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首里城

沖縄で唯一行った観光地は首里城でした。
ゆいれーるの終点首里駅で下車、首里城はそこから15分も歩けば着きます。

deigo (首里城への道。デイゴの木に花が咲くと夏なのだそうだ)

gajumaru   gajumaru2     (ガジュマル)

(写真をクリックすると大きな画像で見られます)

途中で円覚寺跡という遺跡に出会いました。琉球で唯一の寺院、臨済宗の総本山だったのが、先の大戦で破壊され、昭和43年に復元された総門と左右の門だけが痕跡をとどめていました。
この日に廻った円覚寺、首里城、玉陵(タマウドゥン・陵墓・世界遺産)いずれもことごとく戦争で破壊されている事実だけを見ても、戦跡を巡るまでもなく、沖縄線のすさまじさを痛感させられ、胸が痛みました。一カ所尋ねるたびに、「ここも」、「ここもなんだ」と。

enkakuji2

(左は高い石垣。廻りは一面の新緑)

円覚寺では雨でぬかるんだ草地を分けて高台へ上がってみました。柵で囲まれた土台石さえもない平地が広がっているだけでした。観光客は、時折総門の廻りをちらっと覗くだけで首里城の方へ足早に過ぎていきます。目にしみる緑と、静かなたたずまいに魅せられて、草のざわめきの中に立ちどまっては一足一足ゆっくりと見て回りました。

enkakuji

総門の横に下りてくると、緑色の水をためた池に小さな橋が架かっています。琉球の石彫美術の最高傑作だそうですが、見る人もなく苔むした地肌をさらしているのが遠目に臨めました。

(右側の赤い建物が総門。左にかかる小さな橋の彫刻が琉球の石彫美術の最高傑作)

グルッと回って総門の正面に戻ってくると、初老のご夫婦が門前に正座してお供えをあげ、総門に向かって手を合わせていました。その後ろ姿には、時々こうしてお参りしているらしい自然な雰囲気を感じました。

その後に廻った玉陵でも、参道の傍らに祈りのための一角がしつらえられており、母娘らしき二人が地面に座って、お供えをし、祈る姿を見かけました。そうした祈りの光景は日常にごく自然にとけ込んでいる風景に見えました。

tamaudon (玉陵・タマウドゥン=王家の墓)

   syurijousen

(首里城の洗面所・タイルの絵と蛇口がユニーク。と思って撮ったのだけど、なぜ首里城の写真がなくて、洗面所?)

さて首里城と言えば2000円札の絵柄でおなじみです。そう言えば2000円札はどこへ行った?最近さっぱり見かけませんが。沖縄ではどこの駅だったか、「2000円札をもっと使いましょう」と、張り紙が出ていましたっけ。その首里城ですが、ここも戦争で破壊され、修復されたのですが、あまりにきれいで鮮やかすぎる気がして、私には当初違和感があったのです。しかし、展示室の解説ビデオを見て、地元や研究者の努力や熱意、修復の工程など詳細に知ることができ、とても興味が湧きました。残念ながら参観した後で見たので順序が逆でしたが。

これから首里城へ行かれる方はぜひ、解説ビデオを見てから参観されることをお勧めします。琉球の貿易の歴史と日本各地の絣との関係とか、いろいろと面白い展示もあります。450年の琉球の歴史には日本よりもっと東南アジアとの貿易の方が盛んだったみたいですから珍しい物もいっぱいあるはず。

中国の龍には火を噴いている絵柄があるが、琉球の龍は火を噴いていないのが普通だそうで、その中にあって一対の火を噴く龍の絵柄がついた蒔絵は珍しいとの解説も見ました。琉球は穏やかな土地柄だったのでしょうか、興味は尽きません。

さてこうして書いているときりがないので、この辺で。そうそう、食べ物のことですが、せっかくカメラを持っていったのに、撮る習慣がないと、気がついたら食べ終わっていたり、箸を付けた後だったり、という具合でとうとう一枚も写真を撮ることができませんでした。(写真を撮る習慣云々でなく単に食いしん坊だっただけかも。撮るより早くお腹に入っていたという…)

ソーキそば、テビチ、グルクン(白身の魚)の唐揚げ、ぜんざい(小豆でなく金時豆に白玉)、タコライス(タコスの乗ったライス、をイメージしてください)、紫芋のブルーシールアイスクリームなど、一通りいただきましたよ。原型を想像させる食べ物は苦手だなあと思っていましたが、実際にいただいてみると、薄味で素材を生かした味付けはどれもとてもおいしかったです。特別なところへ入ったわけでなく普通の食堂でしたけれど。

さて、何を書いたのかな、(というのは一回書いて保存する直前に全部消えたのです。グスン!今までのこの時間は何だったのかと、クーーー!書き込みの画面表示が新バーションになったのでそちらに移行しようとして何の手違いか一瞬で消えました。仕方なく書き直しましたがなんか他にも書いたような、でも思い出せないのでここまで)

沖縄バーションはあと一回で終了の予定。

(今日はゴチャゴチャ書いた気がします。表示がうまくいかなかったのも一因で、読みにくかったらごめんなさい。)

会話

(つづきです)
ゆいれーるは、こちらで言えばちょうど伊奈町へ行くときに乗るモノレールみたいです。
(モノレールだから同じなのは当たり前ですよね)
ただ、異なるのは走る場所が沖縄では町中なので、那覇の街を見下ろしながら走る
ことになります。高い位置を走るので気分はいいです。伊奈町のもそうですが、私は
結構モノレールって好きですね。何となくテンポが合っているのかもしれないです。
車を持っている人はほとんど使わないそうですが、確かに近いところを往復するだけ
の路線なので、機動性を持って動くにはあまり役に立たないかもしれません。

とは言うものの私はホテルからホテルの移動に使ったり、道がわからないので駅を拠
点に動けばわかりやすいので、3日間回数券というのを買ってゆいれーるは乗ったり
下りたりしていました。おかげで最終日には町中の地図が少し頭に入るようにはなり
ました。

さて、ゆいれーるで気づいたこと、ひとつ。電車内のアナウンスの前などに短く曲がかか
るときがありますね、あれがゆいれーるでは、よく耳にする沖縄の曲(なんという曲だった
か今思い出せません)がかかります。明るくテンポのよい曲です。
何駅目かでその曲がかかったとき、ふと向かいの席を見るとおじいさんが、手すりをトン
トン叩きながら、曲に合わせて拍子をとり、口ずさんでいるのです。その自然な反応が
何だかほほえましくて、私は下を向いて思わず笑顔になってしまいました。

0504252


(首里城へ向かう途中の道路脇の家々。
植物がいっぱい。南国のカラー。)

自然と言えば、店でも通りでも、見知らぬ人が自然に話しかけてき
ます。雨で観光にも行けないので、ホテル近くのデパートにブラッと
出かけていったときのこと、デパートが市民ギャラリーとして貸し出しているフロア
で、写真展と絵画展をやっていたので入ってみました。
ナミビアの赤い砂漠と現地の女性や子どもを写した写真展でした。
沖縄出身の写真家上地さん(?)、溌剌とした女丈夫といった感じの
女性です。入り口近くで、客と写真について大声で話していました。その
横からそっと入ってゆっくり見ていっていると、「まだ若い子よねえ」と声が。
見ると買い物途中のような60年輩の女性が、私の見ていた写真を指さし
て言いました。

写真は14,5歳(?)の女性(少女)の胸に抱かれた赤ん坊が、その母親(少女)の褐
色の豊かな乳房に大事そうに手を当てている写真です。遠くを見ているような落ち着
いた母親の眼差しを持ちながらも、あどけない少女の表情。そして堂々とした母親の
乳房、不思議な雰囲気の写真です。「そうですね、まだ14,5歳かしらね」と私。
「フフ、オッパイに手を当ててるよ…」とその女性。

そのままその女性も私も自分のペースで写真を見ていきました。しばらくすると、また
二人が同じ写真のあたりで立ち止まりました。するとまたその女性が話しかけてきま
した。「男の人はいないんかねえ。何でだろうね。」 「さあ、狩りにでも行ってるんでし
ょうかねえ。それとも写真に映ってはいけないという決まりがあるとか…」何て、思い
つくまましゃべっている私。またそれからは、それぞれが自分のペースで写真を見る、
こんな感じでブラブラ見て回ったのです。私がその会場を出ても、その女性はまだ丁
寧に見ていました。

なぜ写真に男性が映っていないのか訊きたかったのですが、上地さんとお客さんの
話は続いていたので訊きそびれました。

また帰る日に、スーパーの駐車場の脇に立っていたら、駐車場から出てきた車が左
折した拍子に、内側に廻りすぎて、立っていた円錐のポールをなぎ倒して止まりまし
た。うんと低速ですから事故というほどではありませんでしたが、もし人がいたら巻き
込まれて危ないところでした。私はポールが車の下に巻き込まれそうになっていたの
で、起こして脇へどけました。

すると車のすぐ後ろからオバサンがやってきて、運転席のオジサンに向かって、
「あんた何やってんの!巻き込んじゃったよ。人がいたら轢くとこだよ。」とポールを指
さしながら怒っていました。そして車に乗り込む直前、私の方を向いて「すみませんで
したね」「すみませんでした」とお辞儀をして乗って行かれました。
オジサンにはきついけど、私にはとても丁寧な口振りでした。私はたいしたことをした
わけでもないのに…。

3日目の夕方、食事代を節約しようとデパ地下に買い物に行ったら、マネキンのオバ
サンに捕まってしまいました。「ハイちょっとお味見だけねえ」と言いながら、商品の
宣伝とおしゃべりがとぎれない。これはどこにでも良くある風景、でもその時通りが
かった主婦達の反応が面白かったです。なじみの人もいるみたいでしたが、困った
ような顔をしながら、しょうがないわねえという感じで次々と5人も試食させられてい
たのです。でも買っている人はあまりいなかったような…。

吸い物を勧められた私は、猫舌なのでなかなか飲み終わらずに困りました。結局、
私も買わずに試食だけ。「いいのよ、いいのよ。今度ねえ!」の声に送られて。

タクシーに乗ったときのこと。
恐いタクシーもあるみたいでしたが、それらしきタクシーは声のかけ方ですぐ分か
りますから乗りませんでした。地元で長くタクシー業をやっているような運転手さん
のタクシーは、話好きで親切で感じが良かったです。私が埼玉から来たとわかると
自分の息子も与野にいたが今は云々、と自分の身内の話に一生懸命になる運転
手さんもいました。

こんなふうに、沖縄では町を歩いていても買い物をしても、人とたくさんしゃべっ
てきた気がします。人の行動にお互いが関心を寄せていた気がしました。というより
も自然に目に入れば何か話しかけたりしていた気がします。
羽田に着いてからも、それが自分の中に残っていて、人に対するこういう自然な気
持ちと接し方は忘れないでおこうと意識しました。
日を追って薄れてしまいそうな気もするのですが、挨拶や言葉をかけることに自然
であった、沖縄にいた数日間の自分を時々は思い出そうと思っています。

hotel

(ホテルのロビー)

沖縄の風

今日は何という暑さでしょう。先週の沖縄より暑いです。あいにく沖縄は曇りの日が多
く、晴れたのは一日半くらいでしたが、晴れた日でも今日のような暑さではなかった気
がします。湿気を帯びた空気も意外に爽やかに感じられたのは、まだ真夏ではなかっ
たからなのでしょうか。

さて、この暑さの中ですが、思い出の冷めないうちに、思いつくまま感想を書いておく
ことにします。

沖縄というと私はどうしても戦争の歴史のことが浮かんできてしまい、そのことを抜き
に私の体験として語れない気がしていました。かつて広島・長崎の原爆記念館は偶
然訪れる機会があったのですが、沖縄には一度も行っていなかったことが何か私を
負い目のような気持ちにさせていました。そこでまず戦跡を尋ねて自分なりの沖縄に
ついての気持ちを少しでも整理したいと思って、旅行のスケジュールを立て、準備を
始めました。

ところが資料を読んだりするうちにだんだん苦しく辛くなっていく自分に気づきました。
そんなときたまたま、ここにも書きましたが糸数慶子さんの講演を聴きました。
(タイトル「愛する者を人は滅ぼさない」に講演に関して掲載)
そして過去を見つめると同時に、日々進行している現実について、どう対応していく
かということの需要性について気づかされました。
糸数さんは平和ガイドとして長年活躍する中で、ご自分の体験から戦争の歴史に
ついて伝えると同時に、現実の米軍基地の問題を指摘されました。国会議員とし
てアメリカと交渉する中で、日本の市民がいかに危険な状況に置かれているかを、
アメリカの国務省の役人のほうがむしろ危機感を持って受けとめていると言ってお
られました。

沖縄国際大学に米軍のヘリが墜落した事故にしても、いつ同種の事故が起きて
もおかしくない状況だとアメリカが認めているのが現状で、その中で私たちが生
活し、沖縄に住んでいない私はその現状を沖縄の人たちに押しつけているわけ
です。これをどうするのかと自分に問いかけることの方が、より緊急の課題では
ないかと気づかされました。

今、私に何ができるかのほうが大事だと思ったのです。過去の歴史を正しく知る
ことも大事だけれど、そのことこによって前に進めないくらい辛くなるのなら、それ
は今の自分には合わない選択なのではないだろうか、そんな気がしてきたので
す。

決して、過去から逃げるつもりはないのですが、それ以上に今何ができるかの
ほうに力を注ぎたい思いのほうが強かったのです。
戦跡を訪れることも必要なときにきっと行けると思います。
今は、自分に「~しなくてはならない」という枠をはめることはやめようと思いました。
沖縄の風に吹かれて自分が感じるままに必要なことを取り入れてこよう、そんな思
いで出発することとなったのでした。

そしてまさに、思うまま感じるままに風に吹かれてきました。

ささやかなことだけれど思い出深いのは、まず那覇空港について飛行機を降りたと
きのこと。
飛行機のドアが開き、通路に出た途端、フワ~ッと私を包んだ湿気を帯びた柔らか
く暖かい空気。そして、ロビーに並んべられたランの花の鉢植えから漂ってくるほの
かな植物の香り。
歩く人も語らいものんびりした空港のロビーの雰囲気。
わずか数分間歩いただけなのに、ここまでで私はすっかり沖縄の空気に魅了され
ていました。「この感じ好き!」全身でそう感じて…。


nahanoran


これは帰りの空港で撮った写真。カメラの扱いになれていなくて、
うまく撮れませんでした。夕闇迫る頃だったのもありますが。
こんなふうにランの鉢植えがどの通路やロビーにも並んでいます。


外気は涼しく、雨が降っていました。モノレール(ゆいれーる)乗り場に吹き付ける
横殴りの雨は潮の香りを運んできます。建物を通しても人と自然が隔てられてい
ないような不思議な柔らかさを感じました。
植物の香りも街や通りのあちこちで感じました。それは強烈に木々が自己主張し
ているという感じではなく、道ばたの草や樹木の間から立ち上ってくる自然の息
吹みたいなものでした。当然ですがこれはあくまで私の個人的な感覚ですから、
沖縄行ったけどそんな感じしなかったなあという方も大勢いらっしゃることと思い
ます。(つづく)

yuire-ru


レンタカーがないとほとんど自由に動けません。
私は「ゆいれーる」を使って移動し、後はひたすら歩きました。
高校生の通学や買い物の足のようでした。

モードの切り替え

初めて沖縄に行って来ました。帰ったらいっぱい書くことがあると思って出かけたの
ですが、帰ってきたら、何だかモードが違うみたいな変な感じなのです。
うまく表現できませんが、モードの切り替えがうまくいかないといった感じでしょうか。
そんなことで、しばらくはこのまま自分の変化を見ていたいので、書けるときに書くこ
とにします。読んでくださっている方、ごめんなさい。言語化できるまで、今しばらくお
待ちください。

コンビニで

若葉がホントにきれいな季節ですねえ!

雑木林はさまざまな濃さの緑色の枝が風に揺れていて、こんなにもいろいろな
緑色があったのかとビックリするくらいです。
遅咲きの桜やハナミズキの花も混じり、ピンク・白・紅とアクセントの彩りが鮮やか。

ところで、今日コンビニで出会ったちょっといい話。
入り口の脇のコピー機でコピーをとっていたら、一人のお婆さんがドアを押して入っ
てきました。すかさずコンビニ店員が「いらっしゃいませ、こんにちは!」。
するとおばあさん、ドア横の買い物カゴを取りながら「はい、こんにちは」と返事をし
ました。

何だかとても新鮮でした。「こんにちは」に「こんにちは」と返す。
当たり前のことなんですけどね。自分はできていないなと考えさせられました。
コンビニで耳にする「いらっしゃいませ、こんにちは」は、「テープを流しているように
紋切り型だから返事をする気になれない」とか、「以前返事をしたときがあったけれど、
何だか逆に間の抜けたタイミングになってしまってバツが悪かったからやめた」とか、
理由はいろいろあるにせよ、挨拶はやはりお互いにするのが本当だろうな。

イタリアに旅行した人が言っていました。店で挨拶されたら、客も挨拶を返してから、
客への応対が始まるのが日本と違っていたと。日本だと店員が挨拶しても、客は
それを当然のごとく受け流していますものね。店員も挨拶が返ってこなければテー
プのように紋切り型になるのも仕方ない気がします。

同様に、若い人の集まる服飾品の店など、「いらっしゃいませ~」と語尾を引っ張る
独特の表現で迎えられると、途端に購買意欲がそがれる気がします。右から左か
ら「いらっしゃいませ~」で責められると、早くその場を立ち去りたい衝動に駆られる
のは私がへそ曲がりなのかな?ふとそんな店員を見ると、目は手元の商品棚に向
けたまま、人の気配を察知して「いらっしゃいませ~」と言っている。まるで、人の動
きをキャッチするセンサーみたい。スゴイ特技だ。
慣れるとそんなものかと思ってしまっていましたが、よく考えるとこれも何となく変で
すね。

お婆さんの「はい、こんにちは」。挨拶の原点を思い出しました。


イベント情報など

今日は風もなく、日射しも柔らか、穏やかに晴れた一日となりそうです。
新緑は日を追って鮮やか、いい季節ですね~。

今日はイベント情報とお知らせを。

①イベントは私の仲間で企画した憲法関連の学習会です。

専門家の話を聴きながら、憲法についてもっとよく知り考えてみたいと思い、友人達と
企画しました。
講師にはやさしく、わかりやすく話していただけるようお願いしました。
今後の憲法の影響を直接受ける若い人には特に参加してほしいと思っています。
会場は70名定員、何人お集まりいただけるか心配!
どうぞお誘い合わせてご参加ください。そして若い人にもぜひお声掛けください。
お待ちしています。

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        【 やさしい憲法の話 】

日時:2005年5月15日(日)14:00~16:00
場所:埼玉県男女共同参画推進センター「with you さいたま」
   「視聴覚セミナー室」電話048-601-3111
JR京浜東北線ほか「さいたま新都心」駅徒歩5分
   JR埼京線(各駅停車のみ)「北与野」駅徒歩6分
講師:山本有司(弁護士・伊藤塾講師)
参加費:800円(学生半額・中学生以下無料)
主催:めだかの会 電話 048-666-1890
        e-mail  sereni@nifty.com

ここから下は、MLからの転載です。なかなか充実の内容です。
長いですが、ぜひお目通し頂ければ。②はテレビ番組関連。③は「ヤンキー先生」
関連です。
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②憲法関連のテレビ番組のご案内

憲法24条の裏に隠された秘話を探る歴史ドキュメント番組の紹介です。
計5回のシリーズ憲法の1つです。

***番組ホームページより

フジテレビ「NONFIX」(ノンフィックス
シリーズ憲法~第24条・男女平等「僕たちの“男女平等”」
<2005年4月20日(水) 02:48~03:43 放送>
(2005年4月19日(火) 26:48~27:43 放送)

【企画趣旨】
 憲法が発布されてからおよそ60年。長い歴史を経て憲法は現実との間で徐々に整合
性が取れなくなってきた、と言われて久しい。今、戦後初めて国会レベルで改正論議
が進行。各政党も今年から来年に掛けて改正案を続々と発表する予定だ。新聞各紙の
世論調査でも多くの国民が改正を支持している。

 今回、憲法の置かれた現状や憲法そのものを見つめる事で、少しでも多くの視聴者
に憲法を考える機会を提起できれば、という考えのもと、シリーズで幾つかの条項に
迫る事にしました。そもそも条項の裏にはどんな思いがあったのか?どんな事実が
あったのか?政治に無関心と言われる世代のディレクターは今をどう見るのか?何が
議論になっていてどんな意見があるのか?教科書的な番組に終わらせないように様々
な手法、角度から色々な考え方を提起し、議論のきっかけになれば、と考えておりま
す。

【番組内容】

 共働きのディレクターが妻の余りの強さに男女平等について考え始める。
 そもそもこの男女平等について憲法に盛り込んだのは誰なのか? どんな理由なの
か?
 歴史を紐解くと、ベアテ・シロタ・ゴードンさん(82歳・NY在住)がその生みの親
だった。アメリカでさえ女性の権利が弱かった時代、何故彼女はこれを盛り込んだの
か?
 戦前、子供時分に日本で暮らした経験のあるベアテさんは女中・沢辺美代さんから
日本の女性について話を聞いていた。女性に権利は全く認められていなかっただけで
なく男にかしずく存在でしかなかった立場、家父長制度の末端をささえる位置づけで
しかなかった日本の女性を不憫に思い涙し、20代前半の彼女は男女平等を盛り込ん
だ。曰く「感情で書きました」。沢辺さんの姪の証言を通して当時のベアテさんの心
情を探る。
 改憲派の意見は「今の家族崩壊は憲法24条にある。日本の家族を立て直すために
も今の憲法では足りない」。改憲派の目指す理想の家族像とは?
 24条の裏に隠された秘話を探る歴史ドキュメント。

***番組ホームページよりここまで

【関連サイト】
・東京・岩波ホール
※映画「ベアテの贈り物」4月30日から6月中旬公開
・サイト「ベアテの贈り物」
※映画「ベアテの贈り物」の全国の上映情報など
・ベアテさんの講演情報(青年劇場のホームページ内)
・次世代への贈り物(東京新聞2004/8/25)

シリーズ憲法の1つとして、映画「誰も知らない」の監督・是枝裕和さんが撮った憲
法9条、「忘却」が5月3日深夜に放送されます。

・NONFIX「憲法」の放送が5月3日に決まりました
http://www.kore-eda.com/postoffice/k_20050406.htm

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③「ヤンキー先生」退職の経緯
以前ここにも書いて、気になっていたのですが、北星学園余市高校の教員だった
義家弘介さんについて、退職に至るまでのことが書かれていたので、紹介します。
記事がそのまま事実とは言えないかもしれませんが、状況の全体は概ね察しがつ
きます。教え子達の支持は何より彼の生き方が教育そのものなっている証でしょう。
活動の場を限定せず、教育の原点を踏まえて歩む姿勢にエールを送りたいと思い
ます。

http://www.yomiuri.co.jp/hochi/news/apr/o20050417_30.htm

卒業式と「日の丸・君が代」

つい一週間ほど前、桜を楽しんでいたと思ったら、もう季節は新緑へ移り変わ
っているのですね。
昨日は武蔵野の林の中にある趣のあるお店で、ギターの生演奏を聴きました。
お庭が自然林を利用してあって、というより林を楽しむためにお店が建ててあって、
庭もいつまで眺めていても飽きません。
お食事も自家菜園の丁寧に栽培されたおいしい食材を用い、部屋を飾る元気な
花達も畑で育てたものということで、とっても贅沢なひとときを味わうことができま
した。
050416_1551001

伊奈町のヴィエントというお店です。
ギターは下館直樹さんのソロライブでした。
下館さんの新曲も2曲。
「アプリコット・カフェ」と
「導き(スペイン語のタイトルでしたが、なんと言ったかな?)」
かたやヨーロッパのカフェの香り、かたやいろいろな思いを想起さ
せ、じっくりと聴かせるちょっと哲学的な雰囲気の曲。
どちらもまた聴きたいです。
これから雑木林は緑の濃淡が美しいでしょうねえ。

ところで、話変わって…。
東京都の卒業式の日の丸・君が代を巡って、教師がまた今年も処分を受けました。
広島では、教育委員会が君が代斉唱の声の出し方チェックをしたそうです。
そんなことが気になっていたので、あるメーリングリストからこんなメールが送られてき
たとき、届いたメールは私にも実感を持って受けとめられました。
転送歓迎と添えられていたので、そのままここに転載させていただきます。

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こんにちは、季刊『中帰連』発行所の熊谷です。
 以下、転送歓迎です。

 都教委による教職員・生徒への日の丸・君が代の強制が問題に
なっています。すでに多くの教職員が処分を受けています。

 そうした状況で、なお「日の丸」に頭を下げず、「君が代」に唱和し
ない教師が存在することを誇りに思います。私は一市民として、彼
ら・彼女らの信念ある行動に励まされながら、良心の自由・思想信
条の自由を勝ち取るまで、ともに歩んでいこうと思っています。

 強制に対する怒りとともに私が感じるのは、日の丸・君が代その
ものに対する違和感、嫌悪感であります。私の場合、その源は、か
つての戦場の体験を元兵士たちから聞き取りしてきたことにあるで
しょう。

 たとえば、小山一郎さんという、下町で畳屋を営んでいる元陸軍
軍曹は、中国人を強制連行する作戦のなかで日の丸を掲げ続けま
した。背の高いコウリャン畑に隠れても日本兵同士の位置がわかる
ようにするためでもあり、包囲している中国の農民に対する威嚇でも
ありました。

 この中国人強制連行作戦は内閣の閣議決定に基づいていました。
 もしあなたが「小山一郎さん」であったなら、あなたは内閣の決定、
そして上官の命令にしたがって、逃げまどう中国の農民を捕まえたで
しょうか?

 当時、兵士としてその場にいた日本人男性のほとんどすべては、
それをやったのであります。なぜならば、そこには命令と強制があっ
たからです。拒否することは許されなかった。そうして、外務省の調
査によれば4万人近い人々が日本人によって拉致・強制連行され、
6000人以上が異国で命を落としました。

 命令と強制によって兵士=加害者となった日本人男性は「極悪人」
(By保守派の学者・秦郁彦)になるか、戦死して「神様」になったわけ
ですが、こうした過去から都教委の皆さんが学ぶべきことは少なくな
いと私は思います。

 長々とすいません。普段であれば雑誌の内容を広報するだけなの
ですが、今回は内容が内容なので、多少の思いを書かせていただき
ました。季刊『中帰連』は元兵士たちの体験した戦場の実相を後世
に語り伝えるための冊子です。下記から購読できます。
http://www.tyuukiren.org

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
第32号は「戦場の日の丸・君が代」が特集だそうです。
若い熊谷さんの、戦場体験を受け継ぐ活動を応援したいと思います。

中国で自分たちのやったことを振り返り、悔い改め謝罪し、「兵隊」から「人間」にな
って帰ってきた帰還兵達のことを、共産党に洗脳された人たちという見方がありま
す。確かに政治的な意味合いでは、いろいろな表現ができると思います。
しかしだとしても、当時起こった謝罪と許しの事実のもつ価値は変わりません。

自分の罪を認め謝罪するということが、いかに加害者にとって難しいことであるか、
しかしその謝罪なくしては、加害者は言うに及ばず、被害者もまた救われることは
ないという事実は、私の仕事柄(心理関係)よく理解できます。

例があまりよくないかもしれませんが、たとえばDV(家庭内暴力)にあっている妻と
夫の関係にたとえてみればよくわかります。
虐待している夫には、虐待しているという自覚がない場合がほとんどです。このとき
幾ら妻が被害を訴えても妻の傷みには気づきません。しかし、自分が十分に他者か
ら話を聴いてもらうことができ、セラピーを受けることができたりして、次第に気持ち
が癒されてくると、初めて自分が妻に対して危害を加えたことへの反省が芽生えて
きます。

つまり、人は自分が癒されて初めて、自分の加害性に気づき、心から謝罪すること
ができるようになるということです。自分が事件の当事者であると認識できること、
これが重要なことで、これがないと自分を本当に振り返るには至りませんし、感受
性や感情表現そのものもとりもどすことができません。
戦場を経験した人が、皆誰かに話をゆっくり聴いてもらえたり、気持ちを受けとめて
もらえたら、せめてもっと世界中の怒りは少なくなるのではないかと思います。

軍隊を経験した多くの人はほとんど辛い体験を心の内に押し隠して、そのまま亡く
なっていきます。当の個人にとっても、社会にとっても悲しく残念なことです。
かくいう私自身、父の戦場体験を聞いてあげることができませんでした。父が亡くな
って、追憶する中で次第にこのことに気づいた次第で、今でも残念に思います。

「中帰連」の活動はたたえられ、誇りに思って良いできごとだと私には思えます。
むしろ人間の希望として、世界に広まり、暴力の拡大を抑制することに貢献でき
る事実になっていってほしいと願っています。

話を都教委の処分に戻します。
卒業式で自分の意思や表現を貫いた教師達を支援することは、私自身の思想
表現の自由を確保することでもあります。戦場で、どちらを選ぶかと迫られるよ
うなことにならないよう、自分の意思を表して、思ったことの言える社会を守って
いきたいと思うのです。
何だか、最後は運動会の宣誓みたいになっちゃいましたが…。

サナギが蝶に?

大学からの帰り、学生達とバスに乗り合わせた。
バスは午後の日を浴びながら、新緑に彩られ始めた丘陵地帯をクネクネと下りていく。
ふとバスの窓から見ると、平行して走る自転車道を一台の自転車が滑るように下りて
いくのが目に入った。自転車通学の学生だ。

急な下り坂だから、こがなくても進む。シャツや髪が風になびいて、蒸し暑い車内から
見ていると、見るからに「ワアー、気持ちよさそう!」

と思った瞬間、…後ろから学生の声がした。

「超、気っ持ちよさソ~!」
(ホント!私もそう思う。)

「コケろ!」
(え?コケろ?)

「エアガンで撃ちてェ~!」
(え?なんでそうなる?ちなみに、この台詞全部同一人物。)
私は一瞬思考が止まる。

以下、3人(たぶん)の会話。
「チッキショウ。気持ちよさそう~。」
「エアガンか、昔、よくやったなあ。」
「昔はよかった!何にも考えずにやりたいことやってたもんな」
「ホームレス、毛布ひっぺがしてエアガンで撃ちまくったりとか」
「え、おまえそんなことやってたの?」
「だって、葉っぱにくっついたサナギみたいに、くるまって寝てっから。」
「蝶になんじゃネ?」
「そしたらウチワでシッシとか、やってやんの…。今じゃできねえな。よくやったよな、
オレも。」
「ホームレスって何がキッカケでなるんだ?」
「働かないでも食べられて、理想の生活だってさ、」
「オレはやだな、いくら働かないで食べられても、」

「小泉純一郎そろそろやめるの?」
「え?そうなの?」

…………………………………………………………………

子育てを振り返ってみると、何年も前のことを子どもの口から後で聞かされ、冷や
汗が出てくるようなことがたまにある。男の子は特にそうだ。親は知らぬが仏だ。
事前に知っていたら引き留めていたに違いない危険と隣り合わせの、あるいは法
に触れるかどうかというギリギリの、冒険だったり「悪さ」だったりなどだ。

しかし男の子に限らず、多少のリスクを犯してでも冒険をする要素がいっさいない
と、育っていかない部分もあるような気がする。
(ここで思い出すのは、羽根木プレーパーク。余談だけど、ここのURLがいい。otagaisama)

では、どこまでなら許されるのか、また許されないのか。常に決まり切った法則は
なく、子どもも親も経験を積みながら、試行錯誤して答えを出していくしかないのだ
ろう。

防空壕で遊んでいた中学生達が一酸化炭素中毒で亡くなった。痛ましい事件だ。
危険個所のチェック、封鎖など、いろいろ意見が出ている。何が本当に適切な処
置なのかは、よーく考える必要がありそうだ。

やさしい憲法の話

今日は寒いし、雨だし、一昨日までの春爛漫のお天気がまるでウソのよう。
駅前の桜の大木も冷たい雨に打たれ、だいぶ花びらも散って細身になっていまし
た。

先週末の汗ばむような日に、もう着ないだろうと思ったセーター類を洗濯してしまい、
もう少し待っていればよかったと後悔した次第。かといって、また引っ張り出して着る
のもなんかなあ…。というわけで、春物の上に厚手のジャケットを引っかけて出かけ
たのですが、やっぱりちょっと肌寒かったですね。

さて、しかし、今日は一歩前進のお知らせ。いえ、たいしたことではないのですが、
私としてはちょっと嬉しいことで…。
かねて予定していた憲法の学習会、きょう講師との日程調整ができ、開催の運び
になりました。詳細はこれからですが、日時と場所だけお知らせしておきます。
これを読んでくださっている方の中に、お近くにお住まいの方がおられましたら、ぜひ
お越しください。お待ちしております。(後日の詳報で確認の上、お越しくださいませ)

 <講演と集い(仮題)>
  「やさしい憲法の話」
日時:2005年5月15日(日)2時~4時くらい
場所:さいたま市内
    さいたま新都心駅徒歩5分「Wiht you さいたま」
講師:伊藤塾より

テーマ、詳しい内容については決まり次第お知らせしますね。
何となくムードだけで動いてしまって後悔するのはいやなので、改憲・護憲・創憲・
論憲…、何にせよ、自分で考えるきっかけがほしいなあと思っていたところ、友人
の何人かと意気投合して、こういう企画になりました。
できるだけわかりやすく、中高生にも分かるようにお話ししてくださいと講師にお願
いしてあります。
「できるだけわかりやすく」…考えてみると、結構難しい注文ですね。

しだれ桜

「桜」話題でもう一つ。

昨日やっとのことで、遅くなったのですが、お墓参りをすませました。
緑の多い墓園とはいえ、日射しをよけるほどの木陰はなく、
ジリジリと照りつける日射しはまるで初夏のよう。
車から降りて、ふと見ると、濃いピンクのしだれ桜がひときわ目を惹くではありませんか。
思わずパチリ!

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新緑も目につきはじめた丘陵の傾斜地。
墓園の周囲一帯は、ソメイヨシノの淡いピンクが
グルッととり囲んで、
満開の枝を揺らしていました。

昨日とはうって変わって、今日の冷たい雨。
桜も散り始めていることでしょうね。

Kさんのパーティ

友人のKさんが、今まで住んでいたマンションのお別れパーティを開いた。
新婚当時から住んできた思い出いっぱいの「マンションの部屋に感謝を込め」て、
パーティを開いたのだ。Kさんは感謝の思いを込めて踊り、友だちみんなで、食べ
て飲んでおしゃべりして祝福した。
お部屋のために踊るとは、繊細なkさんならではの発想だ。

Kさんは、巫女さんの舞の奉納よろしくダンスを踊った。
太陽がいっぱいに降り注ぐ部屋の隅々にまで、そして戸棚の中にまで、白い妖
精のような衣装で軽やかに無邪気に、ときに激しく、思いを込めてKさんが舞う。
旦那さんがレインスティックで音をつける。

途中から観客の友人達も飛び出す。拍手や大爆笑、はやし立てる笑い声。ジャン
ベも響き出す。みんなが持ち寄った料理やお菓子が、折り紙の船に盛られて出て
くる。ヤツデの葉っぱも立派なお皿だ。里芋のサラダ、桜の花のロールケーキ、
おにぎりや野菜料理などなど、どれもみんなおいしい。
宴に並んだ持ち寄りの食べ物と工夫を凝らした盛りつけ。
お料理を見て誰かが言った。「最高に贅沢な食卓だね!」

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(写真は、宴の後…。よしこさんの畑の花。
白とピンクが一枝に咲く「源平」という種類とか)
Kさんにサヨナラしての帰りがけ、花見をしようということになり、
何人かで千鳥が淵にまわった。千鳥が淵では道路の向こう側
からジャズバンドの演奏が流れてくる。
花見とジャズの取り合わせもなかなかいい。
午後10時を廻っているのに、人並みはとぎれない。
酒盛りもなく、ライトアップされた満開の桜をジッと見ている人の
多いのが印象的だった。

今日は文字通り「春を満喫」の一日!

桜を愛でるように…

近くの小学校の校庭の桜が満開だった。校庭の三方をぐるっと桜の花で囲まれた中、
大勢の子ども達が野球や鬼ごっこをしていた。風が吹くと校庭を取り囲んだ何十本と
いう淡いピンク色のかたまりが、ワサワサと柔らかく揺れた。まだほとんど散り落ちる
花びらはない。

夜のテレビニュースでは日本全国の花見の宴会や夜桜見物の様子を伝えていた。
京都では堤の両側に1500本、宮崎の夜桜は1800本、千鳥が淵でも500本(だったか
な?)、とにかく日本中に桜の名所がある。これらはほとんどが戦後の復興の過程で、
すさんだ人心と大地を回復させる慰労のために植えられたものだという。

そのために、一斉に咲きそろうソメイヨシノという品種を植えたのだそうだ。
ソメイヨシノは原種ではなく、今で言えば「クローン種」で、人工的に作った種類なんだ
そうだ。そのためか樹齢も60年くらいとも言われ、戦後すぐに植えたものは、そろそろ
弱り初めているらしい。そのせいか、全国のソメイヨシノにこのところ急激に、病害虫の
被害が出始めているという。

私たちの心が弱ったり元気が出ないとき、確かに植物は私たちに生命の持つ息吹を
感じさせ、そっと心を包むように和ませてくれる。
戦後、荒廃した中で始まった庶民の生活。桜の木が全国に植えられ、年々大きく育
つ中、春の訪れとともに桜の花は、数えきれないくらい多くの人たちに慰めを与えて
きたに違いない。

毎年この時季、ニュースが桜前線の北上を伝えるとき、花便りが国民の大きな関心
事になる日本っていいなあと嬉しくなる。こんなふうに桜を愛でる日本人に対して、
「そんな一つの花に一喜一憂するなんて変わっている」と、万一よその国の人に言わ
れたとしても、日本人はきっと気にもとめないし、これまでどおり桜を愛でることを止め
ないだろう。

同じように、「世界の中で、軍隊を持たず外交努力で平和をつくろうなんて変わってい
る」と廻りの国から言われたとしても、正々堂々と「これでいい」と言える日本人だった
ら、いいなあ。それは決して不可能なことではないし、絶対試してみる価値はある。
ほんの少しの勇気があれば。先の戦争で払われた大きな犠牲に対する私たちの責任
として、少なくともそれくらいの勇気くらい持たなくては、いけないだろう。

よその国がこうだから、私たちもこうするではなく、他はどうであれ、私たちは歴史の教
訓としてこのような道を選ぶと言うのでなければ、本当の意味で犠牲になった人たちに
報いることはできない。美しい桜の下を歩きながら、臆することなく独自の道を歩ける日
本人の一人でありたいと思った。同時にこれからの世界では、自分の道を誇りを持っ
て歩くことのできるおとなになれるよう教育をしていくことが、子ども達の未来のために
欠かせない視点になってくると思う。

桜の花は携帯カメラではうまく撮れなかったので、これは桃の花。
もっと鮮やかな色だったのに、夕方だったためか、暗いなあ…。
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電車の母娘

小学校の裏手を通ったら、今日は入学式だったらしい。華やいだ雰囲気の親子連れ
にいっぱい出会った。校庭の桜は、明日か、あさってくらいには満開になりそう。
まさに「はるのかんたんふ」の季節だ!

今日は所用で片道90分の電車移動だ。住宅地から次第に田園風景になる。しかし、
北に向かったので沿線の桜はまだ3分咲きくらいだった。それでも蕾を蓄えた枝の
紅色が沿線に霞んでいる様子は、春の景色そのものだ。

車内はガラガラにすいていた。みんな陽気につられ、ウツラウツラしている。
私もせっかくだから沿線の景色を楽しもうと思いながら、ついウトウト…。
目を開くたびに、廻りの乗客が変わっている。
何度目かに目を開けると、目の前のシートに女の子がチョコンと座っていた。
2歳くらいだろうか。

シートは横長、ひろーい座席の真ん中に、ナップサックを背負ったお母さんと並ん
で座っている。広いシートの真ん中にチョコンと座った様子は、人形を座らせたよう
で、まず何となくユーモラスだ。手にはしっかり切符を握っている。

真っ黒い髪を両側でツンと縛って(アニメの主人公にいたような気がする)、黒いT
シャツで、黒目がちの大きな目をパッチリ開いている。
「何でもしっかり見るわよ」とでも言いたげに、右を見たり、左を見たり。出口に向か
う人がいると、全身でその人を追って、カラダ全体でのぞき込んでいる仕草が何と
も可愛い!

「そう、今日はもうおしまいね」女の子がお母さんに向かって何か言うと、お母さん
が答えていた。今日はお散歩日和だったものね。きっと電車で小さい旅をしてきた
のだろう。天気は良し、桜も咲き始め、子どももお母さんも「どっかお散歩行こうか、
おべんと持って。」なんてね。

女の子のまん丸な目。一日、きっといろんなものを、興味津々で見てきたのだろう
な。
こんな風に見ている私、自分の子育て時代には、可愛いなあと子どもの風景を見る
余裕はなかったな。今でこそ、どの子の仕草も皆、素直に可愛いと感動してしまうし、
少々乱暴なヤンチャも、笑って許せる。「子育て現役」時代はそうはいかなかった。
おばあちゃんの目線は、だからこそ社会にとって潤滑油として大事なのかもしれな
い。

終点の改札口で、お母さんに切符を渡す女の子。
「楽しませてくれてアリガト。バイバ~イ。」(声にはしなかったけど、ネ)

スモモ?

昨日、「白い桜?」と書いたら、「それはもしかしたら、スモモでは?」と友人から
ファクスが届いた。
そうかもしれない。今度通ったらよ~く見てみよう、と言いたいが、もう吠えられる
のはちょっとね。確かめに行くのは二の足を踏んでしまう。

植物話題でもう一つ。
テレビニュースで地震被災地の旧山古志村に、一時間だけ帰宅が許されて帰っ
た人たちの映像が流れていた。
その中に、雪の中からフキノトウを掘り出していたお婆さんがいた。

「春だ!もう雪は降らんね。」と。
お婆さんの「春だ!」は、本当に春を待ちわびた弾んだ声だ。
お婆さんがセッセと掘っていたのをみて、記者が質問。
「(仮設住宅にいる)みんなに持っていってやれば喜ぶじゃろ。コレ見ると春だあ、
思うてね」と笑顔のお婆さん。お婆さんの笑顔に思わずこちらもつられて目尻が下
がる。フキノトウは、雪深い土地の人にとっては本当に春の訪れそのものなんだな
あと、お婆さんの笑顔を見て実感した。温暖な気候育ちの私には、お婆さんの「春
だ!」は格別新鮮に響く。

「いやあ、いいね。やっぱり我が家はいいわ。」地震で散らかったままの茶の間に
どっかと腰を下ろしたおじいさんの嬉しそうな顔。そうだよね、我が家が一番だよ
ねえ、と思わず相づちを打ちたくなる。

この頃テレビを見ていて、率直で飾らない、実感のこもった日常の言葉が語られ
るとなぜかホッとする。

明日も暖かいらしい。もうすぐ桜も咲きそろう頃だ。
これからしばらく、車窓の眺めが楽しみだ!

白い桜?

今日、目にしたのは、この時季に咲く真っ白な桜っだったのか?

午後、郵便局の帰りに、住宅街の一角を歩いていたら、住宅地と農地が混在した
場所柄、住宅地を一歩曲がると畑の片隅になったりするのだけど、その畑の隅に、
真っ白な細かい花をつけた背の高い木が立っていた。ほっそりと繊細な枝振りで、
花びらも繊細な白い花をつけている。

あまりの白さと優雅さに惹かれ、近寄って行って見上げると、ちょうど桜の花びら
のよう。白い桜もあるので、それかなと思いつつ、思わず携帯を取り出し、カメラを
向けたのだが、見上げるアングルだと、まったく逆光で枝も花も真っ黒にしか見え
ない。

コレはダメだと思い携帯をバッグにしまおうとした途端、
「ワ、ワン!ワン!ワン!ワワワ、ワン!!!…」とけたたましい犬の鳴き声が。
二匹の犬が急に犬小屋から飛び出してきて吠えたので、もうビックリ!
怪しいヤツが変なコトしていると思ったのだろう。
確かに、携帯で、道ばたとはいえ他人様の敷地内の樹木の写真を撮ろうとしたの
は、彼等から見たら立派に吠える理由になるだろう。

家屋敷はアングルに入れず、空と枝先を撮ろうとしたのだけれど…、彼等にそんな
ことわかろうはずもないし「怪しい」ヤツには違いない。
もともとあまり写真を撮ったり、記録して残すということに無頓着だった私だが、携
帯にカメラ機能が付加されてからというもの、いつの間にか手軽さゆえに、写真に
撮っておこうとしていた自分に気づいた。

でも本来は、心やからだでその場を感じることが何よりの記録だと思っている。
ちょうどいい。ここらで一度リセットしておこう!

エープリルフール

今日から4月。
桜も咲いて、入社式で、今日は一日。

と、新聞を読む。「ツノ(角)ゴキブリ?」「ゴキブリとカブトムシの交配で、台所のゴ
ミを荒らしている?」え~、それはたいへん!イヤだなあ、っと思って読み終えたら、
「やられた!」エープリルフールだ。東京新聞恒例の全面エープリルフール記事だ。
本気で苦情も来るとか。でもまあ、これくらいは、一年に一度の息抜きとして、あっ
てもいいかな。

そういえば子どもの頃、4月1日は、けっこう友だちと「ウソのつきっこ」をして面白が
っていた記憶がある。のどかだったんだろうな、時代が。


万博のお弁当

愛知万博のお弁当持参(ただし家庭の手作り弁当のみ)が解禁になったとか。
まずは、メデタシ、メデタシ。私は今のところ行くつもりもないので直接関係ないけ
れど、たとえ自分が行かなくても、安心して食べ物にありつけるようになったと聞く
とホッとするのは、やはり私が食いしん坊なせいか?

インターネットを覗くと、内覧会を取材した記者があちこちで書いている。
取材中お腹がすいたのでどこか食堂に入ろうと少しでもすいたところを探し回り、行
列に並び、やっとメニューにたどり着くと、とても普段の自分だったら絶対手を出さな
いような2000円の和定食だったとか、ちゃんと食べると高そうだから、とりあえずパ
ンでも買おうと思って並んだら、チーズを乗せてオーブンで焼いたパンが1000円だっ
たとか…。家族連れではとてもとても、のお値段だ。

だけど解禁になったのが家庭の手作り弁当だけというのもなんだかよくわからない
なあ。食中毒を防ぐためと言うが、万博だけ特に食中毒になる危険が高いというこ
とでもないでしょうに。それに会場の食堂で食中毒が出るのを心配するならわかる
けど、何で個人が持ち込んだ弁当の衛生管理まで心配するのだろう????
わかりません。


「昭和の日」

ができるんだそうな。
……………………………………………………
4月29日の「みどりの日」を「昭和の日」に、5月4日の「国民の休日」を「みどりの
日」に改める祝日法改正案が、1日の衆院内閣委員会で与党と民主党の賛成で
可決された。共産党は反対した。

施行期日については、付則で2006年1月1日と定めていたが、カレンダー製作な
どの事情を考慮し、07年1月1日に修正した。5日にも衆院本会議で可決、4月中
にも成立する見込みだ。
[読売新聞社:2005年04月01日 18時51分]
………………………………………………………
だそうだ。
知らなかった。そう言えばみどりの日が決まるときも、そんな案がチラホラ出ていた
気がするけど、あれはしっかり生きていてこういう形に実を結んだのだ。
ネットで検索するとこの間地道に動いていた人たちがいるのだ。170万人分の署名
を集めたらしい。

しかし170万人が国民の総意だなんて、これはないな。300万人分の署名を集めて
反対した青森県六ヶ所村の再処理工場建設はいとも簡単に押し切られてしまった
というのに、かたや170万が総意だなんて。
しかもどれだけの人が、こういう経緯を知らされているだろう。

何だか知らないところで、こっそり決まってしまうことが多すぎる。イヤな気分だ。

「昭和の日」関連で調べていたら、社民党の福島瑞穂さんの講演録に行き当たった。
その中で国会でのやりとりが出てくる。福島さんがまともに法的な解釈について質
問しているにもかかわらず、議場からは「日本人か、それで」とヤジが飛んでくる。
少し引用します。
……………………………………………………………………………………………
戦前の国家総動員法には罰則規程があるので戦争に協力せざるをえなかった
わけですが、今回も懲役刑があるわけです。「戦争に協力するのか、刑務所に行
くのか二者択一を迫られるの、どうなんだ」と質問をしたら、ヤジが飛んできて騒
然となって「日本人か、それで」と。                (引用ここまで)
……………………………………………………………………………………………
そうそう、この前、20代前半の若者と話したとき、徴兵制になったら逃げる、って言っ
ていた。実際、彼のように考える若者は多いと思う。
「戦争中、もし逃げられたらみんな逃げていたよね。本当のところは誰だって戦争に
行きたくはないもの。でも逃げられないように追い込まれていくんだよ。実際、今、反
対と言えないことは、その時になったらもっと言えなくなるんだから。」
そんなふうにオバサンとしては話すしかなかったけど、伝わったかなあ。

福島さんの講演はその後、日の丸・君が代についても触れている。強制しないと言っ
ていたのが、現実には強制になってきている。それなら、国会で質問しただけで「日
本人か、それで」とヤジの飛ぶ法律は、これが実施されたらどんな国になってしまう
のだろうと…。

と、それとは別に、ここでクイズを一つ。

新聞記者が、ある人に、憲法改正についてインタビューした。
Q「湾岸戦争の時、憲法上の制約から人的貢献ができず、国際社会から批判を
 浴びた。それが契機となって、改憲論が盛り上がっている。」
ある人は答える。
A「あの時、世界は、日本のような憲法があることを知って驚いただろう。変わっ
 た国だな、と。しかし、われわれはそれでいいと考えている」
(東京新聞05/3/31)

(答えは最後に)

新聞は前日仲曽根さんを取り上げていた。同年齢の二人はまったく異なる見解だ。
年齢に関係なく、つながれるところでつながりながら、希望を持ってがんばろう。

…………………………
<お知らせ>
憲法メディアフォーラム
憲法を巡るさまざまなニュースと情報が掲載されています。


答え:宮沢喜一元首相。

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