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タロットカード

昨日はカウンセリングルームで瞑想会があった。

もう早いもので3年目に入る。
参加者や講師の皆さんからの期待もだが、私自身にとっても豊かな時間の
過ごせる貴重な機会だ。
これからも息の長い活動としてじっくり続けていかれたらと思う。

さて、いつも会の始まりにはウォーミングアップ(?)として、タロットカードを
ひく時間がある。毎回、私の楽しみの一つだ。

タロットカードとは(私もよくは知らないのだが)、絵柄とそれを表す語が一
語書かれたトランプみたいなものと思っていただければよいでしょう。
その何十枚のカードは全部絵柄が異なっていて、裏返しにした何十枚の中
から左手で一枚だけ、その日のテーマを意識しながら、各自が順番に一枚
ずつひいていく。

今回は自分がどんなカードをひくか、そのカードに自分は何を感じるか、講
師はどんなコメントをくれるか、ちょっとした期待と緊張の時だ。
また他の人がどんなカードをひいて、どんなコメントをするかというのにも興
味がある。

たとえば今回は、こんなカードをひいた人がいる。

Flowering(開花)、 Adventure(冒険)、 Breakthrough(打破)、…

どのカードもその人なりの状況とピッタリ合っていたのには驚いた。
私のひいたカードは…。
「Rebirth(復活)」

新生セレニティの活動開始の最初の催しが、この瞑想会だから、まさに
ピッタリと言っていいのかな?
「偶然」からのお祝いのようでとても嬉しいカードだった!


春の花屋さん

これは昨日のこと。昨日は昼間ちょっと暖かかったですね。

昼下がり、銀行へ行った。途中、つい花屋の店先で道草。
店先にずらっと並んだ鉢植えが何とも元気。
今は季節に関係なくいろいろな花を楽しむことができるけれど、
やっぱり春はどの花も、いっそう賑やかでエネルギーに満ちている。

特に道路際に並んだ鉢植えは、百花繚乱。
ホントに「世界に一つだけの花」だ。それぞれきれい。
一つ一つ見ていると、どれも違った顔で飽きることがない。

銀行の帰りにまた同じ花屋に寄った。
見るだけのはずが、やっぱり一鉢ほしくなる。「どれにしようかな?」
種類や色いろいろ、250円の鉢にさんざん迷う。

紅色・ピンク・黄色・オレンジ…
ポリアンサスのふわふわとした花びらが何ともいいなあ!
迷った末に、サーモンピンクの大輪のポリアンサスに決めた。

今、部屋の隅にポッと春が咲いています。050226_1708001


4日間のモヤモヤ

 「正しい」とは何だろう?

間違っていないこと。事実であると言うこと?真実であること?
間違っていなければ正しいのかしら?
理論的にあっていれば正しいのかしら?
「当たり前ジャン!何バカなこと言ってるんだ」と言われそう。
でもやはり考えてしまう。正しいって何だろう?

人が幸せになったり、仲良くしていくために、知識や考えが使われたときが
正しいと言えるのではないかなあ。

なぜこんなことを言うかというと、4日前の新聞記事にこだわっているからだ。
その記事を読んでからどうも何かスッキリしないでいる。が、うまく反論できない。
でも絶対何かがおかしいと感じている。

その根拠は、人が幸せになるために言葉が使われていないからではないかと思う。
別の表現をすれば、書き手に愛がないからだ。

ペンの力はすべての人を幸福にすることはできなくても、誰かの力になることはできる。
それだけ大きな力を持っている。言い換えれば人を救うことも傷つけることもできる。
特にメディアに載るとき、そのことを書き手が意識して謙虚でいないと、簡単に多くの人
を誤った認識と、人を分断する方向へと引っ張っていってしまうのではないか。

4日前に読んだ新聞記事の最後の部分。
(草野厚氏がNHKの女性国際戦犯法廷を紹介したビデオを見ての感想を述べたもの。)

「番組は、冒頭で画像を駆使してナチの大虐殺、アルジェリアの独立戦争、旧ユーゴや
ルワンダの拷問やレイプなどを人道的観点から裁くことが、国際法世界の新潮流だと
強調し、それらと慰安婦問題を重ね合わせているからだ。これらの事件と、当時は
合法的だった慰安婦問題をなぜ同列に論じることができるのだろう。大いに不思議だ。
多くのメディアは、この点を、番組をよく見ずに書いているせいか、ほとんど報じて
いないが、制作者の意図の強引さを知る貴重な材料だ。」

【東京新聞「言いたい放談 『~戦時性暴力』を見て 草野厚(慶応大学教授、
国際関係論)」'05/2/18から最後の部分抜粋、下線・大本】

私は国会の委員会で従軍慰安婦問題の審議を傍聴したことがある。性暴力被害者
である韓国人女性のシンドさんだったか、高齢の女性が通訳に付き添われて座って
いらした。あのときの緊張や怒りや悲しみや不安のまざったシンドさんの雰囲気を思
い出す。ちょうど私の前の席で、小柄な身を乗り出すようにして傍聴していた姿を覚
えている。

また、以前に集会のビデオで見たオランダでの第一回女性国際戦犯法廷を思い出す。
それによると日本軍の性暴力被害者はアジアの女性だけではない。当時東南アジ
アの統治国であったオランダの女性も被害者として証言していた。

「放談」を読みながら、シンドさんやビデオに映った東南アジアやオランダの女性達
を思い出した。彼女たちがこの記事を知ったら何と思うだろうか。

そして「合法的だった従軍慰安婦問題」を草野氏自身はどうとらえているのだろう。
また、「合法的」ならば問題は存在しなかったのだろうか。
それとも「放談」だから何を言っても許されるのだろうか。

性暴力被害の悲しみや苦しみに対して、どのように向かいあうかを示すことなしに、
単に事象を分析するだけでは被害女性達を二次的、三次的に苦しめるだけで、何
の解決にもならない。

これでは問題がなかったとして、被害女性達の声を聞かない=無視することになり、
彼女たちの傷ついた心と身体は生涯(永久に)癒されないままだ。これは同じ女性と
して耐えられない思いだ。セクハラの悔しさに近い。強者に押しつぶされる者の悔し
さだ。
性暴力被害の問題は過去の一部の女性の問題ではない。今この日本で私たち女
性がどういう位置に置かれているかということと表裏一体の問題だ。

そんなことを考えていたので、紙面に載るのは一応「正しいこと」のはずだけれど、
じゃあ正しいって何なのだろう、と思ったわけだ。

あ~、たいへんだった!なんかスッキリ言えなくて苦しかった。つまり~~~、
自分のためにわかりやすく言うと、結局、大事なのは「心」ね、きっと!
人は「ハート」ね!知識も言葉も行動も「ハート」が基になって動いていくとき、
人のつながりが生まれ、人が幸せになれる、そういうことじゃないかなあ!
あ~、少しスッキリした。ここ何日か苦しかった、モヤモヤしていて。

そう言えば、今週の土曜日はセレニティで瞑想会ですが、テーマは「ハート瞑想」
です。今日の気づきと何か関係あるのかなあ。ちょっと楽しみ。また何かの形で
ご報告できればしますね。

マータイさんのファッション

今、日本を訪れているケニアの環境副大臣ワンガリ・マータイさんのファッションに
目を奪われる。新聞で目にしただけだが、圧倒的な存在感と美しさを感じる。

来日した日に、空港で花束を受け取る写真を見たとき、まずそう思った。
褐色の肌に鮮やかな黄色のドレス、頭にもドレスとお揃いのターバンのように結ん
だ幅広のリボン。華やかで、豊かで、笑顔とともにまるで大輪の花が開いたようだ。
思わず「ステキ!」と言いたくなるファッションだ。

翌日だったか、今度は小泉首相と並んでカメラに収まるマータイさんを新聞で見た。
この日はちょっと渋めの金色のドレス。頭にはやはりドレスと同色のリボン。重厚な
金色の刺繍を施されたドレスは堂々としたマータイさんに優雅さと威厳を与えてい
て、決して背広に負けていない。
こんな人が会議の席にいたら、きっとその場の空気が一変することだろう。
そんなことをふと思ってしまった。

そして今日、記者クラブで会見したマータイさんはエメラルドグリーンのドレスとリ
ボン。真っ白な歯と笑顔がとてもチャーミング。
1977年NGO「グリーンベルト運動」を創設、苗木を植えること約3000万本。
今年のノーベル平和賞受賞者だ。

「天然資源の管理を適切にし、持続可能で平等に分け合うことが世界の平和に
つながると確信している。」

ワンガリ・マータイ ケニア環境副大臣の略歴】
 1940年生まれ。生物学者を志し、71年、ナイロビ大学(ケニア)で
東アフリカ出身の女性として初の博士号を取得した。77年に有志と
「グリーンベルト運動」(非政府組織)を創設し、植林運動を開始。
単なる自然保護運動ではなく、植林を通じて貧しい人々の社会参加
の意識を高め、女性の地位向上を含むケニア社会の民主化に結び
付けようとした。

 現在ケニア全土に約1500カ所の苗床を持ち、参加者は女性を中
心に約8万人。植林した苗木は3000万本に達し、「植林はケニアの
民主化のシンボルになった」と言われている。2002年、得票率98%
の圧倒的支持を得て国会議員に当選し、2003年に副環境相に就任。
2004年、ノーベル平和賞を受賞した。(環境省資料より)


私たちの身近なところでも、マータイさんのファッションのように明るく晴れ晴れす
るようなワンシーンがほしい。
旧弊をうち破るすがすがしい風よ、吹け!
いや、吹かせるために一歩を!

ヤンキー先生

ヤンキー先生として知られている北星学園余市高等学校の教諭、
義家弘介さんが母校を去ることになったという。私は彼のことをほとんど知らない。
今回新聞の片隅に偶然記事を見つけたのだが、それが何か心ならずも退職に至
ったというニュアンスなのが気になり、ネットで調べてみた。

義家さんは「ヤンキー母校に帰る」(下敷きになった著作「ヤンキー母校に生きる」)
というテレビドラマによって、一躍有名になった元不良少年で2月14日に母校
(現任校)の朝会で、この3月で退職することを発表したという。

ドラマのことは何となく知ってはいたが、あまり気にもとめていなかった。今回の
義家さんの無念の退職がなかったら、そのまま見過ごしていたかもしれない。
私の記憶では、北星余市高校と言えば、10年ほど前話題になった北海道の私
立高校である。中退学年から編入できる高校として、全国から中退者を受け入
れて校長も先頭に立って学校の復活に力を入れていたということくらいは覚えて
いる。

かつて札付きの不良少年であった義家さんは、北星余市から大学へと進み、大
学4年の時に交通事故で九死に一生を得る体験をする。その時全身全霊で励ま
してくれたかつての恩師との交流がキッカケで母校の教壇に立ち、多くの生徒に
希望を与えつつ、生徒とともに歩む教師として教育に情熱を燃やしていた。

これから中堅としての活躍を目指す途上での退職ということになる。
彼のブログは12月に開設されたばかり、これから書き続けるつもりであったのだ
ろうが、今はコメントもトラックバックも受け付けない状態になっている。彼の周囲
はきっと今、混乱状態なのだろうと察しはつく。2/14の日記は痛ましい感じすら受
ける。さぞ残念だったことだろう。

彼の教育実践については本も読んでいないので詳しくは分からないが、インタビ
ューに答えている内容
などは、教育の本質を捉えつつ、しかも自分の体験を通し
て実践している様子がうかがわれて好ましく思える。上辺の熱意だけでない、真
摯な態度を感じる。(関連番組NHK/ETV特集)

にもかかわらず退職を余儀なくされたとは、残念だ。本人の退職の決意を要約す
ると、「地域社会と学校の連携がなくては教育は成り立たないが、自分が有名に
なったことで突出してしまい、周囲との調和を乱している状況になってしまった。
その解消のために身を引く。」ということのようだ。

事実がそうだとすれば、なんのことはない、地域社会と学校が連携によって育て
た教育の成果(母校出身の教育に情熱を燃やす教師)を、嫉妬と憶測によって教
育の第一線から退かせたと言うことになる。それは当人にとっては再びの教育に
対する落胆とも言える。

自ら育てた花の蕾をもぎとってしまったようなものだ。
「出る杭は打たれる」ということか。
持ち上げたり、落としたり、世間はいろいろ取りざたするけれど、そんなこととは別
に、価値あるものはどこででも、光る。

義家さんが「これからのことはまったく白紙だが,私は生涯,『教育現場』にこだわ
りながら,自分を救ってくれた教育という営みに,恩返しをしていこうと思っている。」
と書いている言葉に期待とともにエールを送りたい。

本人の著書数冊のほかにも幾つか関連の書があるようなので、読んでからまたこ
こに書いてみたいと思う。

……………………………………………
若い人が頑張っているとつい応援したくなってしまうのは、私が年をとったせいか
しら?まあ、時の流れは自然なことですからね。
時と言えば、地球からの距離が127億光年の銀河団が見つかったというが、
それは誕生から10億年後という「若い」宇宙に生まれた銀河だそうだ。
宇宙から見たら、10億年なんて若い若い!

有名になったら引っ張り下ろすなんて、ちっちゃいネエ!
大きく行きたい、大きく生きたい!

チューリップの芽

今日は温かでした。
郵便局へ行くついでにちょっと遠回りをして、春を見つけに。
畑の隅一列に植わったチューリップがいっせいにニョキニョキ芽を出し始めて、
さあ春に向けて準備ですよ~っと、待ち望んでいるさまは正に春近し。

黄色のパンジーも見つけましたよ。
学校帰り、給食袋を振り回しながら帰る低学年の子ども達の歓声。
近くにコーヒーショップかパン屋さんがあったら、ちょっと一休みしたいような気分。
が、残念ながら家の周囲にはないので、付近の畑や住宅街をサーッと一回りして
帰ってきました。

さて、話題変わって、(一気に変わってゴメンナサイ!)、

今日の新聞で、桐生悠々(きりゅうゆうゆう1873~1941)と言う人のことを初めて知
りました。有名な人らしいですが、私はまったく知りませんでした。
石橋湛山と同時代のジャーナリストだそうです。
晩年の写真の笑顔が、優しい中にも反骨の気風を忍ばせている。(下記PDFファイル)
(こういう人と話してみたい!ナンチャッテ。)

ネットで検索して、ちょっと読んだだけですが、すごい!
「関東防空大演習を嗤う」信濃毎日新聞論説)前田俊之静岡大学教授の論稿

何がスゴいといって、ジャーナリストとしての信念の貫き方が生半可ではない
のです。
信濃毎日の主筆として「言いたいこと」ではなく「言はねばならぬこと」を言う
姿勢を貫き、軍部の圧力により新聞社を追われ、やがて一人で海外の情報を
翻訳しながら、論評する「他山の石」を発刊。奥さんが封筒詰めを手伝いなが
ら、窮乏生活に耐えつつ、死の直前まで書き通したというのです。

しかもその後の戦争の悲惨な結末と、「日本の軍閥が戦争法廷へ引きずり出
される」ことを予測しつつ、開戦の3ヶ月前に亡くなったのだそうです。

奥さんが後に言われた言葉、
「悠々一人が軍部にとってあんなに邪魔になるものですかね」
(1981年10月22日NHK教育テレビ「桐生悠々―あるジャーナリストの生涯」)
いかに一人のジャーナリストのペンが力を持っていたかということです。

こういう人がいたということ、また知らなかったことも、ちょっとショックでした。
(高等教育まで受けながら、お恥ずかしい次第。)

田中正造にしてもそうですが、信念を持って生きた人の足跡というものは、
一見報われないように見えて、その生涯を知ると、どこか一陣の風のように
爽やかな印象が後に残ります。高潔な魂の香気というか…。

教育の土壌にはこの種の「香気」が不可欠なように思えます。
少年の悲惨な事件が絶えないことの背景とも無関係ではないように感じられ
ます。

それにしても、このところの東京新聞、ヒットですね!
(あ、この悠々の記事、東京新聞本日2/15朝刊「昭和零年」評論家森本哲郎
さんへの取材記事です。)

「はるのかんたんふ」ですから、春をいっぱい見つけたいと思いながら、
ちょっと堅い話が続いてしまっています。ご勘弁を!


お絵かき教室

昨日は生まれて初めてお絵かき教室を体験しました。
水彩画を先生に習ったのです。
お友達が声を掛けてくれて、一緒に描くことになりました。
何しろ中学校以来かな?ちょっとドキドキしながら、でもとっても楽しみにして
出かけました。

花屋さんのギャラリーで、緑や花に囲まれたとてもステキな場所です。
先生もとても大事なことを丁寧に教えてくださる先生で、何よりも
描きたいという気持ちを大事にするようにと言ってくださいます。

一緒に描いたメンバーの雰囲気もとても良くて、誘ってくれたお友達に
感謝、感謝でした。学校で使った絵の具とは違って、透明水彩の面白さ、
難しさ、これから楽しみです。
3時間半もほとんど無言で頑張っていた私たち、先生から見たらどんな
だったでしょうね。みんな一生懸命で、堅苦しくはないけど夢中でしたね。
できあがった(?ほんとはまだ)絵が、それぞれ違って個性豊かなのも面白い。

で、チューリップ4輪と○○ユリ(名前忘れ…ユリといっても薄黄色の
2,3センチの花が固まって咲いている)を描きました。
そのうちの一本をお友達がプレゼントしてくれたので頂いてきたのがこれです。
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寒い部屋だとすぐにしぼんで白いチューリップですが、
暖かい部屋に移すと、花びらの中心付近がピンクなので、
ホワ~ッとした淡いピンクのチューリップです。
我が家にほんの少し「春」がやってきました。
(写真がうまく撮れなくてごめんなさい)
  

フランスの高校生デモ

今日はネットで読んだニュースを一つ。

やるじゃないですか!フランスの高校生。
ガンバレ日本の若者!おばさんは応援してるゾ!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
<入試制度改革 高校生「ノン」 フランス 10万人デモに政府譲歩>

 【パリ11日井手季彦】フランス国会で来週審議が始まる教育改革法案を
めぐり、高校生の抗議行動が全国で高まり、十日、とうとうフィヨン教育相が
「(法案の一部の)大学入学資格(バカロレア)試験改革については、学生
の不安が解消しない限り実施しない」と表明した。高校生の連帯が教育制
度改革に「待った」をかけた形だ。

 同法案は、バカロレアの判定基準に、現在の全国一斉試験以外に、各高
校で行う日ごろのテストの成績も加える改革のほか、授業についていけない
生徒対策や補助教員の配置変更など、学校教育全般にわたる内容。高校
生たちは特にバカロレア試験改革について「全国一律の原則が崩れる」と反
発。今月初めから高校生組合の指揮で抗議行動を始め、十日にはパリ、リ
ヨン、ボルドーなど主要都市で計十万人を動員しデモを繰り広げた。

 これに対し、高校生の声を無視する姿勢をとり続けてきた政府は一転、「バ
カロレアについては法案の主要テーマではなく、なお議論したい」(同教育相)
と、譲歩を示した。政府としては、欧州憲法条約批准の国民投票を夏前に控
え、高校生の抗議活動が反政府ムードの高まりにつながることを食い止めた
い狙いがあるとみられる。

 しかし、高校生組合は法案自体の撤回を求めており、国会審議が始まる
十五日には、同じく法案に反対している教員組合とも連携して、大規模な
デモを予定している。

(西日本新聞) - 2月12日2時24分更新

自分と違った意見

昨日の映画に関連して、

香川照之の出演作から「鬼が来た」
ネットでたどっていて、「プレミアBBS」に出会ったので、掲示板を読んでいたのですが、
そこでのやりとりを読むうちに、異質と共存すること・表現の自由を保障することの難
しさを感じました。

特に政治的な発言になるとアレルギーといってもよいくらい反対意見を封じようとする
し、一方そう言うことには触れたくない人たちは、「もっと軽い話をしたいのにこれでは
できないから抜ける」となる。意見の違いは人格の否定とは違うのにとちょっとガッカ
リ。

私は水原さんという方についてまったく知りませんけれど、的はずれなことを言われて
いるとは思えないし、それほど無礼な言い方をしているとも思えないのです。
意見が違ってくるとどこのBBSでも似たようなことが起こるのでしょうかねえ。

意見は違うけれどその人の発言は尊重しようというのでないと、コミュニケーションが
成り立たなくなってしまうのではと思うのですが、あちこちBBSを体験されている方の
経験や、特にこの場合政治的な話題であり、しかもそれが日本の戦時加害証言に
絡んでいるという、いくつもの要素がありますが、そのどれにでも良いのでいろいろ
な意見お聞きしてみたいです。

なお、BBS中のジョー・シシドさんが書かれている中帰連とは中国帰還者連絡会
のことで、私はジョーさんの認識とは異なります。
中帰連は戦争の実体と悲惨さを後世に伝えることで、二度と被害が起きないことを
願って、必死で証言を続けている高齢の方達の集まりです。
ご高齢で2年ほど前に解散し、今は「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」が、その意志を
継いでいます。本当に奇蹟としか思えない人の交流の証です。

映画「故郷(ふるさと)の香り」

タイトルの映画「故郷の香り」を見ました。
原題は「暖(ヌアン)」女性の名前です。
この原題の方が私としては好きです。
見終わって原題の持つ奥深いニュアンスが伝わってくるんです。

大ヒットした『山の郵便配達』(残念ながら観ていません)のフォ・ジェンチイ監督の作。
中国の山間部の貧しい村から、大学に合格して都会に出ていった青年井河(ジンハー)。
幼なじみで初恋の相手ヌアンとの約束から10年後、故郷を離れて以来初めて村に戻っ
てきたジンハーと、ヌアンが山道ですれ違うところから物語の回想と現実が交互に進行
していきます。

日本の俳優の香川照之が名演と聞いていたので、どの人かと思ってみていました。
すっかり主人公の男性だとばかり思って。
それにしても中国語がうまいなあ、吹き替えかしらとか、ぜんぜん見当はずれでした。
見終わってからも気づかなくて、帰り道思いめぐらせながら、ジンハーよりもむしろ、
聾唖のヤーバがなんか気になるなあと…。

あとでわかったことは、何とヤーバが香川照之だったんです。(これだもの…。)

そうかあ、なるほど、うまい!と感心した次第。
ヌアンを演じたリー・ジアも目で演技できる女優さんでした。

全編に水を感じる映像。流れる水、ポタポタとしたたる水、雨、屋内の水瓶、
キャンデーの包み紙が浮かぶ瓶の水…。

あのキャンデーの包み紙で遊ぶ女の子は自分の幼い頃を思い出しました。
私が小学校低学年の頃は、きれいな包装紙など今のようになかったから、キャンデ
ーの包み紙はキラキラとして宝物に見えました。私は色のついたセロファンや金紙、
銀紙のシワをきれいに伸ばし、空き箱にとっておいたのを覚えています。

それを運動会の鈴割りの紙吹雪を作ってくるように言われたときに、ハサミでせっせ
と切って紙吹雪を山ほど作りました。できた紙吹雪を学校に持っていくと、友だちは
新聞の折り込みチラシを切ってきた人が多かったので、キャンデーの包み紙は歓迎
され、すご~い、きれ~!の声。とっておいてよかったと喜んだ記憶があります。

今では考えられない昔の話ですが、人々の純朴さや優しさも、映画に描かれた中
国の山間部と同じように、身近にあった時代だった気がします。

キャンデーの包み紙で遊んだ自分だけでなく、あのころはみんな貧しかったのにど
うしてあんなに笑っていたんだろうかと、友だちの笑顔までも思い出しました。

世界がものすごく大きなエネルギーで廻っているとき、自分の幸も不幸もどこかに
紛れて、吹きとばされてしまいそうな気がするけれど、
「一番大切なものはここにあるじゃないか!」と、一人ひとりのハートに教えてくれ
ている、そんな心に残る映画です。あとからジワ~ッと効いてきます。

・・・・・・・・・


サラリーマン川柳

確か、年に一度、毎年やっているんですよね。
生命保険会社が募集するサラリ-マン川柳

今年も発表されました。
何と全国から二万首を越える応募とか。その中から100首を上記HPに掲載。
たとえばこんなの・・・。私めの10首選出。

・ヨン様かあ オレは我が家で ヨソ様さ    凍児

・イケメンの 主治医に脈が 乱れ打つ     雪乃このひとりごと

・満期きて 利子で買い物 缶ジュース     詠み人知らず

・「オレだよ」の 息子の声に 受話器置き   涙の母

・つい癖で クラス会でも 鯖をよむ       美人OL

・愛してる 聞いた答えは 愛してた       探求者

・長い坂 登れば急な 下り坂          窓際族

・大丈夫 君ならやれる 別の事          リストラマン

・まかしとけ きっと誰かが やるだろう     せとっち

・リストラで 冬のアナタと 妻がいう       北風不職


一人で、クックッ、またはニヤニヤ笑ってた私は端から見たら不気味。
でも、けっこう好き!こういうの。
昨日から友だち宛のファクスに書き加えたりして楽しんでます。
今日はお天気も春のようだというし・・・♪♪♪

子ども天国

まず次の文章を読んでみてください。

「世界中で○○○ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い
注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子ども達は朝か
ら晩まで幸福であるらしい」

「○○○人は確かに児童問題を解決している」

○○○に国名を入れてみてください。さて、どこの国でしょうか?
 
北欧の福祉先進国かしら、と思われるでしょ?

ところがこれ、幕末明治期の日本を表した文章なのです。ホントに驚き!
これを書いたのは大森貝塚を発見した米国人学者のモース(1838~1925)です。

東京・本郷に住んでいたモースの目には、当時の子ども達は貧富にかかわらず
行儀よく、慈悲心にあふれ、親や年長者を敬っており、親もまた子ども達に無情
の愛情を降り注いでいると映ったのです。親が子どもをしかることも、手を上げた
りすることもみたことがなく、「日本は子ども天国だ」とも書いています。
(『日本その日その日』平凡社・東洋文庫)。

モースだけではありません。当時来日した多くの外国人が文献に記しているとい
います。しからないで愛情を注ぐ親、自由でのびのびした子ども。まるで「子ども
崇拝」の域(アメリカ人女性イザベラ・バード)と評した人さえもいるのです。
(『逝きし世の面影』渡辺京二) 

  …以上は東京新聞「失われた子ども天国」2003年3月1日を参考にしました。…

日本にもこんな時代があったんですねえ。
昔から礼儀正しいと言われていた日本人ですが、それは厳しいしつけによるよりも、
愛情深く育てられたことによるとここからは読みとれます。体罰を加えないとしつけら
れないと言う人もいますが、これを読むとそうではないことが分かります。
この記事の内容は、新鮮で示唆に富んでいました。

一方、つい最近こんなコラムを読みました。
社会学者の品田知美さんは母子健康手帳の記述を手がかりに『〈子育て法〉革命』
(中公新書)を書いた人でだそうですが、その品田さんを取り上げた朝日新聞のコラ
ムです。

………………………………………

60年代の副読本は、授乳間隔は3~4時間を基本としていたが、大改訂された85年
版では「赤ちゃんがおなかをすかせたときに飲ませるのが原則」「むりに時間を決めよ
うとしてはいけません」となった。「抱きすぎ」の否定から「抱きたいと思ったら抱いてあ
げる」に、ひとり寝から添い寝の推奨に変わったのも85年だ。」品田さんは「このころを
境に、日本の育児は親主導から子ども中心に変わった」とみて、90年代以降の育児を
「超日本式育児」と呼ぶ。「小児医学界の国際的な変化を受けたものだが、日本では子
どもの欲求を全肯定する形で受け入れられた」という。90年代後半からの「学級崩壊」
現象の遠因にこの子育てがあったのでは、という推測も成り立つ。
(朝日新聞「パーソン」2005年2月2日)

  ………………………………………

これだと学級崩壊は子ども中心の育児が原因ということになりますが・・・。
う~ん、そうかなあ?(「中心」とは子どもをわがまま放題させることではないでしょう)

モースの描いた、のびのびとして、礼儀正しく、慈悲心に溢れた子ども、こんな人はおと
なでも子どもでも魅力的ですよね。
そう言う人がいっぱいいた当時の日本は、なんて豊かな国だったのでしょう。
たとえ経済的には世界におくれをとっていたとしても、ね。


パン屋さんの看板と甘いコーヒー

スマトラ島沖地震のニュースや新聞記事を読んで思った。
  
① 屋根もない倒壊した建物の中で、ある男の人が取材を受けていた。
彼は被災前はパン屋の主人だったそうだ。で、壊れた建物は彼の店だった。

 彼は一枚の看板を取り出してきて、カメラに向かって見せた。大きめの画用紙
くらいの小ぶりの看板だ。パン屋の格好をした男の人のイラストが描かれている。
 「ヨーロッパ人の友だちが描いてくれた似顔絵だ」、そう言ってパン屋の主人は
大事そうに看板をなでた。カメラに見せながら誇らしげにも見えた。

「この先どうなるのか分からないけれど、またここにやってきて店を建て直したい。
そして、この看板を掛けて、また私のパンを売りたい。だからこの看板だけは持っ
て帰る。」

② 別の男性は、もとは喫茶店をやっていたという。壊れた建物だらけの街角に、
板きれを集めて急ごしらえのカウンターとイスを並べた。喫茶店の開店だ。
 主人は言う。「疲れた人たちに、みんなの好きな甘いコーヒーを出してあげたい。
このコーヒーで元気になってほしい。」
 コーヒーを入れる主人はちょっと笑顔だ。

パン屋さんの看板、甘いコーヒー。
生命そのものが脅かされ、根こそぎ生活の軸を奪われてしまった中で、一歩を踏
み出す人の誇りや笑顔には、労働の貴さみたいなものを教えられる。パンを焼い
て店に並べること、お客に熱くて甘いコーヒーを出すこと。そのことが自分を励まし、
人に喜びを与える。極限の生活を強いられた中で、本来の労働の価値がより光を
放つ。

 命を与えられ、健康で、仕事をすることができること。それがどんなにありがたい
ことかを改めて思う。同時に一個のパン、一杯のコーヒーがどんなにありがたいこ
とか。
 テレビのこちら側で、情報として見ているだけの私はせめて何かを気づかなくて
は申し訳ない気がした。

 シンプルな生活へと自分を振り返り、素朴に純粋に労働に対する感謝をしたい
と、珍しく殊勝な気持ちになってしまった。キャッ!どうしよう。
でもこれは、ホント。
 私の場合、一皿の料理を丁寧に作ったり、コーヒーを感謝して味わう、ってこと
から始まるのかなあ。

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