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パプリカのように大きく!

papurica この見事なパプリカ!

手のひら一杯の大きさ。(後ろのキュウリと比べてみて)

渋谷の雑踏の中を、畑から直送の野菜を買って帰るのも妙な気がするものですね。

上の写真は、懇親会会場の有機野菜レストランで買ったものです。緑のパプリカのあまりの見事さに感心して眺めていたら、奧からオーナーがさらに大きな黄色く熟したのを出してきてくれたのです。千葉でご両親が作る野菜を、毎朝車に積んできて、それを食材に料理し、一部を販売しているそうです。新鮮で、安心で、しかも驚くほど安い。料理もシンプルで自然なおいしさ。しかも低価格。本当にこれでいいの?と言いたくなるほど。

お店の名は「野菜畑」。渋谷駅から表参道に向かって青山通りを進み、「子どもの城」「国連大学」の少し先(左側・国連大学の並び)。道路からガラス張りの二階窓に「野菜畑」の文字が見える。(道路の反対側を歩いていくとよく見える)

         ……………………………………………………

(ここからはまたもや長文ですみませんが、充実した内容だったので、少し詳しく報告します。)

GPPACというイベントに行った。2,3日前にここでお知らせしたイベントだ。GPPAC(ジーパックと呼ぶそうです。)は、2001年、国連のアナン事務総長が報告書の中で「紛争予防における市民社会の役割が大切」だと述べ、紛争予防に関するNGO国際会議の開催を呼びかけ、これに応えて発足したプロジェクトだそうだ。日本ではピースボートを中心に、東北アジアの紛争予防に果たす「憲法9条」の役割を提案してきた。

そしてその国連での発表がこの7月19日~21日。それに先駆けて日本での市民会議を開き、その会議での成果も国連発表に盛り込もうという趣旨だ。その会議が昨日だった。今日11日は、昨日の集会での発言などもまとめ、記者会見がおこなわれているはずだ。昨日はNHKも取材に来ていた。

<昨日(10日)の市民会議/プログラム>(GPPACの資料より)

第一部
  平和出前噺: 本多立太郎さんを招いて
全国の小中学校や平和団体などで1000回以上行ってきた 感動の戦争体験出前噺。出前の依頼は増え続け、最近ではア ジア各国からも注目を集める92歳の本多さんのお話。

第二部
   公開会議:「地9再想像~9条世界化への挑戦」
「自動車のかわりに9条を輸出したい」とおっしゃる本多さん と一緒に、今私たちにできることを全員参加で話し合う、 GPPAC公開市民会議開催!

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※ゲスト: 本多立太郎氏
1914年、北海道小樽生まれ。
アジア・太平洋戦争において兵士として加害と被害の両方を経験。戦中の中国で自らの行った体験、千島列島で敗戦を迎え、その後シベリアに抑留された自分の体験を孫に語り始めたことをきっかけに現在まで語り続ける。現在「新わんぱく通信」編集長、著書に「ボレロが聴きたい」(耕文社)第10回平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞受賞。

  (ここまで資料より)

        ………………………………………………………

ご高齢にもかかわらず、本多さんは講演の後の質疑応答、第2部の若い人たちを中心にしたいろいろな活動報告も、そして懇親会にも最後まで参加されていた。92才とは思えない、お元気でしかも柔軟な考えには驚かされる。(余談だけれど、本多さんが小脇に抱えたバッグが透明ケースだった!若い!あの感性がステキだ。)

そしてつい先日、その感性と確固とした信念で、中国に単身謝罪の旅に出かけられたそうだ。しかも折りもおり、あの日本バッシング のさなかだ。そして結果的には中国の地元の人達、被害者の遺族達と、交流を深めて帰ってこられたのだ。今回の旅のコーディネーターを務めた中国人青年の朱さんが「変な日本人」と敬愛を込めて言われていたのが、こちらにも十分伝わってくる。

本多さんの話から

○私にとって戦争とは「別れ」と「死」であります。

人生において最も恥ずかしく無念なのは、何の罪もない中国人をこの手で殺したということ。その罪を犯させた皇軍、そのトップの一人に私は非常に怒っているのであります

○一銭五厘の赤紙が来て招集されたというのは嘘。郵便で送られてくるのではない。役場から通知(ピンクの紙)を持って一軒一軒役場の人が家を廻る。受ける方は「お役目ご苦労様」と正座して迎える。近所の人、親戚の人がそれを知れば「おめでとう」と挨拶し、やがて出発の日には町内総出で日の丸の旗を振って見送る。「〇月〇日〇時〇分〇〇に集合」と書かれていれば、集合に一秒たりと遅れることは許されない。昨日結婚しようが、赤ん坊が生まれようが・・・。ここに個人の意見や気持ちなどはいる余地はない。それが招集されると言うことだ。

○自分の腕の中で亡くなった兵隊が最後に口にしたのは「かあちゃん」だった。みんなそうだ。「天皇陛下万歳」などではない。女性の方はこのことをよくよく考えてほしい。(この種の話で泣くことはなくなってしまった私のはずが、涙を抑えられなかった。本当にそう思う。)

○中学生に話したときのこと:

荒れていると言われた中学で。トサカのような髪の毛の子、茶髪の子達が、デレ~ッと椅子に腰掛けて聴いていた。しかし話していくうちに、こちらが居住まいを正さずにはいられなくなるような雰囲気になり、子ども達が真剣な食い入るような目で聴き始め、気づくと椅子にシャンと座って聴いているのだ。自分の話がしっかり届いていると感じた。

一方、別の中学は、「この学校の生徒は静かに話を聴きますから」と校長が言った学校だった。確かに静かだったが、幾ら話してもス~ッと頭の上を言葉が通り過ぎて行く感じで、言葉が入っていかない。こうしたことからいろいろ教わった。誰もが聴いてくれるようにもっと工夫して話さなくてはと思った。(私など、話を聴く側の問題だと思うが、そこから自分の話し方の方を工夫しようとする本多さんの姿勢に感服した)

後半第2部は活動紹介。

●「9LOVE」の活動:渋谷のスクランブル交差点を「9」をつけたTシャツで行き来するとか。思い思いのイラストや言葉を描いたボードを持って。いろんな国籍の人が参加。

●「Article9」(アーティクルナイン=9条):ナインだから野球チーム、の単純な発想です。と言いながら楽しく野球をやって、試合後には9条のチラシを配るのだとか。今のところ3勝1敗。これはチーム以上に応援団が熱いそうだ。

●ステイシー・ヒューズ(アメリカ人の若い写真家):ピースボートに乗って各地で撮った写真に短いキャプションをつけた写真展(たとえば、瓦礫の中で遊ぶ子ども達の写真には「軍事費はこどもの遊び場を作るために」)。これらを売った収益を9条の意見広告費に当てる。

●自分にできることは何だろうと考えて、できることをちょっとでいいからやってみよう、の発想だ。本多さんが以前。胸に緑のリボンをつけて歩いていた。人がそれは何ですかと尋ねる「再び日本が戦争をしないように、講演をしています。」と答えればそこから会話が生まれたりメッセージが伝わる。

●9LOVEに参加した中学生の男の子が「9条って何?」と訊かれて、「わかりません」と答えてしまったとき、「ダメだよ。そういうときは、私たちの平和を守ってくれる憲法ですって答えるんだよ。」と女の子が教えていた。

●入り口で一人で会場係をやったり、トイレの場所を教えてくれたりする初老の紳士がいらした。後で名刺を頂いたらその方が、会場である青山学院大学大学院の教授だった。「今日は雑用係です」と笑いながら、若い人をサポートされているのはとても気持ちがよくて、いいなあと思った。

沖縄の若い女性の発言も会場の大きな拍手を得ていた。弟を引っ張ってきましたという若い女性の隣には、足の長いピアスの若者が座っていた。彼の感想を聞いてみたかった。「農業を大事にしたいので、軍事費は農業に回してほしいと思った」と言う女性。別の男性は「農工大の自分は、自分の研究プログラムに今日の提案を生かしたい」などなど。みんな20代と思われる人たちだ。

急遽準備したイベントだったというが、とても充実していた。話を聴くだけでなく自分は何ができるか、今何を思っているかを出し合えたのが良かったとスタッフが言っていたが、まったくその通りだと思った。

懇親会もスタッフと会わせて30名弱の参加。ここでもさらにいろいろな出会いがあり、私自身もヒントをもらうことができた。元気になれる、楽しく充実したイベントだった。この芽が黄色いパプリカのように大きく育ったら面白い!

<GPPACの成果報告と講演>

・7/28(木)午後6時半~8時半 

・文京シビックセンター  4Fシルバーセンター 

・資料代500円

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