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「普通の国家(国)」とは?

ホームページの掲示板のご意見に対して、掲示板では長文になるので、こちらに移させていただいてお返事を書きます。(下記はカキコミの内容です)

どうして憲法、特に第9条の改正にこだわるのかが分かりません。9条を変え<廃止し>たらすぐさま戦争になるかのようなプロパガンダが横行しています。
隣国などは、これを改正してはいけないと声高に叫んでいるようなのですが、これをすることにより、わが国をなめきった態度を取れなくなるからだと思います。
ぜひとも日本が「普通の国家」になってほしいと願っているのですが、いかがでしょうか。

このNさんのご意見の特に最後の部分、「普通の国家」になるのはいけないのか?に対して私なりの考えを書きます。

…………………

①「普通の国家(国)」とは何か?

アメリカの保守系大手雑誌「ナショナル・レビュー」最新号(7/4)で、編集主幹は日本が普通の国になることを求め、その先には、日本の海外での軍事行動および核保有までを視野に入れて求めていることがわかります。この文脈で言うところの「普通の国」が意味するものは何か、というふうに考えていく必要があります。単に「普通」=標準=良い判断、などと思っては、大変な判断ミスを犯すことになります。元々「普通」と言う言葉ほどあやふやなものはありませんからね。

「普通の子がキレた、なぜだろう?」くらいの、いい加減な用い方をされています。「普通」と聞いたら要注意、と思った方がよいくらいです。

さて、その「普通の国」ですが、一言で言えば「軍事力保有の国」であり、「普通の国」になるということは軍事大国化への道を選ぶということです。それは誇張した表現でもなんでもありません。軍隊を持ち、軍事的圧力で外交を進めることは、他国に脅威を広げ、緊張関係をつくります。それは相互にいっそうの軍事力の強化を促し、結果として果てしない軍事費の増大=軍事大国化へと踏み出すことですから。

また、「普通の国」と同じような表現で、軍事力を持つことで「主権国家」となるという言い方もされますが、これもおかしいですね。主権というものは、軍事力のあるなしに関わらず言うべきことを言うことが、主権の確立そのものです。自分の主張をするか、しないかは軍事力とは何の関係もありません。力(腕力)がないから言えない、という卑屈な根性から出る言葉です。裏返せば腕力しか頼みにできるものがないという情けない状態です。本当は違うんですけどね。目に見えない、非暴力の強力な手段を持っています。それが憲法前文や9条を支えている理念です。

こうしたレトリックに惑わされずに、本質を見抜いて考えていくことが必要でしょう。「普通の国」という表現にごまかされずに、堂々と日本の選ぶ道を提示すること、それが主権を行使するということにほかならないと思います。日本の選ぶ道はまず、現行憲法を生かすことではありませんか?

②具体的な話をします。

[具体例①]一番良い例は、イラクに自衛隊が派遣されて以後、日本人の外交官と青年が犠牲になっています。自衛隊が海外に出る以前、戦後60年間で一度もこうしたことはありませんでした。

平和憲法が海外に自衛隊を出すことに対して歯止めになってきたからです。この一点を見るだけでも明らかです。現行憲法が古くなっていないどころか、今こそ9条の理念が必要とされるときです。歯止めになっているからこそ、改正賛成派は9条(2項)を改正しようと躍起になるのではありませんか!?

[具体例②]15年くらい前になります。アメリカ人のダグラス・ラミスさん(当時津田塾大教授・若い頃、沖縄駐留米軍に勤務)の講演を聴きました。印象に残っている話の一つに次のエピソードがあります。

「アメリカ人の男の子は、生涯に一度は、もしかしたら人を殺すようなことがあるかもしれない。銃を使うようなことになるかもしれない、と思って大きくなります。日本の子どもはどうでしょう。そんなことを思いながら成長する子はまずいないでしょう。人殺しとは無縁で生きていけると思えることはとても人生で大きいことです。それが平和憲法を持っているかいないかという違いです。」(私の要約ですから、ご本人の言葉そのものではありません。)

私にもアメリカ人の甥がいますので、彼らの顔がその時浮かびました。同時に我が家の息子達の環境を思い、日本に生まれたことを感謝しました。私たちのすべきことは、日本をアメリカ型の「普通の国」にするのではなく、日本の平和憲法を世界の国々に広げていくことだと思っています。甥たちにも、安心して過ごせる国になってほしいのです。

[具体例③]この8月に聞いた話です。イラクの戦火をやっとのことでくぐってピースボートの集会で話をしたイラク人の女医さんの言葉です。「イラクに憲法9条が今すぐほしい」、そして「どうか日本の人はこの憲法9条をなくしてしまうのでなく、むしろ世界に広めていってほしい」と、必死に訴えていたそうです。

[具体例④]「戦争とは自分にとって『別れ』と『死』であります。」(本多立太郎さんの言葉)身内の人から、あるいは講演会で、体験者の話を聞くことが判断に役立ちます。

戦争体験者の話を聞く機会があったらやはり聞いておく必要がありますね。戦争体験者の中でも憲法改正に賛成する人、そうでない人、両方いますから双方の意見や体験を聞くことが自分で考える良い資料になると思います。このブログの7/11「パプリカのように」に、92才の戦争を語り継ぐ語り部、本多立太郎さんのお話を載せてあります。良かったら読んでみてください。かくしゃくとした素敵なおじいさんです。重いテーマを告発などではなく、冷静に、しかもご自身の感性と生き方を通して語られています。

本で読むより直接肉声で聞くことは、特に意味を持ちます。機会があったらぜひお勧めします。

③「国家対個人」の視点を持つこと。その時自分を強者の側(国家)に置かず、個人の立場から見ていく。国家がほしい人材は、「3パーセントのエリートと、後は黙っておとなしく言われたことを従順にやってくれる人間。」中曽根内閣の頃に盛んに言われたのはこうした人材を養成するための教育でした。私も反対運動の端くれにいましたが力及ばずでした。見事に今、その「成果」が表れています。

若者に対して「自分で考えて動こうとしない」「意欲がない」「即戦力にならない」など、さんざん企業・雇用側から不満の声が聞こえますが、そうした方針で教育してきたのですから、当然このような結果を生みます。これを見てもいかに国の施策が一貫性のないものかは明らかです。その中でひとときの使い捨ての人材として見なされてしまう個人を、国の側からでなく、個人の立場で見ていくことが大事だと思うのです。ともすれば私たちは強者の側につきたいから、自分は傷みを被る側ではないと思うことで、見なくてはいけない部分を見ないですませがちですね。

戦争やテロの犠牲になって被害を受けるのは、どこかの誰かではなく自分や自分の身内であるかもしれないし、消費税の重圧にあえぐのもどこかの誰かでなく自分だということを、個人の視点を持ち続けることで、より切実に考えることができるのではないでしょうか。

大事なのは自分の頭で考え、自分の感性で感じ続けていくことだと思っています。

(ご意見の前段「プロパガンダ」とかそのほかにも気になる表現がありますが、ここでは触れません。)

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コメント

 日本にとって世界とは、自民党的にも外務省的にも防衛庁的にも日本とアメリカ合衆国とその他しかありません。従って、日本にとって普通の国=アメリカ合衆国なのです。

ルチさん、初めまして。(ですよね?)
…でなかったら、ごめんなさいね。

アメリカと日本とその他の国しかないとしたら、こんなに世界は広いのに残念なことですね。

………実は、

この間ある懇親会で中国の若いご夫婦と同席しました。長身で好青年のジャーナリストのご主人と、楚々とした風情のピンクのスーツがお似合いの可憐な奥様。話の内容も知的でステキでした。その時中国語が話せたらなあと、ホント、切実に思いましたね。

私はしかたがないので、中華料理の名前を出して、片言の日本語の、来日数ヶ月の奥さまと二言三言。(旦那さんは日本語堪能)

結局、餃子の作り方で終始しました。

世界の国とおつき合いしたいですね♪

>③「国家対個人」の視点を持つこと。その時自分を強者の側(国家)に置かず、個人の立場から見ていく。

これは本当に大切ですね。私は戦争のことや軍事のことを考える時は、「自分が実際最前線で戦うこと」を前提に考えます(女ですけど)。私は国のために命をささげる事は真っ平ですし、死して英霊になって靖国神社に祀られる事も断固として拒否します。

このような意見は実際、軍備や国際政治に詳しい軍備推進派の方に言わせれば感情論でお話にならないのかもしれませんが、それなら彼ら自身に前線に向かってほしい。小泉首相が憲法改正をしたいなら彼の息子の孝太郎を前線に送ってほしい。

日本は今とても大事な局面に立っていると思います。

何故その中国の巨大な軍隊の存在を問題にしようとしないのでしょうね。
その中国の方にも中国軍を無くす様に働きかけてみたらいかがでしょう。
中国に対しては「全く」軍隊の放棄を要求せずに日本にのみ自衛力の放棄をさせようとするから、日本の「自称」平和主義者は国内の一般国民から応援されないのだと思います。

>このような意見は実際、軍備や国際政治に詳しい軍備推進派の方に言わせれば感情論でお話にならないのかもしれませんが

そうですね、感情論で遠ざけられてしまいますけれど、私は心理の仕事を専門とするようになってから、それこそが問題だと考えるようになりました。

感情を切り捨ててしまうと、人間の本質に届いた解決にならないように思います。少なくとも自分の足もとから考えていくには、感情を抜きにしてはできませんものね。

maさん、初めまして。

>その中国の方にも中国軍を無くす様に働きかけてみたらいかがでしょう。

私の政治へのスタンスは自分の暮らしから考えることと、そしてそれを基に自分に何ができるかを考えることです。

そのことからいうと中国の軍隊の話は私の扱える範囲を越えています。政治の議論としては成り立つかもしれませんが、それは机上のことであって、実際に私が関われることとはあまりにかけ離れています。つまり「私にとっては」その議論さえ不毛です。

私にできるのはもっと身近なことです。それを一歩ずつ進めることです。中国を知ること、それも国ではなくまず、個人と交流していくこと、そんなことですね。

>>「国家対個人」の視点を持つこと。その時自分を強者の側(国家)に置かず、個人の立場から見ていく。
 自分と国と国民を区別して考えることができない人がいますね。意識してか無意識にか、国=自分を同化している人がいますが、非常に危険です。私は国=国会議員及び高級官僚だと理解しています。
 国と国民も全く別のものです。国民には国を守る義務があると真剣に考えいる人がいますが、本来は国に国民を守る義務があるはずです。なお、自衛隊は「直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務」とする機関です。つまり自衛隊は「国民」を防衛する機関ではありません。

ルチさん、こんばんは。
「初めまして」じゃなかったですね。失礼しました。

>国民には国を守る義務があると真剣に考えいる人がいますが、本来は国に国民を守る義務があるはずです。

そうなんです。この重要なことが逆転して見られがちですね。国が国民を守るからこそ、その国をみんなで支えていこうという意識を持つことができるのだと思います。国民というのは、この場合、一人ひとりの個人と置き換えた方が、主旨がハッキリするように思います。

ああああああーーーー。私は憲法9条改正反対なんです。理想は非武装中立です。でもこの頃考えてたら、今日本が軍隊なしに平和に暮らせているのはアメリカと安全保障条約?を結んでいて沖縄に米軍がいるからかなあって気が付いたのです。
もしも米軍がいなくて、日本に軍隊がいなかったら日本はたちまち中国あたりに侵攻されてしまうんじゃないでしょうか?
さくら子さんはどう思いますか?

国が軍隊を持ち、それを使いたいと思うときには、必ずどこかに(仮想)敵国を作り、人々の不安をあおるのが常套手段です。カッコ付きにしたのは、「仮想敵国」なんて言う表現は、使う側は絶対に言いませんから、「敵国」と言われたら、「本当に敵なの?」と疑ってかかる(読み替える)知恵が必要です。

人々の恐怖や不安をかきたてて、防衛・自衛と言って、軍備を増強していき、互いに敵意だけが膨張していく道を進むのか、9条を守って(守る意思と行動力で)他国と友好関係を結ぶのか(他国の一般市民と仲良くやっていくのか)、二つに一つですね。

私は憲法9条は武器以上に日本を守る強力な財産であると誇らしく思っています。残念なのは日本人自身がそのことを自信を持って、世界にアピールしていないことです。

なぜ中国が攻めてくると思われますか?中国と一口に言ってもいろんな人がいます。テレビに映る日本大使館に投石している人だけが中国人ではないですね。ちょうどイラクに出ている自衛隊が日本を代表したり、小泉首相が日本の代表でないように。
マスメディアに流れる情報がすべてだと思わないことです。それは誰かの意図によって操作される可能性がある、というより、もともとメディアというものはある意図によりつくられるものだからです。

恐いとか、不安に思うならその正体を知ることです。何を恐いと思うのか、不安なのか、その根拠がどこから来て、それは事実に基づくものなのか。関東大震災の時に、朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだというデマが飛んで、多くの朝鮮人が殺されました。ちょっとした不安や恐怖が、巨大な恐怖とそれによる憎悪を生んで暴力へと人々を駆り立てます。真実を見る目を持たないと簡単にその罠にはまります。

テンコさんが戦争はイヤだと思うなら、不安に駆られるより徹底して真実を見ることです。それは自分と周りの人を救います。何より人間としての尊厳を育みます。それは生きるに値する生を、いかなる時代にあっても、たとえこの先不幸な時代になったとしても、自分に保障してくれるものです。

今の日本の状況は、米兵一人当たり1200万円という「思いやり予算」や、沖縄をはじめ日本各地での米軍の傍若無人の非合法の振る舞いなど、安保条約そのものからさえ逸脱した、単なるアメリカに従属する国になってしまっています。

もし本当にそれでもアメリカに守ってもらうためなら仕方ないと思うなら、まず沖縄にある日本全体の75%と言われる米軍を私たちの地域にも引き受けるべきです。そうして身にしみて自分のこととして考えてみたときに、本当にこれが平和と言えるのか、その時初めて憲法9条の重さが分かるのではないでしょうか。

60年前、もう二度と戦争はゴメンだと思った父母、祖父母の体験を身近に感じて育った私は、絶対に9条2項は変えてはいけないと思いますし、そのためにあらゆる自分にできることをやりたいと思っています。

本当に自衛手段として軍隊を持つなら、9条を改正して、軍隊を持ち、徴兵制も覚悟する必要があるでしょう。今でさえ、イラクに自衛隊が出ているのです。9条がなくなったらどうなるのでしょうね。

この件では、言いたいことは山ほどありますが、まとまらないので、これくらいで・・・。

7月の「パプリカのように」だったかな、そんなタイトルで書いた文がありますので読んでください。92才の本多さんの体験話などあります。

生意気を言ったかもしれません。ご容赦下さい。

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