まりましたよ。『今こそ、私たちの感性を呼び覚まし…(モゴモゴ)』(途中で詰まる私)「あれ?、自分で言えなくなっちゃった」。

Oさん「ナガ(長)!」(笑)

とにかく「2200kmを結ぶ音祭り」ですと私。

………………………………………………………

コンサートの隣の席には、ロータリークラブの紳士が二人。地元の話など少し聞かせていただいた。このあたりは5,6年前の開発で、こういう大きな通りと施設が整ったとのこと。11月に毎年やっているお祭りに、今年は下地さんに出てもらうことになっている。このところ沖縄の人が多いこと、夏川りみにも来てもらったけれど、ヒットしたらもうとても手が届かないとか、なんたらかんたら、いろいろよもやま話も。

こういう話が聞ける親しみやすさも下町の魅力。そしてアンコールも終わって席を立とうという時、お隣の紳士は「ああ面白かった!これなら○○さんも大丈夫だ。」と言っていた。どうやらお祭りの実行委員らしい。○○さんは委員長かな?11月に同じ葛飾で下地さんのコンサートがあるのだが、この夜はそのプレイベントだったのだ。地元の主催者として、心配は吹き飛んで、今夜のライブで太鼓判を押されたというわけだ。帰り際「11月にもぜひどうぞ」と勧められてしまった。

立派な広い道路と施設、整った親水公園など、私の描いていたイメージとはずいぶん違ったが、下町の温かさは健在だった。

バックを務めるミュージシャンの皆さんにも、春の沖縄以来、お目にかかれた。沖縄のライブが懐かしい。

コンサートが終了して小一時間にもなろうというのに、まだまだ皆さん、立ち去る気配もなく、立派な花々はそのまま出口を彩っていました。スゴイですねぇ、ファンの情熱って。もちろん私も、心地よさと活き活きとしたパワーをもらってきましたよ♪

トラさんの故郷、葛飾柴又でのコンサート。下地さんもトラさんの出で立ちで(ブカブカの上着に帽子に鞄を提げ)登場するサービスもあって、親しみのある楽しいひとときでもありました。

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