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4日間のモヤモヤ

 「正しい」とは何だろう?

間違っていないこと。事実であると言うこと?真実であること?
間違っていなければ正しいのかしら?
理論的にあっていれば正しいのかしら?
「当たり前ジャン!何バカなこと言ってるんだ」と言われそう。
でもやはり考えてしまう。正しいって何だろう?

人が幸せになったり、仲良くしていくために、知識や考えが使われたときが
正しいと言えるのではないかなあ。

なぜこんなことを言うかというと、4日前の新聞記事にこだわっているからだ。
その記事を読んでからどうも何かスッキリしないでいる。が、うまく反論できない。
でも絶対何かがおかしいと感じている。

その根拠は、人が幸せになるために言葉が使われていないからではないかと思う。
別の表現をすれば、書き手に愛がないからだ。

ペンの力はすべての人を幸福にすることはできなくても、誰かの力になることはできる。
それだけ大きな力を持っている。言い換えれば人を救うことも傷つけることもできる。
特にメディアに載るとき、そのことを書き手が意識して謙虚でいないと、簡単に多くの人
を誤った認識と、人を分断する方向へと引っ張っていってしまうのではないか。

4日前に読んだ新聞記事の最後の部分。
(草野厚氏がNHKの女性国際戦犯法廷を紹介したビデオを見ての感想を述べたもの。)

「番組は、冒頭で画像を駆使してナチの大虐殺、アルジェリアの独立戦争、旧ユーゴや
ルワンダの拷問やレイプなどを人道的観点から裁くことが、国際法世界の新潮流だと
強調し、それらと慰安婦問題を重ね合わせているからだ。これらの事件と、当時は
合法的だった慰安婦問題をなぜ同列に論じることができるのだろう。大いに不思議だ。
多くのメディアは、この点を、番組をよく見ずに書いているせいか、ほとんど報じて
いないが、制作者の意図の強引さを知る貴重な材料だ。」

【東京新聞「言いたい放談 『~戦時性暴力』を見て 草野厚(慶応大学教授、
国際関係論)」'05/2/18から最後の部分抜粋、下線・大本】

私は国会の委員会で従軍慰安婦問題の審議を傍聴したことがある。性暴力被害者
である韓国人女性のシンドさんだったか、高齢の女性が通訳に付き添われて座って
いらした。あのときの緊張や怒りや悲しみや不安のまざったシンドさんの雰囲気を思
い出す。ちょうど私の前の席で、小柄な身を乗り出すようにして傍聴していた姿を覚
えている。

また、以前に集会のビデオで見たオランダでの第一回女性国際戦犯法廷を思い出す。
それによると日本軍の性暴力被害者はアジアの女性だけではない。当時東南アジ
アの統治国であったオランダの女性も被害者として証言していた。

「放談」を読みながら、シンドさんやビデオに映った東南アジアやオランダの女性達
を思い出した。彼女たちがこの記事を知ったら何と思うだろうか。

そして「合法的だった従軍慰安婦問題」を草野氏自身はどうとらえているのだろう。
また、「合法的」ならば問題は存在しなかったのだろうか。
それとも「放談」だから何を言っても許されるのだろうか。

性暴力被害の悲しみや苦しみに対して、どのように向かいあうかを示すことなしに、
単に事象を分析するだけでは被害女性達を二次的、三次的に苦しめるだけで、何
の解決にもならない。

これでは問題がなかったとして、被害女性達の声を聞かない=無視することになり、
彼女たちの傷ついた心と身体は生涯(永久に)癒されないままだ。これは同じ女性と
して耐えられない思いだ。セクハラの悔しさに近い。強者に押しつぶされる者の悔し
さだ。
性暴力被害の問題は過去の一部の女性の問題ではない。今この日本で私たち女
性がどういう位置に置かれているかということと表裏一体の問題だ。

そんなことを考えていたので、紙面に載るのは一応「正しいこと」のはずだけれど、
じゃあ正しいって何なのだろう、と思ったわけだ。

あ~、たいへんだった!なんかスッキリ言えなくて苦しかった。つまり~~~、
自分のためにわかりやすく言うと、結局、大事なのは「心」ね、きっと!
人は「ハート」ね!知識も言葉も行動も「ハート」が基になって動いていくとき、
人のつながりが生まれ、人が幸せになれる、そういうことじゃないかなあ!
あ~、少しスッキリした。ここ何日か苦しかった、モヤモヤしていて。

そう言えば、今週の土曜日はセレニティで瞑想会ですが、テーマは「ハート瞑想」
です。今日の気づきと何か関係あるのかなあ。ちょっと楽しみ。また何かの形で
ご報告できればしますね。

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「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

ひどい話ですね。
>当時は合法的だった慰安婦問題・・・
って、強制的に連行して、本人の意思如何に関わらず、慰安婦にすることが合法的だったということなのでしょうか?それが合法的ではないから問題になっているはずです。
たしかに、債務による売春は昔も今もありますが、「国家」が強制的に慰安婦にしたということがまづ問題なのだと思います。そうすると、「国家」がやったことではないという議論になるようですが、下請けさせていたことは明白な事実なわけです。

合法ではなく、合法的と言っているところが、意味深ですよね。
当時の公娼制度をあげて、売春は合法(的)だと言いたいのだと思います。

しかし実際には、市場で買い物をしていた母娘(娘は12,3歳)を拉致して、
一日何十人もの軍人の相手をさせるようなことをしていたわけですから、
百歩譲っても、その公娼制度でさえあてはまるものではないですね。

合法的などという言葉が一人歩きしてしまうことを危惧しています。

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