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直径1メートルの地球

050723_1506002 今日は台風一過、…カンカン照りの暑い一日だった。

近所の空き地には、おとなの背丈よりはるかに伸びたヒマワリが、我が世の春(夏?)とばかりに、咲き競っている。暑さの中でも植物を目にすると、なぜかホッとする。

そういえば、東京からやってきた人が、「埼玉に来ると植物の匂いがしてなぜかホッとする」と言うのを耳にしたことが何度かある。

日頃この土地に住んでいる者には、植物の匂いと言われてもあまりピンと来ないが、初めて駅に降りた人は植物の匂いを感じてホッとすると言う。そういえば私が沖縄に行ったときに、同じように植物の匂いを感じて、心和む思いがしたのを思い出した。私たちは植物によって癒されていることを、日頃なじみのない土地に行ったときに、改めて気づかされるもののようだ。

ところで、青森県六ヶ所村に閉鎖空間で植物を育てたり、居住する実験施設があるらしい。

「青森県六ヶ所村に究極のリサイクルシステムを研究する閉鎖型生態系実験施設“ミニ地球”((財)環境科学技術研究所)がある。」(ホームページより)

将来の宇宙開発に備えて必要な実験なのかもしれない。でも、現在住んでいる地球を、自然の生態系や環境、そして人や文化までも破壊しておきながら、その一方で「ミニ地球」などという発想は、どうにも奢りのようにしか聞こえない。

地球に似たような物はできるかもしれない。でも地球そのものはたとえ「ミニ」でも絶対につくることはできない。だからこそ、宇宙に飛び出す実験よりも前に、全力を挙げて取り組まなければならないことが山ほどあるのでは、と思ってしまう。

地球がもし直径1メートルくらいで、私たちの目の高さくらいに浮かんでいたとしたら?私たちはきっと地球をとてもとても大事にするだろう。

そこには海や山や砂漠、緑のジャングルも見える。人や生物が生き、宮殿や美しい装飾、ダンスや音楽もきこえる、地球上に繰り広げられる限りないエネルギーの流動。これ以上の宝物があるだろうか。「直径1メートルの地球」、そんなイマジネーションが今、必要なのかも。

BGM

スーパーに行ったら、土曜の夕方だったせいかひどく混んでいた。買い物の途中で店内のBGMが急に変わった。それまでかかっていたのは最近のポップス、それが突然「軍艦マーチ」に変わった。「ナンデここで、軍艦マーチ?!」と思いつつ、思い出した。そういえば以前も夕方にこの店に来て、軍艦マーチがかかっていることに違和感を覚えたことがある。その後、昼のすいた時間に来たときには、軍艦マーチを耳にしたことがなかったので、すっかり忘れていた。ということは、夕方の混雑した時間帯に景気づけにかけているということか。

「守るも攻む(め)るも黒鉄(くろがね)の…」というこの曲、昔、子どもの頃に、よく駅前のパチンコ屋にかかっていた。最近では、あまり耳にしたことはない。私にはあまり良い印象がない。この曲に鼓舞されて多くの命が失われていったと思うと、曲そのものに罪はないが、暗い記憶につながり、あまり聞きたい曲ではない。

でも、この曲そのものは、世界の行進曲の中でも名曲の部類に入ると聞いたことがある。戦争の暗い記憶や、駅前のパチンコ屋のイメージでなく、純粋に曲自体を味わう機会が最初にあったなら、きっと違う印象になっていたことだろう。楽曲にとっては、幸なのか不幸なのか。「行進曲」なのだから本来の使われ方をしたのだし…。

当時意味も分からず歌っていた。「まーもるも、せーめるも、くーろがねの~♪」なんていいながら、部屋の中をグルグル廻ったり、友だちと遊んでいた記憶がある。そういえば「あんぽはんた~い」などというシュプレヒコールも、子ども達の遊びに入ってきていた。たとえば、遊んでいて鬼ごっこしようかというときに、「さんせー」と「はんた~い」とあったとすると、「はんたい、はんたい、あんぽはんたい!」などという具合だ。

ついでに「38度線」という遊びもあった。花びら5枚の真ん中に、花びらが円に着かないよう)に描く。花びらの一枚は外に開いていてそこが出口になる。「花びら」組と、「円の中」組に分かれて、花びら組は花びらから次の花びらに移って最後は外に出られたら勝ち。円の中の組は花びら組を中に引っ張り込んだら勝ち。これを38度線といって遊んでいた。38度線が何を意味するのかも知らずに。

今思ってみると、私たち子どももイヤもおうもなく、まさに時代を生きていたのだなあと思う。こうした話を、子ども達に語っていくこともまた大事なことかもしれない。

さて、レジは長かった。5列のレジが少しも進まず、10分間も軍艦マーチを聞くことになった。スーパーを出ても、耳にはマーチが鳴っていた。

夏休み帳

kamira 二学期制をとっている小学校の多くは、今日が終業式だとか。いよいよ夏休み、私の家の近くでもさっそく花火が盛んに上がっていた。夕暮れ時になると何だか外が賑やかだ。どうやら駅前商店街のお祭りがあるらしい。「行ってきま~す」という親子の声がベランダから聞こえてきた。一時間ほどすると、打ち上げ花火の音も聞こえてきた。が、残念ながら我が家からは見えない。

夏休みというと、私の頃は「夏休み帳」なるものがあった。薄っぺらな物なんだけど、なぜか8月31日にまだやり残っていたりするのだ。夏休み最初の一日目は、「さあ、夏休みだ40日もある」と夏休み帳の1ページ目の計画表などを作って、順調にウキウキとスタート。何時何分起床、ラジオ体操の後、ご飯を食べて、宿題をやって、と細切れの「充実した」時間割をつくる。ところが一週間もするとみごとに挫折。そして修正版の時間割には自由時間が一気に増え…。これを繰り返して六年間が過ぎたような…。

ある年の夏休みのこと。8月31日の夜遅く、宿題が終わらずに頑張っていた。疲れてふと二階の窓を開けると、通りを隔てた先の、同学年のMちゃんの家の明かりが見えた。Mちゃんの部屋も二階だ。「きっと宿題やってるんだ」

それから数時間、「終わらな~い!」、と焦りながら、疲れて窓の外を見るとMちゃんの窓にも明かりがともっている。そしてまた机に向かった。その夜は明け方近くまで、私の部屋もMちゃんの部屋も、明かりが消えなかった。

翌日、眠い目をこすりながら仕上げた宿題を持って学校へ行くと、帰りにMちゃんに出会った。聞けば、やっぱり宿題で頑張っていたらしい。Mちゃんも私の部屋の明かりを見ながら、「やってるな」と思っていたらしい。夏休みというと思い出す40年以上前の出来事だ。

夏休みが楽しい思い出として残っていれば、それは子ども時代の貴重な宝物だろう。私の宿題体験も、イヤな思い出ではなく、何となくほのぼのした思い出として残っているのも、あの時代の空気が、まだまだ温かいものを持っていたからなのかもしれない。

小学生の「こんにちは~」

家を出て駅へと急いでいたら、近所の子どもらしい小学生の女の子が二人、笑顔で追いかけっこをしながら飛び出してきて私の横を通り過ぎた。「こんにちは~」「こんにちは~」と。笑いながら風のように過ぎていった。

顔見知りでも何でもない。一瞬「え?」と思ったが、すぐさま「今日は」と返事をした。

女の子達は、バタバタと走って細い路地の奧に消えた。アッという間の出来事だった。

でも、何となくほのぼのと良い気持ちだった。子ども達が巣立ってしまうと、普段地域の人とふれあう機会もめっきり減ってしまうが、小学生の挨拶一つで何だか自分も地域の一員に迎えられたような気になるから不思議だ。

誰でも、挨拶をされてイヤな気持ちになる人はいないだろう。学校で「挨拶をしましょう」と言われているのだろうが、むしろ私たちおとなの方が見習わなくてはと思う。

おとなの方が、知らない人に「こんにちは」と声を掛けるのは勇気がいる。たとえば、顔見知りでない近所のお年寄りが玄関先で水まきをしているとき、定年退職らしき旦那さんが側溝の落ち葉を掃除しているとき、あるいは駅前の植え込みを掃除してくれるボランティア集団に出くわしたとき、あるいは工事の交通整理をしているガードマンに対して、また、踏切で通勤の人を優先して通し、自分は横によけて待っていてくれたお年寄りに対して、またはコンビニのドアを次の人のためにちょっと振り向きながら支えてくれていた人に対してなどなど、挨拶の機会はあちこちにありそうだ。

ほんのちょっとのことだけど、声に出して挨拶ができたらいいなと思う。

挨拶だけでなく、声を掛けることが大事だと思わせるこんなできごとがあった。先日、電車で立っていると、冷房が入っているにもかかわらず目の前の窓が二枚とも開いていた。通勤ラッシュの時間帯に暑くて開けた窓が、そのままになっていたもようだ。他の窓はすっかりしまっている。エアコンの風が吹き付ける中で、窓から暖かい空気が入ってくるのをそのままにしているのはどうにも居心地が悪い。気がついているのかいないのか、立っている人の誰からも何の反応もない。で、閉めようと思った。目の前には学生風の若者が二人座っていた。「ちょっと失礼」と声を掛けて、窓を引き上げようとしたが、閉まらない。肩に掛けた重たいバッグがずり落ちないように肩で支えながら、中腰で窓を引き上げるのは容易でない。(ア~、私も力が落ちたな~、と嘆きつつ)数回試みて無理なのであきらめた。

今思ってみると、ひとこと「手伝ってください」と言えば良かっただけのこと。

私が窓に手を伸ばすと、チラと見て、体を斜めによけた二人の若者に対して、(気が利かないわね。よけるだけでなくて手伝ってくれてもいいでしょ?みんなの省エネのためよ。)と内心思っていた私。

でも、不満に思う前に声を掛ければ良かったのだ。「手伝ってくれませんか」と。

(反省。また、子どもに教えられた。…今度は、言うね!)

夢は、叶う!

最近、ある方から聞いた話です。その方は歌手のNさんの大ファンで、コンサートのチケットが当たると聞いて、セッセと応募したのだそうです。しかし残念なことに、一等のチケットは当たらず、二等のDVDが送られてきたそうです。ところが彼女はDVDの再生装置を持っていないので見ることがきません。それにやはり、どうしてもコンサートに行きたくてあきらめきれなかったのだそうです。

そしてとうとう、コンサートの当日、夕方の開演にもかかわらず、当たったDVDを持って、会場に向かったのだそうです。昼過ぎに会場に着いても、さすがにまだ誰もいません。周囲を散歩して時間をつぶし、会場に戻ってくると、会場整備の人らしいバッジをつけた係員が何人も立っていて、ダフ屋は取り締まられているらしくそれらしき人の影もありません。

これではチケットは無理かなと思いながらも、あきらめきれずに彼女も立って見ていました。そのうちポツリポツリと客が入り始めました。見ていると、皆二人連れ。どうやらペアチケットらしい。それではと、一人で入っていく人を見つけて声を掛けてみようと思い、声を掛けても大丈夫そうな人を探しました。すると一人、あたりをキョロキョロ見回しながら、会場に入らずに立っている若い男性がいます。思い切って「チケットが余っていませんか」と声を掛けてみました。

するとなんと「ええ、実は余っているんです。」聞いてみると、奥さんと来るつもりでチケットを買ったのだが、奥さんには「Nは好きじゃないので一人で行って」と言われてしまったとのこと。仕方なくネットに売りに出そうとしたが、それもシステムの都合で売れなくて、とうとう空席を作るのかとガッカリ。Nのファンサイトの掲示板に「前から二列目なのに、空席でゴメン」と書きこんできたところだという。でも誰かいたらあげようと思って探していたところなので、料金はいりません使ってください、とのこと。

ナント、ナント、あんなにほしかったチケットが手に入ってしまったのです!しかも前から二列目の席!

彼女は持っていたDVDをその男性にあげたそうです。「実はボク、DVDがほしかったんです。」と、もちろん大喜びされました。歌手のNさんもステージから空席を見ずにすみましたし、みんな万々歳です。

こんなことって、ホントにあるんですね!あきらめずにいると夢はホントにかなうんですね!勇気をもらいました。それにしても「絶対に観たい!」と、DVDを抱えて会場に立っている彼女、今改めて想像してみると、う~ん、すごい!!見習おう。

これとはちょっと違うかもしれないけれど、病気で医者から余命二ヶ月と言われた知り合いのお母さま、病院を退院して家で療養することにしたのだそうです。そして玄米食にして頑張っていたら、退院してもう四ヶ月になるのだそうです。医者は神様ではありません、あきらめずに頑張って回復してほしいと思います。あきらめなければ夢は叶う!

パプリカのように大きく!

papurica この見事なパプリカ!

手のひら一杯の大きさ。(後ろのキュウリと比べてみて)

渋谷の雑踏の中を、畑から直送の野菜を買って帰るのも妙な気がするものですね。

上の写真は、懇親会会場の有機野菜レストランで買ったものです。緑のパプリカのあまりの見事さに感心して眺めていたら、奧からオーナーがさらに大きな黄色く熟したのを出してきてくれたのです。千葉でご両親が作る野菜を、毎朝車に積んできて、それを食材に料理し、一部を販売しているそうです。新鮮で、安心で、しかも驚くほど安い。料理もシンプルで自然なおいしさ。しかも低価格。本当にこれでいいの?と言いたくなるほど。

お店の名は「野菜畑」。渋谷駅から表参道に向かって青山通りを進み、「子どもの城」「国連大学」の少し先(左側・国連大学の並び)。道路からガラス張りの二階窓に「野菜畑」の文字が見える。(道路の反対側を歩いていくとよく見える)

         ……………………………………………………

(ここからはまたもや長文ですみませんが、充実した内容だったので、少し詳しく報告します。)

GPPACというイベントに行った。2,3日前にここでお知らせしたイベントだ。GPPAC(ジーパックと呼ぶそうです。)は、2001年、国連のアナン事務総長が報告書の中で「紛争予防における市民社会の役割が大切」だと述べ、紛争予防に関するNGO国際会議の開催を呼びかけ、これに応えて発足したプロジェクトだそうだ。日本ではピースボートを中心に、東北アジアの紛争予防に果たす「憲法9条」の役割を提案してきた。

そしてその国連での発表がこの7月19日~21日。それに先駆けて日本での市民会議を開き、その会議での成果も国連発表に盛り込もうという趣旨だ。その会議が昨日だった。今日11日は、昨日の集会での発言などもまとめ、記者会見がおこなわれているはずだ。昨日はNHKも取材に来ていた。

<昨日(10日)の市民会議/プログラム>(GPPACの資料より)

第一部
  平和出前噺: 本多立太郎さんを招いて
全国の小中学校や平和団体などで1000回以上行ってきた 感動の戦争体験出前噺。出前の依頼は増え続け、最近ではア ジア各国からも注目を集める92歳の本多さんのお話。

第二部
   公開会議:「地9再想像~9条世界化への挑戦」
「自動車のかわりに9条を輸出したい」とおっしゃる本多さん と一緒に、今私たちにできることを全員参加で話し合う、 GPPAC公開市民会議開催!

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※ゲスト: 本多立太郎氏
1914年、北海道小樽生まれ。
アジア・太平洋戦争において兵士として加害と被害の両方を経験。戦中の中国で自らの行った体験、千島列島で敗戦を迎え、その後シベリアに抑留された自分の体験を孫に語り始めたことをきっかけに現在まで語り続ける。現在「新わんぱく通信」編集長、著書に「ボレロが聴きたい」(耕文社)第10回平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞受賞。

  (ここまで資料より)

        ………………………………………………………

ご高齢にもかかわらず、本多さんは講演の後の質疑応答、第2部の若い人たちを中心にしたいろいろな活動報告も、そして懇親会にも最後まで参加されていた。92才とは思えない、お元気でしかも柔軟な考えには驚かされる。(余談だけれど、本多さんが小脇に抱えたバッグが透明ケースだった!若い!あの感性がステキだ。)

そしてつい先日、その感性と確固とした信念で、中国に単身謝罪の旅に出かけられたそうだ。しかも折りもおり、あの日本バッシング のさなかだ。そして結果的には中国の地元の人達、被害者の遺族達と、交流を深めて帰ってこられたのだ。今回の旅のコーディネーターを務めた中国人青年の朱さんが「変な日本人」と敬愛を込めて言われていたのが、こちらにも十分伝わってくる。

本多さんの話から

○私にとって戦争とは「別れ」と「死」であります。

人生において最も恥ずかしく無念なのは、何の罪もない中国人をこの手で殺したということ。その罪を犯させた皇軍、そのトップの一人に私は非常に怒っているのであります

○一銭五厘の赤紙が来て招集されたというのは嘘。郵便で送られてくるのではない。役場から通知(ピンクの紙)を持って一軒一軒役場の人が家を廻る。受ける方は「お役目ご苦労様」と正座して迎える。近所の人、親戚の人がそれを知れば「おめでとう」と挨拶し、やがて出発の日には町内総出で日の丸の旗を振って見送る。「〇月〇日〇時〇分〇〇に集合」と書かれていれば、集合に一秒たりと遅れることは許されない。昨日結婚しようが、赤ん坊が生まれようが・・・。ここに個人の意見や気持ちなどはいる余地はない。それが招集されると言うことだ。

○自分の腕の中で亡くなった兵隊が最後に口にしたのは「かあちゃん」だった。みんなそうだ。「天皇陛下万歳」などではない。女性の方はこのことをよくよく考えてほしい。(この種の話で泣くことはなくなってしまった私のはずが、涙を抑えられなかった。本当にそう思う。)

○中学生に話したときのこと:

荒れていると言われた中学で。トサカのような髪の毛の子、茶髪の子達が、デレ~ッと椅子に腰掛けて聴いていた。しかし話していくうちに、こちらが居住まいを正さずにはいられなくなるような雰囲気になり、子ども達が真剣な食い入るような目で聴き始め、気づくと椅子にシャンと座って聴いているのだ。自分の話がしっかり届いていると感じた。

一方、別の中学は、「この学校の生徒は静かに話を聴きますから」と校長が言った学校だった。確かに静かだったが、幾ら話してもス~ッと頭の上を言葉が通り過ぎて行く感じで、言葉が入っていかない。こうしたことからいろいろ教わった。誰もが聴いてくれるようにもっと工夫して話さなくてはと思った。(私など、話を聴く側の問題だと思うが、そこから自分の話し方の方を工夫しようとする本多さんの姿勢に感服した)

後半第2部は活動紹介。

●「9LOVE」の活動:渋谷のスクランブル交差点を「9」をつけたTシャツで行き来するとか。思い思いのイラストや言葉を描いたボードを持って。いろんな国籍の人が参加。

●「Article9」(アーティクルナイン=9条):ナインだから野球チーム、の単純な発想です。と言いながら楽しく野球をやって、試合後には9条のチラシを配るのだとか。今のところ3勝1敗。これはチーム以上に応援団が熱いそうだ。

●ステイシー・ヒューズ(アメリカ人の若い写真家):ピースボートに乗って各地で撮った写真に短いキャプションをつけた写真展(たとえば、瓦礫の中で遊ぶ子ども達の写真には「軍事費はこどもの遊び場を作るために」)。これらを売った収益を9条の意見広告費に当てる。

●自分にできることは何だろうと考えて、できることをちょっとでいいからやってみよう、の発想だ。本多さんが以前。胸に緑のリボンをつけて歩いていた。人がそれは何ですかと尋ねる「再び日本が戦争をしないように、講演をしています。」と答えればそこから会話が生まれたりメッセージが伝わる。

●9LOVEに参加した中学生の男の子が「9条って何?」と訊かれて、「わかりません」と答えてしまったとき、「ダメだよ。そういうときは、私たちの平和を守ってくれる憲法ですって答えるんだよ。」と女の子が教えていた。

●入り口で一人で会場係をやったり、トイレの場所を教えてくれたりする初老の紳士がいらした。後で名刺を頂いたらその方が、会場である青山学院大学大学院の教授だった。「今日は雑用係です」と笑いながら、若い人をサポートされているのはとても気持ちがよくて、いいなあと思った。

沖縄の若い女性の発言も会場の大きな拍手を得ていた。弟を引っ張ってきましたという若い女性の隣には、足の長いピアスの若者が座っていた。彼の感想を聞いてみたかった。「農業を大事にしたいので、軍事費は農業に回してほしいと思った」と言う女性。別の男性は「農工大の自分は、自分の研究プログラムに今日の提案を生かしたい」などなど。みんな20代と思われる人たちだ。

急遽準備したイベントだったというが、とても充実していた。話を聴くだけでなく自分は何ができるか、今何を思っているかを出し合えたのが良かったとスタッフが言っていたが、まったくその通りだと思った。

懇親会もスタッフと会わせて30名弱の参加。ここでもさらにいろいろな出会いがあり、私自身もヒントをもらうことができた。元気になれる、楽しく充実したイベントだった。この芽が黄色いパプリカのように大きく育ったら面白い!

<GPPACの成果報告と講演>

・7/28(木)午後6時半~8時半 

・文京シビックセンター  4Fシルバーセンター 

・資料代500円

「学校に行かないこと」をする

北海道の不登校支援・教育・福祉の分野で活躍している友人(勝手に友人と言わせていただくとして)の野村俊幸さんが本を書かれた。さっそく送っていただいて読んだ。タイトルは「わが子が不登校で教えてくれたこと」。若草色の爽やかな表紙と可愛いイラストがほのぼのした印象だ(イラストはお嬢さん)。

(表紙=大きな芋の葉っぱを傘にして雨をよけている少女。葉っぱの上にはカタツムリ。不登校は雨宿りと同じかも。裏表紙=雨上がりの虹を、カエルが見ている。)

タイトルの通り、野村さんご自身がお子さんの不登校を通して体験されたことと、そこから得られたことを、ご自身の率直な気持ちも含めて、真正面から真摯に受けとめ書かれている。不登校から「学んだ」ではなく、「教えてくれた」というところに、野村さんの謙虚で感性の細やかなお人柄が表れているように思う。加えて不登校支援の現場からのアドバイスも、親と教師それぞれの立場に対して、子どもの成長を支援する視点で盛り込まれている。

私自身も子どもの不登校に直面してずいぶん悩みもし、それによって多くのことを教わり、また自分自身がさまざまな社会的活動に関わるキッカケをも与えられた。しかし、野村さんの率直な体験報告とそれについての分析や、導き出される洞察の深さに接して、さらに気づかされることもたくさんあった。

不登校は親子共々つらい体験ではあるけれど、見方を変えれば貴重な家族の歴史の一部ともいえる。そのプロセスを通して親も子も、より理解し合える関係になることができることを、この本は雄弁に語っている。

筆者自身の体験から始まって単なる体験に終わらず、子どもへの関わり方、学校の先生への関わり方、逆に先生から保護者や子どもへの関わり方などまで、懇切丁寧に書かれている。さらに、今日の子どもを巡るさまざまな課題への向き合い方、姿勢についても示唆されている点が希望が見えていい。

親が困ったときに発しそうな質問が、そのまま項目になってズラリ並んでいる。きっと困ったときの親の強い見方になることだろう。当時こんな本があったらと思う。

今だったら私はどんな対処の仕方をするだろうか。学校に行けなくてうずくまる子どもの側に腰を下ろし、「アイスでも食べようか?」と笑顔で声を掛ける近所のオバサンになれそうな気がする。そういうちょっとホッとした会話のできる第三者の存在が、不登校に限らず、今子育てには必須になっているのではないだろうか。

野村さんの本は、そうした子育ての第三者=近所の優しい(しかも専門的な知識を身につけた)オジサン・オバサンのような本だ。子育て、教育に携わる人に時々思い出して読んでほしい。そんな雰囲気の本だ。

印象に残った箇所が幾つもあるが、その中の一つを紹介する。

       ……………………………

「『ゴロゴロ』してばかりでいいのかという不安」の項。

「学校に行かないこと」をしている不登校の子どもは、ものすごいエネルギーを使っていることを、まず分かってほしい。

       ……………………………

不登校の子どもが家でゴロゴロして何もしていないように見えても、子どもはただゴロゴロしているのではなく、「学校に行かないこと」をしているのだという見方。まさに目から鱗とはこのことだ。当時を振り返った娘さんが口にされた言葉だという。

この本を時々取り出して読み返すことで、子ども達と良い関係を築く道筋が見つかりそう。そんな勇気と希望が持てる本だ。

直接人と交流すること

前回書いた、映画「日本国憲法」に関連して。私が映画館に観に行ったことに関して「直接人と交流することって大事ですね」と書いたら、「(それは)頭と身体の変化というのかな。アサーティヴということなのでしょうか」とazamikoさんからコメント(7/8[星に願いを」)をもらいました)。そのことで少し書いてみたいと思います。

私は、「日本国憲法」という映画を観に行って、その後映画に関するトークを聴きましたが、映画以外にもDVDや書籍でも同じ内容に触れることはできます。私も映画を観た後で、書籍を購入しました。

この場合、会場に出かけていって映画を観ることを「直接交流すること」と表現したわけです。そこには他の媒体(DVDや本を読むこと)では得られないものがあるとも感じました(もちろん、他の媒体の価値を認めてた上で)。私が映画を観に行って、元気になって帰って来られたのは、この「直接、交流した」ことのおかげだと思ったのです。気の滅入るようなニュースが少なくないこのような時代には、このことがとても大事なように思いました。それが冒頭の言葉になったわけです。チョコッと書いただけですけど、azamikoさんが注目してくれて、嬉しいです。

アサーティブという言葉も出たので、ついでにちょっと専門的で恐縮ですが書いてみます。

私たちがコミュニケーションするときは、通常7~8割は非言語の媒体を通じてと言われています。驚くことに大部分が、言葉以外の表現を通じてコミュニケーションしているわけです。非言語とは、全体の雰囲気とか、相手の姿勢、表情、声の調子、目線などなどで、多くの情報を五感でキャッチして、無意識のうちにコミュニケーションしているということです。「直接、交流する」ことは、この五感をフルに使って交流することができるということで、映画を観に行った私の場合で言えば、言葉にならないいろいろな情報をもらうことができて、それによって元気になることができたということなのだと思います。

この間、アサーション・トレーニングに参加された人が同じような感想を言ってくれました。「迷ったけど、こうして出てきて良かった。家に一人でいないで、人と話をするって大事だなと思った」と。

私たちはやはり人とのつながりの中で生きている存在なのだと、改めて確認するような出来事が続いているこの頃です。

以下はイベントのお知らせです。直前ですが。(転載歓迎だそうです)

……………………………………………………………………

●日時: 7月10日(日) 13:30 開場14:00、14:30 - 17:30
●場所: 青山学院大学 総研ビル11階19会議室にて
       ※資料代として、500円ご用意ください。
●第一部
  平和出前噺: 本多立太郎さんを招いて
全国の小中学校や平和団体などで1000回以上行ってきた 感動の戦争体験出前噺。出前の依頼は増え続け、最近ではア ジア各国からも注目を集める92歳の本多さんのお話です。
●第二部
   公開会議:「地9再想像~9条世界化への挑戦」
「自動車のかわりに9条を輸出したい」とおっしゃる本多さん と一緒に、今私たちにできることを全員参加で話し合う、
GPPAC公開市民会議開催!

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●ゲスト: 本多立太郎氏
1914年、北海道小樽生まれ。
アジア・太平洋戦争において兵士として加害と被害の両方を経験。
戦中の中国で自らの行った体験、千島列島で敗戦を迎え、その後シベリアに抑留された自分の体験を孫に語り始めたことをきっかけに現在まで語り続ける。現在「新わんぱく通信」編集長、著書に「ボレロが聴きたい」(耕文社)第10回平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞受賞。

●共催: GPPAC
http://www.peaceboat.org/info/gppac/
世界15地域に分かれ、各地域の市民社会団体・NGO・研究者たちが武力紛争予防の市民社会の役割、国連との連携の可能性について、地域ごとに提言としてまとめてきたプロセス。その提言は2005年7月にニューヨーク国連本部にて行われる国際会議で提出・総合される。
GPPAC JAPANでは、東北アジア行動提言でも謳われている‘日本の憲法9条の厳守’を柱とし、その具体化に取り組んでいる。

●協力: 9LOVE
http://www.9love.org
すべてのいのちが調和して生きる世界に向けて、暮らしと文化の側から憲法9条に息を吹き込み、ひとりひとりの非暴力の可能性を追求するための意見交換と表現の場。
構成団体: ナマケモノ倶楽部、ピースボート、Body and Soul、はてみ企画: 「渋谷スクランブルジャッ9」、フェアトレード&オーガニックコットンの9条Tシャツ、「9」形の無添加天然酵母パン販売。2004年、「9をまく-Sowing Nine-」(大月書店)出版。

●主催: ピースボート
http://www.peaceboat.org/
ピースボートは「みんなが主役で船を出す」を合い言葉に集まった、アジアをはじめ地球の各地を訪れる国際交流の船旅を企画している非営利のNGO。国と国との利害関係とはちがった草の根のつながりを創ることを目指す。地球市民のネットワークづくりのために、1983年から地球一周など49回のクルーズを企画し、これまでに2万2千人の参加者とともに、100カ国以上の世界の港をめぐってきた。

以上、お知らせでした。

映画「日本国憲法」

(長いです。半分ずつでも読んでいただければ。)

日曜なので朝寝坊したいなあと思いつつも、頑張って起きて、映画「日本国憲法」を観に行ってきた。渋谷「ユーロスペース」は久しぶりだった。やはり中高年が多いが、20代、30代の若い人もいて、こういったタイトルの割には年齢層は広いように思った。映画終了後、日高六郎さん(社会学者・フランス在住)のトークもあって、とても充実した時間だった。朝寝坊しないで行ってよかった。「88才の老人に14時間の飛行機はやはりキツイです。」とにこやかな笑みと終始穏やかな口調。とても88には見えないが、映画よりかなりお年に見える。やはりかなりお疲れの様子。しかし、話すうちにドンドン声は大きく力がみなぎって伝えたいという迫力が伝わってくる。直接聴くことのインパクトは大きい。

050705_2159001 女の子の左目は事実を見つめる目、

光っている右目は、その事実から行動する意志。

勝手な解釈だけど…。

映画は、12人の内外の人たちにインタビューした内容をつなぎ構成されている。学者や専門家、実際に憲法の成立に携わった人たちなどだ。その構成がうまい。またユーモアもきいている。プロローグの部分で、小泉首相の国会演説が引用されていて思わずニヤリとしてしまった。

「国家としての意志が問われているんだと思います。日本国民の精神が試されているんだと思います。憲法をよく読んでいただきたい。」

小泉首相のいつもの短いメッセージが、皮肉にも生き生きと訴えかけてくる。まさにパロディだ。これほど適切な場所と時期に、これ以上明確で簡潔なメッセージはないだろう。そう、まさに「国家としての意志が問われている。」しかし、この言葉は誰よりもまず、首相あなたにそのままお返しします、しっかり勉強してください、と言いたい。

コッカスパニエル(愛犬)の頭をなでるブッシュ大統領、ブッシュとゴルフカートに嬉しそうに乗り込む小泉さん、何度もニュースで見た映像だ。苦笑しながら見ているうちに「あぁ、ホントに(彼は)ポチなんだぁ…」と悲しくなる。

さて、気づいたことや感想を書き出してみる。

①日本国憲法は、日本の憲法でありながら、もはや日本だけの憲法ではなくなっているというのがまず第一の感想だ。憲法第9条は世界が求める理念であり、その理念を世界で唯一盛り込まれた憲法の価値を、日本の外からの視点で見ることができた。

言い換えればこの9条の理念=戦力不保持・国の交戦権を認めない=が世界を救う唯一の道であるという考え方は、世界の英知の間では共通認識となってきていると言える。

②押しつけ憲法であるとかないとか、憲法の誕生は複雑な経緯でよくわからなかったが、少し整理することができた。

これについては、映画上映後の日高さんの話がとても参考になった。

A) 日本人がつくった憲法の草案は一つではなく、当時民間人の手によって多くの憲法草案が作られた。終戦の時、戦争が終わって新しい憲法が必要だという情報が人々に知れ渡るにつれ、さまざまな立場や政治的見解をもつ人たちによって、多くの憲法草案が作られた。たとえば戦争中に弾圧されていたグループ、民間人に学者を加えたグループ、弁護士のグループなど、保守から革新まで実にさまざまな憲法草案が作られたという。なかでも鈴木安蔵を中心とする「憲法研究会」は民主的な憲法の草案作りに奔走した。これらの草案はGHQ民政局にも提出され、マッカーサーら憲法草案に着手したアメリカ人達は目を通していた。

B) 一方、政府はそれとは別に第一級の専門家を集めて憲法草案づくりを命じた(憲法調査委員会)。が、当時出された数ある草案の中でこの政府案が最も保守的であった。あまりに明治憲法の焼き直し、天皇主権の中央集権的なものだった。そのため、政府案はGHQ民政局に提出したが拒否されてしまった。だからこのことを持って、日本の考え方は憲法に盛り込まれなかったと考えるのは間違いだ。拒否された案は最も保守的な立憲君主的な草案だったのだ。

(感想)

政府案のこうした保守性にもビックリするが、もっと驚いたのは、政府はいっさい民間人が作った草案はどれ一つとして読んでいなかったと聞いたことだ。なぜなら民間案を軽蔑していたからだという。(この政府の姿勢「民間案を軽蔑して、読んでいなかったこと」を、主権在民の意識がないことの顕著な例として、日高さんは、時間オーバーで終了を催促される中、話の最後に声を大にして強調していた。)

私が一番衝撃を受けたところはこのことだ。そして、これによって現在も政府が国民世論に耳を貸さない姿勢が妙に納得できた。戦争当時はもちろんのこと、戦後も、その後もずっと現在に至るまで、国民が軽視されている状態が続いている。<悪い伝統>がず~っと続いている。ということは政府の体質は何も当時と代わっていない。とすればホントにこのままでは危ないなあといっそう危機感を持った。

C) 政府案を見て、これではいつまで待っても望ましい案は出てこないと判断した民政局(マッカーサー)が、指示して部下に草案をつくらせた。そして民政局は政府とは逆に、提出された民間からの草案には全部目を通していたという。

マッカーサーが政府案を拒否して、独自に憲法草案をつくったことによって、逆に民間人たちがつくった草案の理念がそこに盛り込まれたともいえる。政府案を採用されていたら、時代に逆行する憲法になっていた可能性の方が高い。

D)日本は当時、世界中からアジアに覇権をふるった軍国主義の暴力的で危険な国と思われていた。諸外国からどう見られていたかというこの認識は大事なところだと思う。日本国内ではいまだに論争があるが、15年戦争は侵略戦争であったという認識はヨーロッパでは当然のことだという(=日高)。

E)マッカーサーは武力の歯止めのための憲法をつくろうとした。軍人ほど戦場の悲惨を知り抜いている。マッカーサーが軍人であったことも草案の性格に反映している

F)普通の国になれという、「普通」は暴力で解決する国になれ、ということ。なぜ「普通の国」になる必要があるのか。

G)今日まで改正しなかったのは、日本人がそれでいいと認めていたから。マッカーサーはむしろ、制定後は日本人が自分で改正したかったら改正して日本人の手で憲法をつくってほしいと望んでいた。今日まで改正しないできたのは日本人の選択だった。押しつけられてイヤだと思っていたら変えていたはずである。

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ほかに、本当に恐いと思ったのは、ポツダム宣言受諾に至るまでの検討会議にしても、国会議員も大学教授も枢密院も参加しないでほんのわずかな人たちだけで秘密裏に検討しており、一歩間違えば本当に一億玉砕だったと日高さんが語ったときだ。背筋がゾッとした。

宣言受諾まで一ヶ月をだらだらと伸ばしたことで、戦場の被害は増え、それでもまだ決められなくて受諾を渋っているうちに原爆があいついで投下され、やむなく受諾するに至った。こうした経緯を考えると、一部海外の論調にある、原爆投下がなかったらさらに戦争被害は拡大していたとして原爆投下を認める言い方も、一概に否定できなくなってしまう。国民のことを考えない政府ほど恐ろしいものはないと思う。そうした政府に歯止めを掛けるためにあるのが憲法だ。

考えてみると、私たちは学校でもどこでも、憲法についても歴史についても自分の生活と結びつけて教わってこなかった。私もほとんど肝心なことは何も知らなかった。受験勉強の歴史の暗記は、考えるためにはほとんど役に立っていない。身近なことと結びつかない知識だから生きていなかった。今になってやっと、ほんのほんの少しだけ、知り始めている。

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その時代を実際に生きてきた人の言葉は貴重だ。日高さんの著書「戦争のなかで考えたこと」、ぜひ読んでみたい。『「映画日本国憲法」読本』(1400円・映画館でも販売)がおすすめ。シナリオ、参考資料、およびインタビューのカットされた部分が載っていてなかなか充実。

なぜ私は憲法というとこんなに熱くなってしまうのだろう。我ながら不思議だ。中学の時、初めて前文を読んで、「日本ってこんなに素晴らしい国なんだ!」と誇らしかった。その誇らしいものが、踏みつけにされてぼろくそに言われていることが、がまんならないし悔しい。そして、亡くなった人や人生を狂わされてしまった人たち(ほとんど国民の大部分)の無念の思いが背中を押すのかもしれない。身近な両親や祖父母たちの、平和な世界を望む悲願が私に語りかけているのかもしれない。なぜかはわからない。でも、前文を読むと「人間ていいな」と希望を持てる。きっとそのことが私は嬉しいのだと思う。だから守りたい。そして育てていきたい。

最後に、帰り際、ジャン・ユンカーマン監督(日本在住・日本語ペラペラの方)と少しお話しした。「憲法問題の解決には、同時に民主主義を育てていく必要がある。」「憲法問題を政治問題にしないで、日常の生活の問題として考えていく。」ことなど話された。日高さんが車椅子を押されてエレベーターに乗られるところだったので、追いかけていって講演のお礼と「お元気でご活躍を!」と握手。

プロデューサー山上徹二郎さんが本のまえがきで書いている。氏自身が知識人の明快な発言を取材し、映画を作る過程で脱力感から救われたように、この映画を通して「連帯」という言葉を思いだしてほしいと。「平和を守ろうと行動する人たちを支え勇気づけるのは、何よりも人々の連帯感だと思います。」

長かったです。丸2日がかりでした。最後まで読んでくださってありがとう。

「ジェンダーフリー」バッシング

しばらく前から言われていたことではあるけれど、地方自治体では、せっかく広がりを見せた「男女共同参画」が後退し始めている。それもここのところ急激に。最近、自民党は「ジェンダーフリー教育」の撤廃に向けたプロジェクトチーム(PT)を立ち上げたそうだ。

そこでは、ジェンダーフリーを「過激な性教育」であると批判し、PT座長の安倍晋三氏は「彼らは結婚・家族の価値を認めない。これは社会、文化の破壊で看過できない。」とまで語っている。(ジェンダーフリーが結婚、家族の価値を認めないなんて初耳!)政治家の個人的発言ならまだ見過ごせるが、これこそ看過できない問題だ。

しかし、言われている内容をよく検討すると、まったく的はずれのでたらめだとわかる。過激な性教育と指摘された例も、誤解やこじつけ、事実無根であって、こんなでたらめが、さも事実のように吹聴されているかと思うと、あきれてしまう。たとえば「九州のある高校では男女同室で体育の着替えをしていることをどう思うか」というような質問をネット上のアンケートの質問に入れているが、当の高校に取材すると、「完全なデマ」と教頭は不快感を表したそうだ。(東京新聞7/2)しかし、どんなにでたらめでも、普通はそれを改めて確かめたりはしないから、「ジェンダーフリーとは、そんなものか」と誤解されたままで終わってしまう。

声の大きさと数を頼んで、デマでも流せば勝ち、ということなのだろう。しかし、先人の努力でやっとここまできた男女平等の流れを断ち切られては本当に残念だ。何とか逆風を押し返したいものだ。なぜなら、今年は「男女共同参画基本計画」の改訂の年だからだ。

PTの役職者は同時に「新しい歴史教科書をつくる会」や「神道政治連盟」等で要職を務める人たちだ。「伝統的家族の形態はその典型である。(男は外で働き、女は家事・育児を行う共存関係)。ジェンダー平等はこの文化を正面から否定する」(元郵政省幹部、光原正氏)、というが専業主婦が誕生したのは、たかだか近代になってのこと。伝統的家族形態はむしろ、男女の別なく働かねば食べられなかった中で、「男は外、女は家に」なんて言っていられない時代の方が長かった。

家庭の崩壊は、男が一人で稼ぎ、妻が家事育児と教育を一手に引き受けるアンバランスから来ているのであって、むしろこの働き方を変える必要がある。カウンセリングの現場では、疲れて帰ってくる遅い帰宅の夫と、家計を支えるために働かねばならない妻、会話の時間もゆっくりとれず、それでも夫も妻も何とかすれ違いを埋めようと努力している家族像が伺われる。そしてその陰には、夫婦のアンバランスな関係やストレスのもとで、揺れながらも懸命に生きている子ども達の姿がある。子どももともに家族としての苦労を生きているのだ。こうした必死に頑張っている市民の気持ちや努力を知ろうともせずに、口先だけで都合の良い政策をブチあげる政治家や「識者」に憤りを感じる。

ジェンダーフリーが家族を解体させるのではない。「今のままではやっていけないよ」と模索する中から、自然に解体が始まっているのだ。夫が早く帰宅して家族が一緒に夕食をとることができ、職場でも遠慮せずに育児休暇を申し出ることのできる社会をつくることのほうが、家族を取り戻す近道になるはずだ。

(ふ~、今日は、あまりにむちゃくちゃな論理とやり方の、ジェンダーフリーに対する逆風に、つい熱くなってしまった。)

男女共同参画の意味を正しく知ってもらわなくてはと思う。そしてさらに押し進めなくては。それが女性ばかりではなく、男性にとっても、自分を大事にしつつ、人間としての尊厳を持って生きることのできる社会の構築につながることはまちがいない。

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<この指とまれ>っで頑張ろうね!女性でも男性でも、一緒にね!

参考)男女共同参画局のホームページ ここには希望の一歩がある。

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